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 弾かれたように振り返る。


 何の気配もしなかった。

 なのに、いつの間に背後を。


「あ」


 焦りで足がもつれ、屋上の縁辺を踏み外す。

 柵や手摺りなど、そんな気の利いたものは無い。


 成す術も非ず、哀れ数十メートルを真っ逆さま──には、ならなかった。


〈っと〉


 手首を掴まれ、力強く引き寄せられる。

 たたらを踏んだ後、暫し呆然と立ち尽くす。


 少々遅れて、視界に人影を見とめた。


〈オイオイ、酔っ払ってンのか? 足滑らせて転落死なんてよ、死因としちゃ相当ダサい部類だぜ。ちったぁ気ぃ付けな〉


 二メートル近い長躯を筋肉で鎧った、常人離れした体格。

 灰色の髪と眼を持つ、褐色肌の偉丈夫。


 西方同盟では、あまり歓迎されない特徴。

 取り分け、敬虔な神官や上級貴族等が目にすれば、不快感を露わとするだろう。


「……ありがとうございます。お陰で助かりました」


 諸々の疑問は脇に置いて、ひとまず頭を下げる。

 危うく、どうでもいい盤面で間抜けに死ぬところだった。


〈はっはっは。気にすんな〉


 そも俺が急に話しかけた所為みてーだし、と続けながら肩をすくめる男性。

 今になって背筋が汗ばみ始める。いやはや、びっくりした。






〈まともな人間を拝むのは、いつぶりになるかね〉


 まじまじ僕を見遣る、灰色の眼差し。

 ……手首を掴まれた時の、氷みたいな体温を思い返す。


「貴方も、呪われているのですか」

〈あァ? あー、まあ、そうな。そーそー、呪われてる〉


 やけに適当な返事だけど、一応の肯定。

 しかし、それにしては受け答えが明快。肉体の異形化も窺えない。


 こういうケースもあるのか。或いは単純に呪いを受けてから日が浅いだけなのか。

 僕の持つ知識と情報では、判断しかねる。


〈何しに来たか知らんが、早いとこ出てった方が賢明だぜ〉


 風に乗ってこだまする、けたたましい叫声。

 ああはなりたくないだろう、と言外に告げられたかのようなタイミング。


「帰りたいのは山々なんですが」

〈訳有りか〉


 頷く。

 欲望に塗れたベルベット様の目論見を話すのは、流石に躊躇われた。


〈ま、滞在するなら止めやしねぇし、この中心部は多少安全だ。下手に北側か南側を彷徨かなけりゃ、ボチボチやってけるさ〉


 青年が僕に背を向け、離れて行く。

 もう行ってしまうのか。出来れば詳しく話を聞きたいのだけれど。


〈……こんな所で顔を合わせたんだ。そのよしみで、ひとつ忠告しとくぜ〉


 縁に足を掛けたところで、肩越しに振り返った。


〈長生きが望みなら、馬鹿でかい鎌を持った女に会ったら喧嘩売るのはやめとけ〉


 そう言って此方が反応を返すより先、時計塔を飛び降りる彼。

 慌てて下を覗き込むも、彼の姿は煙のように消えてしまっていた。






 ──数分と待たず、僕は歯噛みすることになる。


 その忠告を、もっと早く聞いておきたかった、と。











【Fragment】 黒い薄布


 シンカが常用する布。

 一等神官は無銘神の傍らに立つ神使であるという考え方から、その姿を捉えてしまわぬよう目隠しが義務付けられている。


 翳せば透けるほどの薄地ゆえ、周りを見ることは普通に可能。

 ただし読み書きの際は少し不便。





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