第99話 月明かりのワイン蔵

 ダリオは、白犬亭の入口ドアを静かに閉めた。ミシュラには、サナザーラから剣の稽古を付けてもらうためと言ってある。少し心配そうな顔をしていたもの、彼女は何も聞かなかった。月は出ているものの、建物の影が落ち闇の帳に被われた通りを見ていると、ゆっくりと天に昇って行ったエラのスフィアが脳裏にちらつく。ダリオは、それを振り払うことなく、ゆっくりと歩いた。

 ウェルタから、彼以外にはダリオを見張っている者はいないはずだと聞いている。それでも、以前より注意して聖転生レアンカルナシオン教会に向かった。怪しい人影やスフィアは見かけない。

 警戒しながら塀を乗り越え、ワイン蔵に入ったところで改めて周囲を見回す。すると、まっすぐに近づいて来る強いスフィアがあった。マナテアのスフィアだった。彼女が入口の前に立ったところでドアを開けてやる。真っ黒なローブを被った彼女が滑り込んで来た。

「私もスフィアを見ることに慣れてきました。闇夜に動き回るためには便利ですね。不死王が、暗殺も得意にしたと言われる理由が分かったような気がします」

 ダリオのスフィアが教会に近づいていることを見て、出てきたようだ。

「部屋から出ても大丈夫なのですか?」

 ダリオは不安に思って聞いてみた。軟禁されていると聞いていたからだ。ただ、なるべく彼女とは目を合わせない。今日は合わせたくなかった。

「教会から出ないように言われているだけです。教会内は自由に動けるので大丈夫です」

「それなら良かったです。無理に出てきたのかと……」

 ダリオが、今遺跡ルーインズに向かっている理由は、これまでと違い、ダリオのわがままのようなものだ。だから、マナテアが慌てて出てきたのではないことを知って安堵する。ほっと息を吐いたところで問いかけられた。

遺跡ルーインズ、いえ大聖堂カテドラルに向かうのですよね。何かあったのですか? 捕まえようとしていたスカラベオのことで、何か問題が?」

 マナテアとゴラルには、ウェルタから状況を伝えてもらっている。スカラベオを捕まえ、それを囮にしてショール司祭をおびき出すという考えも含めてだ。

「いえ、スカラベオを捕まえる準備はしてあります。出てきたスカラベオが碧く光りそうな人の治療も続けてます。大聖堂カテドラルに行こう思っているのは……サナザーラに剣の稽古をつけてもらおうと思って……」

 ダリオはそのつもりだったし、ミシュラにもそう言った。ただ、自分自身それが言い訳のように感じていた。どうしても歯切れが悪くなってしまう。

「そのためにわざわざ?」

 遺跡ルーインズは遠い。深夜に剣の稽古を付けてもらうために行くというのは、やはり不審に思われてしまった。ミシュラは何も言わなかったが、やはり彼女も疑問に思っていたかもしれない。

 適当にごまかすこともできず、ダリオがうつむいているとマナテアに手を引かれた。上の方にある小窓から月明かりが差し込んでおり、かろうじてワインを入れた木箱が確認できる。

「座って下さい」

 マナテアは、その木箱に腰掛け、ダリオにも隣に座るよう示していた。ダリオは躊躇ったが、手首はマナテアに掴まれたままだった。仕方なく腰を下ろす。

「ダリオ、私はあなたの仲間になったはずです。その仲間に隠し事は良くありません。何があったのですか?」

 横に座るマナテアが、のぞき込むように問いかけてくる。

「別に、問題はないです」

 問題があるとしても、あくまでダリオの心の内の話だ。

「あなたの顔には『問題があります』と書かれていますよ」

 ダリオの頭の中にあるものは、横たわり、冷たくなったエラの小さな小さな顔。それに、天に浮かび上がって行った美しいスフィアだ。それがダリオにとっての問題なのかは分からない。分かっている事は、この記憶を、思いを、頭から消し去ってはいけないということだ。

 サナザーラなら「しけた顔じゃな」とでも言って、何も聞かずに剣で打ちのめしてくれそうな気がした。それこそ、ダリオがボロぞうきんのようになるまで打ちのめしてくれたように思う。ダリオは、それを望んでいたのかもしれない。

「何故、何も言ってくれないのですか?」

 口を噤んでいると、マナテアの問いに悲しみの色が混じる。ダリオは、仕方なく口を開いた。

「僕が……決めたことだから」

 ダリオの答えに、マナテアはしばらく無言だった。視線は足下に落としている。彼女の顔は見ていない。それでも、見つめられていることは何となく分かった。

「ダリオに責任があることなのですね」

 ややあって返された言葉は、ダリオの本心だった。ダリオは、膝の上に載せている拳を強く握りしめた。

「でも、ダリオは私に仲間になれと言いました。そして、今私はここにいます。あなたといっしょにいます。あなたに責任があることは、私にも責任があるはずです。あなたはそう考えなくても、少なくとも……まわりの人はそう言うでしょう。ダリオが決めたことでも、まわりの人は、私にも責任があると言います」

 マナテアが続けた言葉は、ダリオの心を絞め殺しそうだった。

「だから、あなたは私に話す義務があるのです」

 そう言ったマナテアの手が、ダリオの拳を包んだ。細く白い指だった。暖かい指だった。

「話して下さい」

 マナテアが、何としてでもダリオの苦しみを吐き出させようとしていることは、良く分かった。話さなければならない。そう思ったものの、いざとなるとダリオの口は開かなかった。代わりに涙がこぼれた。やっと開いた口から出てきたものは、嗚咽だけだった。

 背中から回された彼女の腕で抱き寄せられる。

「ヌルサも、よく泣いていました」

 白死病で亡くなったというマナテアの弟のことだ。

「生きていれば、ダリオと同じ年でしょう」

 反対の手も首から頬に添えられた。涙で彼女の服を汚してはいけないと思うものの、流れる涙は止まらない。

「でも……僕はもう十三です」

「何歳でも同じです。苦しい時は、一人で苦しんではなりません。一人で泣いていてはいけないのです」

 そう言ったマナテアに抱きしめられる。細く弱々しいのに温かい。その温かさがダリオの体に染みこんでくるような気がした。

 そのまま、ずいぶんと長く泣いていたような気がする。何とか涙を押しとどめたものの、マナテアはダリオを抱き留める腕を放してくれない。

「さあ、話して下さい。何があったのですか?」

 優しい声がダリオの頭の上で響く。もう、隠しておくことはできなかった。

「スカラベオを捕まえようとして治療している患者は、スフィアの力が弱い人です」

「出てくるスカラベオが光るはずだと聞いています」

 ウェルタに伝えてもらったことだ。光るスカラベオなら、ショール司祭をおびき出せる可能性が高い。

「でも、他にも患者はいます。その人を治療しなければ、エラは助けることができた……はずです。エラはまだ小さかった。マナテアの弟が亡くなった時と同じくらいだった。それに、他の二人も助けられた」

「全ての人を救うことなどできませんよ」

 彼女の胸元に頭を押しつけられたまま首を振る。

「分かっています。でも、できるだけ多くの人を助けたかった。スフィアを見ることができるから、僕にはそれができるはずだったのに……そうしなかった。ミーナを助けて、碧いスカラベオを捕まえるためだったけど、三人を見殺しにしたんです!」

 早口で吐き出すと、留めたはずの涙が、また流れ出してくる。マナテアの腕の力が強くなった気がした。これまで、すぐに答えてくれていた彼女が押し黙っている。ダリオが怪訝に思っていると、うなじに、暖かいものが流れた。

「マナテア?」

 ダリオが顔を上げようとすると、抱き留めていた彼女の腕が緩む。

「私が殺したも同じではないですか」

 そう言ったマナテアの白い頬を、二筋の涙が流れていた。

「でも……」

 マナテアが首を振る。

「ダリオも私も罪人です。それを償って行かなければなりません。一緒に」

「はい」

 ダリオが答えても、まだマナテアは泣いていた。

「泣かないで下さい」

「泣いているダリオが言っても、説得力がありませんよ」

 そう言った彼女の顔に笑みが浮かぶ。それでも涙は流れ続けていた。


     **********


「遺跡には行かなくていいのですか?」

 立ち上がったダリオは、マナテアから問われた。

「剣の稽古というより、サナザーラにしかり飛ばして欲しかったのだと思います。でも……マナテアに話を聞いてもらったので」

 マナテアは、優しげに笑っていた。

「それに、時間もなくなってしまいました。遺跡ルーインズまで行っていたら、明るくなってしまいそうです。サナザーラにスカラベオを囮に使うことも話すつもりでしたが、またにします」

 互いに祝福を送り、ワイン蔵を出た。スフィアを見て、窓際から庭を窺っている人がいないことを確認して塀を越える。

 人々が起き出す前の夜道を白犬亭に向けて走った。聖転生レアンカルナシオン教会に向かっていた時の悲壮感はなかった。

 ダリオは、今でも自分が罪深い人間だと思っている。それでも、その罪をいっしょに背負ってくれる人がいることが嬉しかった。

 罪人だけど、罪人だからこそ、前に進まなければならなかった。

『碧いスカラベオを捕まえ、ショールを倒す!』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る