第96話 一人か三人か

 ダリオとウェルタが白犬亭に帰り着いた時、既に厨房には人気があった。音を立てないようにドアを閉めたものの、エイトが顔を出した。風の流れで気がついたのかもしれない。

「やっと帰ってきたか」

 空も白み始めている。

「遅くなりました」

 ダリオが小声で答えると、手招きされた。ウェルタがいっしょにいることで、エイトが怪訝な顔をしている。

「私は休むぞ」

 ウェルタは疲れた顔をしていた。手を挙げて見送り、厨房の入口に行く。まだミシュラも来ていない。竈に火も入っていなかった。

「話があるって言っただろ」

 すっかり忘れていた。疲れていたものの、明日の朝なら話を聞くと言った手前、話を聞かざるを得ない。

「何ですか?」

 尋ねると、奥に引っ張り込まれた。

「助けて欲しい。ミーナが白死病なんだ」

 エイトの目は真剣だった。ミーナの名前はミシュラから聞いた事があるだけで、ダリオは会ったことがない。教会に連れて行けない事情も聞かされた。

「とりあえず、診てみないと助けられるか分からないよ」

 もしミーナのスフィアが非常に強いものならば、何度かこっそり治癒ヒールをかけるだけで助けられるかもしれない。しかし、そんなことは文字通り万に一つの可能性だろう。それでも、エイトの頼みを無視する訳にはいかなかった。

「頼むよ。ミーナを助けてくれたら何でもする。聖転生レアンカルナシオン教会に睨まれようが、一生お前の手下になってもいい!」

 助けられる可能性が低いだけに、彼の真剣さがかえって苦しかった。朝食後、教会に行く前にミーナの家に寄ることを約束した。その前に、彼女の両親には話をしてもらうようにも言っておいた。


     **********


 エイトといっしょに白犬亭を出る。エイトは、クラウドに買い出しに出ると言っていた。ミシュラもいっしょだ。

 入口のドアを後ろ手に閉め、エイトがそそくさと隣の家に向かう。彼が小さくノックするとドアが開き、中年の女性が中に引き入れてくれた。

「ミーナのお母さん、サヘナさんだ」

 エイトが紹介してくれる。

「ヌール派の教会で白死病の治療をしているダリオ。それとミシュラ」

「とりあえず、ミーナさんの病状を診させて下さい。それと、僕らがミーナさんを診たことは誰にも言わないようにお願いします。教会の薬を持ち出すことになるかもしれないので、バレたら困ります」

 魔法のことは話せないし、治療をどうするにせよ、秘密にしてもらった方が良かった。サヘナが肯き、ミーナが寝ている部屋に案内してくれた。

「トレオンおじさんは?」

「もう出かけてるよ。仕事を休むこともできないしね」

 家の中には、彼女とミーナしかいないらしい。神聖魔法を使うとしても、サヘナに見られなければ問題ないはずだった。

 家の造りは粗末で、エイトから聞いていた通り、聖転生レアンカルナシオン教会に寄付する余裕はなさそうだ。

「ここだよ」

 サヘナに案内された部屋には、藁を固めたベッドにミーナが横たえられていた。毛布から覗く顔は、既に真っ白になっている。

 ダリオは、顔色以上にスフィアを見た。かなり弱いスフィアだった。とても白死病に耐えられるとは思えないものだ。

「具合が悪くなったのは一昨日なんですよね?」

「そう。昼までは元気だったんだよ……」

 二日経っていなかったが、スフィアが弱く、もう事切れても不思議はないように思えた。このままでは、夕方まで保つかどうかも怪しい。既にこの状況では、完治させることは不可能と言ってもよいくらいだ。しかし、今そんなことを告げることはできなかった。

「どうだ?」

 囁いてきたエイトに、耳打ちする。

「サヘナさんを部屋の外に」

「何をするんだ?」

 そう問われても、この場では答えられない。ただ首を振ると、エイトは不満な顔でサヘナに話しかけていた。当然、彼女もミーナのことが心配で、この場に残りたそうだったが、エイトが相談があると言って連れ出してくれた。

「ミシュラ、ドアの所で、外から覗かれないように見張ってて」

「分かった」

 エイトがサヘナを連れ出してくれても、それだけでは安心できない。ミシュラに見張りを頼んでミーナに治癒ヒールをかけた。魔法の光が漏れないよう、弱い魔法をゆっくりとかける。

「こんなものかな」

 何とか、夕方までは保たせられそうなところまで回復させた。ただ、エイトには難しいと告げざるを得ないだろう。

 もし彼女を助けようとするなら、ダリオは魔力の大半を彼女に使わざるを得ない。患者が少なくなって来たこともあり、ヌール派教会に運び込まれた患者の内、後三人くらいは助けられそうだった。ミーナを助けるということは、その三人を見捨てることになる。しかも、その中にはダリオよりも小さな子供も交じっていた。

 ダリオは、胃が引き締められる思いを抱えながら立ち上がった。

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