第98話 エラ

 粗末なアンクが掲げられた祭壇の横に腰を下ろし、ダリオは何を見るでもなく、礼拝室を見渡していた。

 意味を持たない視界の中で、ゆっくりと動くものがある。浮かび上がってくるスフィアだ。死霊術師ネクロマンサーだけが見ることのできる人の死。

『二人目……』

 ミーナの治療を行うと決め、その代償として、この礼拝室に横たえられている三人に魔法を施すことを諦めた。

 今さら後戻りはできない。三人の内、二人が死に、残っているのはエラという名前の少女だけだ。彼女も既にかなり衰弱している。今日の夕まで保たないかもしれない。今から彼女を助けようとすれば、エラにも多くの魔力を使わざるを得ない。ミーナは確実に助からない。ミーナは、ダリオが全力で治療しても苦労する程にスフィアが弱く、生命力を簡単にスカラベオに吸われていた。


     **********


 ミーナの治療をすると告げた時、エイトは涙を流して感謝してくれた。しかし、それは大変なことだった。

 彼女の治療は、エイトの頼みを聞いたからではあったが、それ以上に体の中に入っているスカラベオを捕まえるためだ。出てくるスカラベオは、恐らく碧く光っているはず。

 そのために、エイトに彼女の両親を説得してもらい、横たわったままの彼女を、こっそりと白犬亭に運び込んだ。ダリオとミシュラが泊まっている部屋だ。もちろん、クラウドにも事情を話してもらった。彼は、ミーナが聖転生レアンカルナシオン教会派だったことから反対していたが、ダリオが運び込むことを条件としていたので何とか認めてくれた。

 毎日、長い時間ミーナの家に籠もった上で治癒ヒールをかけ続け、それを秘密にすることなど不可能だった。

 大きな袋もエイトに準備してもらった。コール芋を保管するために使っていたずた袋を繋げたものだ。七日目には、彼女の体を袋に入れ、出てくるスカラベオを絶対に捕まえる。

 準備以上に大変だったのは、魔法での治療そのものだった。治癒ヒールをかけてもかけても、彼女は衰弱した。ヌール派教会に行っている間も油断はできなかった。ダリオは、出かける前に精一杯の魔法をかけ、昼に一度戻って治癒ヒールをかけた。そして、夜もまた治療をする。


 それでも昨夜は危なかった。ダリオが教会から戻ってくると、もうスフィアが体から離れかけていた。左手に魔力を込め、スフィアを押さえる。同時に右手に魔力を込め治癒ヒールをかけ……ようとした。

 スサインに言われてから、スフィアの制御と神聖魔法を同時に扱う訓練を始めていた。しかし、始めてから六日ほどしか経っていない。その上、基本的に難しいことだと言われた通り、やはり難しかった。

 神聖魔法で生命力を回復させようとすればスフィアの制御が揺らぎ、スフィアを押さえつけようとすれば神聖魔法が途切れる。それどころか、片方に意識を集中すれば、もう片方は逆の作用になりそうだった。

 ダリオは、スサインに言われ幻痛ファントムの鍛錬もしていた。そのために偽りのスフィアも作っている。スサインは、偽りのスフィアは負の力を持ったスフィアだと言っていた。神聖魔法を行使しながらスフィアを保持しようとすると、自然とスフィアに負の力を与えてしまいそうになるのだった。

 スフィアの制御は魔力によって行う。だからスフィアの制御は、不死魔法の一部とも言えるはずだ。不死魔法を使ったからと言って、神聖魔法の能力を失うことはないものの、同時に行使することは難しいらしい。この点では、魔法の双角錐が正しいとも言えるようだ。

 だが、難しいだけで、できないことではなかった。スサインも訓練するように言っていたし、ダリオもおぼつかないながらミーナのスフィアを押さえつけながら治癒ヒールを施すことができた。

 もしかしたら、体が致命傷を負い、完全にスフィアが離れてしまっても、スフィアさえ保持していれば、体を再生してスフィアを戻すことができるのかもしれない。そんなことを考えた。

 スサインは、偽りのスフィアを持つアンデッドは、不死魔法の失敗から生まれたものだとも言っていた。

 もしかしたら、偽りのスフィアを持つアンデッドは、スフィアの保持と神聖魔法を同時に行使しようとして失敗した結果なのかもしれない。

 ダリオは、そこまで考えて思い出した。初めてマナテアと会った日の野営で彼女から聞かされた言葉だ。

『合成できないだけで、火の魔法と水の魔法、両方を行使することはできます。もしこれと同じなら、神聖魔法と不死魔法も、合成できないだけで両方を行使できるはず、ということになります』

 合成ではないのかもしれない。不死魔法と神聖魔法の同時行使をすることができれば、完全に離れてしまったスフィアを肉体の修復をしながら体に戻す、つまり完全な復活リザレクションができるのではないだろうか。

 同時行使である復活リザレクションが失敗すれば、アンデッドを作り出す結果になってしまうのではないだろうか。だから禁忌にされているのではないだろうか。でも、禁忌としているのは聖転生レアンカルナシオン教会だ。推測だけでは、確かなことは言えなかった。

 ダリオは、ミーナの治療をしながらそんなことを考えていた。


     **********


 記憶をたどっていたダリオの視界の中で、また一つ、浮かび上がるスフィアが見えた。小さな体から浮かび上がる強いスフィア

 エラのスフィアだ。ダリオは、右手で胃のあたりを押さえながら、ふらふらと立ち上がった。彼女が横たえられた長いすに近寄る。今ならまだ間に合った。ミーナの治療をしたことで、スフィアを押さえながら治癒ヒールを行うこともできるようになった。

 だが、息絶える程まで衰弱した彼女を救えば、ミーナを助けることはできなくなる。ダリオの魔力では足りなかった。先に亡くなった二人は、ただ無駄な犠牲になってしまう。

「ごめん」

 いつの間にか、頬を涙が流れていた。

「ごめん……」

 ゆっくりと、エラのスフィアが昇って行った。それを見上げながら、ダリオはただ泣いていた。

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