第103話 泥棒ネズミ(ショール視点)
ランプの灯りの下で、ショールは書き物をしていた。机上に置かれた瓶の影が壁で揺れている。炎が立てるかすかな音以外には何も聞こえない。夜が更け、少し疲れを感じていたものの、アンデッド化する遺体の浄化を行っているため朝まで休むことはできない。
紙には、
「あと少しだな」
伸ばした右手でガラス瓶の蓋を持ち、ランプの明かりで透かし見る。薄蒼く光る水の中に数匹のスカラベオが浮いていた。足は一様に丸まり、もう動く事がないことが見て取れた。
「これはもう良いな」
蓋を開け、鉗子を使って一匹のスカラベオをつまみ上げる。水は、弾かれるようにスカラベオからしたたり落ちた。ランプのシェードを外し、鉗子で掴んだまま死骸を焼く。三匹の死骸を焼き終わると、ガラス瓶の中には、二匹のスカラベオと共に、怪しく揺れる液体が残った。
瓶を机の上に置き直すと、背後の床あたりから微かな音が聞こえた。静かな夜なので、殊更耳に響く。振り向いて見下ろすと何日か前と同じようにネズミがいた。その口には碧く光るものが咥えられていた。スカラベオだった。
椅子をはじき飛ばすようにして立ち上がる。ショールは、ネズミを踏みつぶすつもりだった。しかし、彼が足を踏み出す前に、そのネズミはドアと床の隙間に体を潰すようにして滑り込んでいた。
慌ててドアを押し開け、左右の通路を見る。暗い回廊の床の上で、光るスカラベオは目立った。それがちょろちょろと動いている。すかさず追いかけようとしたが、思い返して机上のガラス瓶とランプを掴んだ。ガラス瓶を腰のベルトに付けられた革製のポーチにねじ込み、ネズミを追う。壁に立てかけてあった杖も持った。逃げていった回廊の先を曲がると、碧い光が回廊から消えて行くところだった。東側の庭に出るドアの下を抜けたようだ。
「ソバリオ」
隣室で待機している騎士に抑えた声をかける。ほぼ同時にドアが開き、彼が飛び出してきた。警戒を命じているので帯刀していたし、服の下には鎖帷子を着込んでいるはずだった。
「アレを咥えた不審なネズミが居ました。追います。トノは?」
「起きました、すぐに来るでしょう」
護衛が二人しかいないため、交代で休ませていた。彼が宿で休息を取る日中は、宿での護衛と教会内の警戒で、二人とも活動しなければならないためだった。東の庭に出たことを告げ、ソバリオが先に進んだ。回廊から庭に出るドアを開けると、ランプで照らすまでもなく、ネズミが咥えている光が見えた。
その光は、蔵の入口に消えて行った。鍵がかけられていたら面倒だと考えたが、幸いドアは施錠されていなかった。ドアを開けたソバリオが言う。
「ワイン蔵です」
ワイン蔵が施錠されていないことに疑問も持ったものの、今はスカラベオを咥えたネズミの方が重要だった。
「こちらのようです」
地下に向かう階段を見つけたソバリオが進んで行く。ショールは、彼の足下を照らすようにランプを掲げて後に続いた。
「あっ! マナテアです」
階段の途中で声を上げたソバリオの視線をたどる。地下から、さらに下に降りた小さな穴の先にマナテアがいた。その手には、スカラベオを咥えたネズミがいた。
ソバリオの声に、マナテアが目を見開いている。そして、直ぐに姿が見えなくなった。階段を駆け下りるソバリオの足音とともに、マナテアの石畳を走るような足音が聞こえた。
「隠し通路のようです。梯子があります」
ショールは、ソバリオにランプを差し出した。
「追いなさい。抵抗するなら切り捨てて構いません。彼女はもはや神敵です。トノを待って、私もすぐに行きます」
「分かりました!」
ソバリオが、梯子を下って行く。ショールは踵を返し、回廊まで戻ったところでトノと鉢合わせた。ソバリオが軽装のまま応急の対応をしたので、休息していたトノは、ソバリオ以上に装備を調えている。鎧は鎖帷子だけだが、聖騎士団の紋章が描かれた盾も手にしていた。
「近衛の徴は持っていますね?」
「はい、こちらに」
トノは、腰に差した短剣に手を添えて見せた。繊細な装飾が施されたもので、一見すると儀礼用に見える。ショールを見つめ返す彼の目は細められていた。
「まさか?!」
「マナテアがスカラベオを奪いました。神敵と認定します。いざという時は使いなさい」
「はっ!」
「ランプは私が持ちます。重々警戒を」
トノからランプを受け取り、ショールは音を立てないように注意しながらワイン蔵に向かった。
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