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「すやぁ」
馬にも御者にも働き詰めさせ、しかし自分は寝穢く眠りこける。
鋼鉄製の心臓と板金仕立ての面の皮でも持ち合わせてなければ、そうそう能わぬ芸当。
勿論、褒めてはいない。
「はぁっ」
それなりに長い付き合いの中で何度も痛感していることだけれど、ベルベット様は他者への気遣いとか協調性とか、その辺の諸々が生まれつき抜け落ちているのだ。
前世でなら何かしら病名が付いたかも知れないと、なんとはなし思う。
「──神官様! ぼちぼちベルトーチカに入りますぜ!」
外の御者台から窓越しに響く声。
懐中時計を引っ張り出す。急いだだけあり、予定より半日も早い。
随分と無理をさせてしまった。割増料金は弾んでおこう。
「申し訳ない。僕がベルベット様を諌められれば良かったのですが」
生憎インポッシブルだ。
たぶん野良犬に芸を仕込む方が相当易しい。
「いえいえ! 一等神官様の頼みとあっちゃ、徹夜の十日二十日、軽いもんでさぁ!」
二桁は流石に死んじゃうよ。
ヨァヒト殿下を殴った咎で、ベルベット様はオリヴァ家を追われた。
より厳密に述べるなら、オリヴァ家はベルベット様を勘当せざるを得なかった。
例え殴り飛ばされた後にマウントポジションを取られ、都合二十三発の追撃を受けて暫し生死を彷徨った本人が赦そうとも、王族相手の暴力沙汰で無罪放免の前例を作ってしまうことは、非常によろしくない。
然るべき応報を与えなければ、政治的にも面子の上でも、看過し難い瑕疵となる。
ただ、そもそもの原因が向こうから突き付けられた婚約破棄だという背景も手伝い、ベルベット様への同情も少なくなかった。
延いては過去から現在までに於けるオリヴァ家の王国に対する貢献の大きさ、関係を悪化させた場合に先々で国が被るだろう不利益。
そうした様々な事情や思惑が折り重なり、対外的な名目こそ追放なれど、実態は割譲に近い形で家を出る運びとなったのだ。
…………。
が。そこで再び、一悶着。
「むにゃあ」
オリヴァ家の統治する王国北部。
その小国にも並ぶほど広大な土地の中でベルベット様が欲しがったのは、最北端に位置するベルトーチカ海岸周辺。
大半は切り立った崖で、まともな港どころか漁村すら無い僻地。
土も痩せており、年中潮風が吹き込む所為で作物など満足に育たぬ荒れ地。
ハッキリ言って資産価値など皆無に等しい。
何より。あそこは呪われている。
しかしベルベット様は周囲の制止も説得も聞き入れず、ゴリ押した。
思い返すだけで頭が痛くなる。
「────ッ」
ふと、背筋に薄く悪寒が奔った。
どうやらベルトーチカ領内に入ってしまったらしい。
「今からでも、逃げようかな……」
【Fragment】 無銘神官
無銘神を奉ずる神殿に属する神官の総称。
一等から九等までのランクが存在し、全体の九割が四等以下。
五等以上は正神官、三等以上は高位神官と呼ばれ、高位神官の大半は王都、或いは主要な都市の神殿に勤める。
王国に於いて神官となる資格を持つのは、国民の約半数。
無銘神に仕える証明として、苗字を棄てなければならない。
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