第105話 罠(ショール視点)

 地下通路に入ったショールとトノは走っていた。ソバリオが先行している。警戒しながら進む必要はなかったからだ。彼の身に異常事態が生じていたとしても、その痕跡がないはずはない。

「灯りがみえます。方位と距離からして、そろそろ市壁のあたりかと思います」

 前を走っているトノが言った。

「ソバリオだと思いますが、注意しなさい」

 ショールは司祭だ。それでも、騎士であるトノといっしょに走り詰めで息は乱れていなかった。

「ソバリオです。ランプの振り方が聖騎士団のものです」

 夜間に遠間にいる仲間を識別するため、ランプの振り方が定められている。二人が急ぐと、ソバリオが二人を待っていた。そこは、ホールのような構造で、地下通路が複数の方向に伸びていた。

「マナテアは、この通路内に騎乗できる動物を隠していたようです。追い着くことができませんでした。目印を残して追うことも考えましたが、見ての通り通路が複数あるため、ここでお待ちしておりました」

「マナテアの通った通路は確認できているか?」

 ショールの問いにソバリオが一本の通路を指し示す。

「ここに着いた時点で、逃げて行く灯りが見えました。あちらです。方角的に遺跡ルーインズに向かっているかと思われます」

「良い判断だ。マナテアは神敵に違いない。注意して進みましょう。我らを罠にかけようとしている可能性もあります……が、そうだとしたら彼女ら、伯爵夫人カウンテスとマナテアの間違いは、この場に私がいることです」

 そう言ったショールは、喉から漏れ出す笑い声を抑えることができなかった。

「これほど早く、復讐の機会が訪れるとは思いませんでした」

 狭い地下通路を進むため、ソバリオ、ショール、トノの順に隊列を組み、進み始めた。トノには後方の警戒を怠らないように指示してある。ショールは、歩きながら伯爵夫人カウンテスの策を考えた。

「これが罠だとしたら、敵の狙いは、我らを遺跡ルーインズまで誘い込むことでしょう。スカラベオを奪われ、秘密が神の敵に知られることは痛いですが、ここまで何らの障害も無しに足取りを追えていることは不自然です。単にスカラベオを奪うことが目的だったと考えない方が良さそうです」

「であれば、どうなさいますか? 遺跡ルーインズ討伐の件は、我らも聞き及んでおります。伯爵夫人カウンテスを相手に、我ら三人で戦うのは厳しいかと思われます」

 前を歩くソバリオが疑問を口にする。

「六十年前の討伐部隊は全滅していません。生き残り、討伐の全容を正確に記憶した者が居ました。転生によって記憶を引き継いだ者は多く居りますが、それぞれが死した瞬間までの記憶しかありません。最後の状況まで知っているのは生き残った三人だけ。その一人が私です」

伯爵夫人カウンテスにも弱点があるのですか?」

「その通りです。その弱点があったからこそ、私を含む三人は生き残ることができました」

「それは如何様な?」

 ソバリオの声には必死さが滲んでいる。相手が多くの聖騎士を屠ってきた伯爵夫人カウンテスだとなれば当然だろう。

「スカラベオを用い、正の力を集めている余波によって、負の力が広まっています。何らかの仕掛けがあるのだと思いますが、遺跡ルーインズは、その負の力を集めているようです」

遺跡ルーインズの周囲でアンデッドが発生しないのはそのためですか」

「そう推測されています。魔王スザインの魔法でしょう。遺跡ルーインズの中では、その負の力が、奴らの操るアンデッドに供給されています」

「そのアンデッドには、伯爵夫人カウンテスも含まれるのですね?」

「そうです。遺跡ルーインズの中では、いくら伯爵夫人カウンテスを切りつけても一瞬で再生してしまうのです。恐らく、一刀の下に両断しないかぎり、彼女を倒すことはできないでしょう。その上、素早さや力強さも強められているようで、遺跡ルーインズの中の伯爵夫人カウンテスは、正に鬼神のごときでした。忌々しいことに、我らが用いる無限の癒やしの力と同じような状況が、あの場では逆に、彼らにも作用してしまうのです。ですが……」

 ショールは、六十年前、前世で参加した遺跡ルーインズ討伐を思い出していた。攻略が不可能と判断した討伐隊長が撤退の命を出し、当時まだ若かった前世のショールは、最初に遺跡ルーインズから逃げだした内の一人だった。

遺跡ルーインズが供給している負の力は、遺跡ルーインズを離れるに従って衰えるようです。そのことも秘密にしたかったのか、伯爵夫人カウンテス遺跡ルーインズを出て追ってきました。三人しか逃げることができなかったことは事実ですが、遺跡ルーインズから離れた伯爵夫人カウンテスが、我らを全滅させることができなかったことも事実なのです」

「そうであれば、これ以上遺跡ルーインズに近づかない方が良いのではないですか?」

 後ろから、トノが疑問の声を上げる。

伯爵夫人カウンテス遺跡ルーインズから離さなければならないのです。離れて待っているだけでは、伯爵夫人カウンテスは出てきません。圧倒的な有利を捨てることになりますからね。捨てざるを得ない状況を作るのです」

 そう言って、ショールは背後を見やった。後ろを歩くトノではなく、その更に背後だ。

「やはりこれは罠でしょう。この通路の存在は初めて知りますが、これほどすんなりと進めることは異常です。遺跡ルーインズに入るまで待つのか、それとも圧力を加えるつもりなのかは分かりませんが背後から敵が来ているはずです。もしかしたら、伯爵夫人カウンテス自身が、別の入口からこの地下通路に入り、後ろから我らを遺跡ルーインズに押し込むことを考えている可能性もあります。ただ、それには伯爵夫人カウンテス遺跡ルーインズから離れなければなりません。恐らく、伯爵夫人カウンテスは、前方、遺跡ルーインズの中にいます。それであれば、我らは敵の罠に騙された振りをして敵を欺きましょう。遺跡ルーインズの近くまで行き、我らが罠に落ちる直前に、全速力で後退し、背後の敵を打ちかかるのです。伯爵夫人カウンテスは、必死に飛び出してくるはずです。それから、もし伯爵夫人カウンテスと接触した場合は、彼女とはこの通路内で戦うようにして下さい。先ほどのホールまで下がれた場合にも、伯爵夫人カウンテスとは通路内で戦うように」

「何故でしょうか?」

「彼女が得意とする武器はロングソードです。六十年前も、木々の多い森の中では剣を自由に振ることができていなかった。狭い通路では尚更です」

「心得ました」

 答えたソバリオも、後ろから続いているトノも、教会内で警護の任に当たっていたため、二人とも片手でも扱うこともできる短めのブロードソードを持っている。通路ではもっと小ぶりなショートソードの方が使い勝手が良かったが、彼らの持っている剣も、十分に振り回せるものだった。

「前方に何かあります」

 大まかな作戦を二人に理解させたところで前を歩くソバリオが言った。

「ドアのようです……が取っ手も何もありません。『証を示せ』と書いてあります」

「距離を考えると、この先は遺跡ルーインズでしょう。もしこのドアが開くようなら、全力で後退します。良いですね」

 二人が肯き、ソバリオがドアを押す。ゆっくりと動き出したドアを見て、三人は一斉に踵を返した。

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