21






 硝子刀がらすとうを取り落とし、くずおれる肢体。

 そんな光景を視界に焼き付け、遅ればせ頭で理解した僕は、状況も忘れ駆け寄った。


「ちょ、まっ……!!」


 指先を離れた懐剣の切っ尖が、古びた石畳を跳ね返る。

 無防備な背中に一撃を受けず済んだのは、敵とすら認識されていなかったからか。


〈…………〉


 何も語らず、反応も示さず、大鎌を引き摺るように去って行く影。

 離れる危機に対し、助かったとか思う余裕すら持てず、あれこれ考えるより先に止血しようとベルベット様の首を押さえ──無意味を悟る。


「ッ……」


 寒気がするほど鋭利な、ひと筋の切創。

 頸動脈どころか頚椎まで綺麗に断たれている切り口。

 文字通り首の皮一枚で繋がった状態。完全な即死。


 斬られ、た? 一体、いつ?

 あの間合いで、武器も僕が押さえていたのに、どうやって?


 ぐるぐると脳裏を巡る疑問。

 こみ上げる吐き気を堪え、深く静かに呼吸を繰り返す。


 多少なり落ち着くまで、随分と長い時間を要してしまった。






 実際の体重よりも遥かに重く感じる亡骸を、邸内の一室まで運ぶ。

 いくら小柄でも、人間一人を抱えるのは結構な重労働だった。


「ふぅっ……」


 褪せたカーペットの上に降ろす。

 死後硬直がどのくらいで出始めるのか知らないけど、すぐじゃなかったのは僥倖。


 軽く息をついて、服が血だらけだと気付き、祈術で水へと清める。

 流れ出た血は穢れに類す。ベルベット様のドレスも、よくこうやって綺麗にしてた。

 奇跡の爪痕たる祈術をシミ抜きに使う不心得者など、三国合わせても僕くらいだろう。


「……ベルベット様」


 すっかり青ざめ、生気の失せた顔を覗き込む。


 布を巻いて固定した泣き別れ寸前の頸部以外、目立った外傷は殆ど無い。

 故に光源がランプのみの室内では、まるで眠っているかのように窺えた。

 まあ、この人の寝顔は、もっと気が抜けてるんだけど。


 …………。

 固唾を飲んで見守る中、おもむろに変化は訪れた。


「ッ」


 亡骸を起点に渦巻く黒。

 死の匂いを嗅ぎ付けた穢れがベルベット様を呑み、諸共に溶けて行く。


 次いで。僕の足元から血溜まりに似た液体が湧き、その奥底より這い出るヒトガタ。


 泥人形を思わせる異形。

 血溜まりの中で呻き、蠢き──やがて生前の見目姿を取り戻し始める。


 ……ああ。そうか。

 を繰り返し続けることで、穢モノ達は自分のカタチさえ忘れてしまったのか。


「お帰りなさいませ、ベルベット様」


 斃れた際、傍らに転がっていた伊達眼鏡を差し出す。

 不機嫌が極まったような面差しで、横柄に毟り取られた。


「気分など、いかがですか?」

「さいこー」


 癒えた喉笛を掻き毟り、刺々しく吐き捨てる口舌。

 いつも通りの態度、言葉遣い。どうやら精神面に問題は無さそうだ。


 ひとまず安堵し、お茶を淹れてきますと告げ、踵を返す。


 …………。

 捕まった。囚われた。こんなにも早く。






 これでもう、ベルベット様は──この街から、逃れられない。











【Fragment】 銀細工の伊達眼鏡


 ベルベットが愛用する眼鏡。

 度は入っておらず、砂埃や血飛沫から眼球を保護するゴーグル代わりに掛けている。


 価格は金貨七枚。

 彼女の着るドレスより高価である。





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