第99話 月明かりのワイン蔵
ダリオは、白犬亭の入口ドアを静かに閉めた。ミシュラには、サナザーラから剣の稽古を付けてもらうためと言ってある。少し心配そうな顔をしていたもの、彼女は何も聞かなかった。月は出ているものの、建物の影が落ち闇の帳に被われた通りを見ていると、ゆっくりと天に昇って行ったエラの
ウェルタから、彼以外にはダリオを見張っている者はいないはずだと聞いている。それでも、以前より注意して
警戒しながら塀を乗り越え、ワイン蔵に入ったところで改めて周囲を見回す。すると、まっすぐに近づいて来る強い
「私も
ダリオの
「部屋から出ても大丈夫なのですか?」
ダリオは不安に思って聞いてみた。軟禁されていると聞いていたからだ。ただ、なるべく彼女とは目を合わせない。今日は合わせたくなかった。
「教会から出ないように言われているだけです。教会内は自由に動けるので大丈夫です」
「それなら良かったです。無理に出てきたのかと……」
ダリオが、今
「
マナテアとゴラルには、ウェルタから状況を伝えてもらっている。スカラベオを捕まえ、それを囮にしてショール司祭をおびき出すという考えも含めてだ。
「いえ、スカラベオを捕まえる準備はしてあります。出てきたスカラベオが碧く光りそうな人の治療も続けてます。
ダリオはそのつもりだったし、ミシュラにもそう言った。ただ、自分自身それが言い訳のように感じていた。どうしても歯切れが悪くなってしまう。
「そのためにわざわざ?」
適当にごまかすこともできず、ダリオがうつむいているとマナテアに手を引かれた。上の方にある小窓から月明かりが差し込んでおり、かろうじてワインを入れた木箱が確認できる。
「座って下さい」
マナテアは、その木箱に腰掛け、ダリオにも隣に座るよう示していた。ダリオは躊躇ったが、手首はマナテアに掴まれたままだった。仕方なく腰を下ろす。
「ダリオ、私はあなたの仲間になったはずです。その仲間に隠し事は良くありません。何があったのですか?」
横に座るマナテアが、のぞき込むように問いかけてくる。
「別に、問題はないです」
問題があるとしても、あくまでダリオの心の内の話だ。
「あなたの顔には『問題があります』と書かれていますよ」
ダリオの頭の中にあるものは、横たわり、冷たくなったエラの小さな小さな顔。それに、天に浮かび上がって行った美しい
サナザーラなら「しけた顔じゃな」とでも言って、何も聞かずに剣で打ちのめしてくれそうな気がした。それこそ、ダリオがボロぞうきんのようになるまで打ちのめしてくれたように思う。ダリオは、それを望んでいたのかもしれない。
「何故、何も言ってくれないのですか?」
口を噤んでいると、マナテアの問いに悲しみの色が混じる。ダリオは、仕方なく口を開いた。
「僕が……決めたことだから」
ダリオの答えに、マナテアはしばらく無言だった。視線は足下に落としている。彼女の顔は見ていない。それでも、見つめられていることは何となく分かった。
「ダリオに責任があることなのですね」
ややあって返された言葉は、ダリオの本心だった。ダリオは、膝の上に載せている拳を強く握りしめた。
「でも、ダリオは私に仲間になれと言いました。そして、今私はここにいます。あなたといっしょにいます。あなたに責任があることは、私にも責任があるはずです。あなたはそう考えなくても、少なくとも……まわりの人はそう言うでしょう。ダリオが決めたことでも、まわりの人は、私にも責任があると言います」
マナテアが続けた言葉は、ダリオの心を絞め殺しそうだった。
「だから、あなたは私に話す義務があるのです」
そう言ったマナテアの手が、ダリオの拳を包んだ。細く白い指だった。暖かい指だった。
「話して下さい」
マナテアが、何としてでもダリオの苦しみを吐き出させようとしていることは、良く分かった。話さなければならない。そう思ったものの、いざとなるとダリオの口は開かなかった。代わりに涙がこぼれた。やっと開いた口から出てきたものは、嗚咽だけだった。
背中から回された彼女の腕で抱き寄せられる。
「ヌルサも、よく泣いていました」
白死病で亡くなったというマナテアの弟のことだ。
「生きていれば、ダリオと同じ年でしょう」
反対の手も首から頬に添えられた。涙で彼女の服を汚してはいけないと思うものの、流れる涙は止まらない。
「でも……僕はもう十三です」
「何歳でも同じです。苦しい時は、一人で苦しんではなりません。一人で泣いていてはいけないのです」
そう言ったマナテアに抱きしめられる。細く弱々しいのに温かい。その温かさがダリオの体に染みこんでくるような気がした。
そのまま、ずいぶんと長く泣いていたような気がする。何とか涙を押しとどめたものの、マナテアはダリオを抱き留める腕を放してくれない。
「さあ、話して下さい。何があったのですか?」
優しい声がダリオの頭の上で響く。もう、隠しておくことはできなかった。
「スカラベオを捕まえようとして治療している患者は、
「出てくるスカラベオが光るはずだと聞いています」
ウェルタに伝えてもらったことだ。光るスカラベオなら、ショール司祭をおびき出せる可能性が高い。
「でも、他にも患者はいます。その人を治療しなければ、エラは助けることができた……はずです。エラはまだ小さかった。マナテアの弟が亡くなった時と同じくらいだった。それに、他の二人も助けられた」
「全ての人を救うことなどできませんよ」
彼女の胸元に頭を押しつけられたまま首を振る。
「分かっています。でも、できるだけ多くの人を助けたかった。
早口で吐き出すと、留めたはずの涙が、また流れ出してくる。マナテアの腕の力が強くなった気がした。これまで、すぐに答えてくれていた彼女が押し黙っている。ダリオが怪訝に思っていると、うなじに、暖かいものが流れた。
「マナテア?」
ダリオが顔を上げようとすると、抱き留めていた彼女の腕が緩む。
「私が殺したも同じではないですか」
そう言ったマナテアの白い頬を、二筋の涙が流れていた。
「でも……」
マナテアが首を振る。
「ダリオも私も罪人です。それを償って行かなければなりません。一緒に」
「はい」
ダリオが答えても、まだマナテアは泣いていた。
「泣かないで下さい」
「泣いているダリオが言っても、説得力がありませんよ」
そう言った彼女の顔に笑みが浮かぶ。それでも涙は流れ続けていた。
**********
「遺跡には行かなくていいのですか?」
立ち上がったダリオは、マナテアから問われた。
「剣の稽古というより、サナザーラにしかり飛ばして欲しかったのだと思います。でも……マナテアに話を聞いてもらったので」
マナテアは、優しげに笑っていた。
「それに、時間もなくなってしまいました。
互いに祝福を送り、ワイン蔵を出た。
人々が起き出す前の夜道を白犬亭に向けて走った。
ダリオは、今でも自分が罪深い人間だと思っている。それでも、その罪をいっしょに背負ってくれる人がいることが嬉しかった。
罪人だけど、罪人だからこそ、前に進まなければならなかった。
『碧いスカラベオを捕まえ、ショールを倒す!』
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