第97話 謝罪、誓い、祈り

 ミーナの家を出てヌール派教会に向かった。感染者が減ってきたことは、市内の住民にも広まって来たのか、通りを歩く人も増えている。

「どうするの?」

 道すがら、ミシュラに尋ねられた。ミーナを治療するのかどうかだ。エイトには、とりあえず治癒ヒールをかけたので、夕方までは大丈夫だと言ってある。

 エイトはダリオの事情も分かっている。それにクラウドや以前の白犬亭亭主は、遺跡ルーインズの補修用具を届けるなど、補給面で助力してくれたそうだ。だから、エイトの頼みなら、ミーナを治療した方がいいことは分かる。

「助けたいけど……難しい」

「どうして?」

「昨日教会で、この人たちは助けられそうって話したよね」

「三人の人?」

 肯いて続ける。

「ミーナさんを助けようとすると、多分あの三人は助けられない」

「薬だけじゃ無理なの?」

 今度は首を振る。視線は、ほこりっぽい路面に落としたままだ。

「もちろんやってみるけど、多分無理。ミーナさんは、スカラベオに生命力を吸い取られ易いんだ。ミーナさんを助ければ、多分、前に話したみたいに碧いスカラベオが出てくるよ……」

 自分の言葉に気付かされた。ミーナを助ければ、彼女の中にいるはずのスカラベオは碧く光るだろう。それは、ショール司祭をおびき出す材料になるかもしれない。

『多分、なる!』

 碧く光るスカラベオは、多くの生命力を吸っている。それに目立つから誰かに捕まえられる可能性が高い。それが誰であれ、スカラベオを調べられることは教皇庁にとってまずいはずだ。

 ミシュラがショール司祭の部屋で蹴飛ばされたことも思い出した。ネズミになったミシュラが、碧く光るスカラベオを咥えて逃げれば、必死に追いかけてくるに違いない。

 それは、ダリオにとって魅力的な思いつきだった。しかし、それを実行するためには、三人を見捨てなければならない。

 ダリオは、教会に向けて進めていた歩みを止た。

「どうしたの?」

 突然立ち止まったため、ミシュラに怪訝そうに見つめられる。ダリオは、答えられなかった。


     **********


 ミシュラに手を引かれ、教会に着いた。礼拝室に入っても、長いすに寝かせられている患者、特に助けられそうだと思っていた三人を見ることができなかった。

 この三人を救うか、ミーナを救うか決めなければならない。ミーナを救えば、碧く光るスカラベオも手に入れることができる。それを使えば、ミーナだけでなくマナテアも救うことができるかもしれない。しかし、助けられるはずの三人を見捨てることには変わりがなかった。

「亡くなっている人はいなかったよ。薬の準備をするね」

 立ち尽くしたまま思考の淵に沈んでいると、ミシュラから告げられた。彼女も、もう手慣れている。指示をしなくても必要なことをしてくれる。

 ダリオの気持ちははっきりしている。ミーナを助けたい。そして、マナテアを助けたかった。しかし三人を見捨てる決心が付けられなかった。

 ミーナを助けるなら、今日の治療では治癒ヒールを使わず、魔力を温存しなければならない。相談できそうな人はいない。ミシュラに話し、彼女に決断の重荷を背負わせることはできなかった。ダリオ一人で、今、決断しなければならなかった。

『どうしたらいいんだ?!』

 ダリオは、心の中で叫ぶ。

 今までも、多くの人を見捨ててきた。全ての人を救うことはできないからだ。しかし、今までは常に、より多くの人を助けるためだった。

『マナテアの言っていた聖転生レアンカルナシオン教会と同じだ!』

 寄付の金額か、ダリオにとって大切な人かの違いだけだった。

 ダリオは、空いている長いすに腰掛け、自分の足先を見つめる。そこに答えはない。目は開いていたが、何も見えていなかった。

「薬、飲ませるよ」

 ミシュラの言葉に肯いたかどうかも定かではなかった。ダリオは、言い訳を探していた。マナテアを助けるために、三人を見殺しにする言い訳だ。

 教皇庁は、スカラベオを使って白死病を引き起こしている。彼らと戦うためには仲間を増やさなければならない。それも強力な仲間を。マナテアは、元素の魔女オーラの転生者かもしれない。マナテアを守り、教皇庁と戦えば、白死病で亡くなる人は少なくすることができる。これは間違いないはずだった。

『でも、ただの理屈だ』

 本心では、ただマナテアを助けたいだけなことを分かっていた。いつの間にか、ダリオの膝の上で、両の掌が合わせられ、指が組み合わされていた。力を込めた指と手の甲が白くなっている。

 見覚えがあった。でも、記憶の中のそれはダリオ自身の手ではない。もう少し大きかった。細く、ガサガサに荒れ、薬草の汁で黒く汚れていた。

『ウルリスの手だ……』

 彼女の癖がうつったのかもしれなかった。記憶の中のウルリスは、いつも明るく笑っていた。でも、本当は悩んでいたのだ。ダリオも、それを意識することなく感じていたのかもしれない。だから、その癖がうつっていたのかもしれない。

 ウルリスは、内心の悩みをダリオに意識させることなく悩んでいたに違いない。ダリオは、そのことを今になって知った。彼女は、一人で悩み、そして、決心してきた。ダリオも、甘えることは許されなかった。

 進むべき道は決まっている。最終的に、より多くの人を助ける。そのためには、今助けられない人は切り捨てる。苦しくても、その決断をしなければならなかった。

 ダリオは、ゆっくりと立ち上がり、歩き出す。ミーナを治療しなければ助けられるはずの三人のところだ。その中でも一番小さな子のところにミシュラがいた。六歳くらいの女の子だった。

「この子、エラって名前だったっけ?」

「うん。そうだよ」

 ミシュラが薬呑容器で煎じたトロコロを少女の小さな口に注いでいる。ダリオは、ミシュラの横で祝福の印を結ぶ。そして、心に中で少女に、まだ小さな胸に輝くスフィアに謝罪し、誓い、祈った。

『ごめんなさい。君を助けることはできない。その代わり、この命が尽きるまで白死病とそれを引き起こしている教皇庁と戦います。だから……あなたのスフィアに神の祝福があらんことを』

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