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「ベルベット様!」


 二歩三歩とよろめく、赤いドレスに身を包んだ後ろ姿。

 唐突極まる凶事に幾許か放心を挟みつつも我に返り、駆け寄ろうと足を出す。


 しかし。


「シンカァッッ!! 私がいいって言うまで一歩も動くなァッ!!」


 胸部を射抜かれたとは信じ難い裂帛。

 思わず身を竦ませ、結果的に言われた通り、その場に固まる。


「こんのッ」


 鏃半ばまで血に濡れた矢を引き抜くベルベット様。

 本当に蝶よ花よと育てられた貴族令嬢ですか、貴女。


「あー、無駄に乳がデカくて助かっ、たァ!!」


 言葉尻と同時、逆手に握った矢を投擲。


 鳴り渡る金属音。

 古びたレンガの上に落ちる、二本の矢。


 嘘でしょ。矢を矢で撃ち落としたよ、この人。


「どーこだどこだ、どこどこ……シィッ!!」


 宙を薙ぐベルベット様の右腕。

 その手中には、三本目の矢。


 嘘でしょ。飛んで来る矢を素手で掴み取ったよ、この人。


「みーつけた」


 獰猛に笑い、ドレスの裾を裂き、足元に薄く罅が入る勢いで駆け出すベルベット様。

 物凄く脚速いんだよね、あの人。百メートル走、四秒か五秒くらい。

 控え目に申し上げて、だいぶバケモノ。






 壁や天井などが崩れる、大きく重たい破砕音。

 人どころか動物のものとさえ思えぬ、滅茶苦茶な金切り声。


 暫し、そんな喧騒が門の向こうから響いた後、ベルベット様が戻って来た。


「なんか変なの居た」


 そう言って僕の眼前に放り投げられた、異形。

 まさしく異形としか称すべき語彙が見付からない、何か。


 一般的な成人男性を倍近く上回る巨躯。

 全身は泥に似た黒で覆われ、所々覗く表皮は、まるで錆びた鉛のような質感。


 腕と思しき部位には、骨肉との境目すら曖昧となるほど癒着したクロスボウ。

 鋼のリムを張り詰めさせる太いワイヤー製の弦。人力では矢を番えられない強さなのだろう、片手回し式ハンドルクレインクラインが備わったコンパウンドタイプ。

 ベルベット様は、こんな代物で射られたのか。なんで平気なの。


「きも」


 目も耳も鼻も口も見当たらない。

 正味、まともな生物かさえ疑わしい。


 ──だが。骨格や輪郭だけを注意深く見遣れば、人間に程近い。


「これは……」


 嘗て王都の神殿で読んだ書物の一説を、記憶から掘り起こす。


 マケスティアの穢れに蝕まれた者の末路。

 理知を失い、意思を失い、遍く生物が平等に持つ死さえも失った、哀れなりし存在。


「これが、穢モノか」


 


 

 







【Fragment】 穢モノ


 ケガレモノであり、ケモノであり、エモノ。


 マケスティアの穢れに浸され異形と化し、死ぬことすら出来なくなった人間の末路。

 呪いの悍ましさを体現し、神の不在という事実を人々に知らしめる怪物である。


 普通は、こうはならない。





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