第32話 タイトナ・フルール
「どういうことですか?」
肩をすくめたタイトナは、どうという程でもないとでも言わんばかりだ。
「覚醒したら、体質も変わるってことさ」
過去の記憶に目覚めるとか、過去に身につけた技術を思い出すと聞いている。しかし、体質が変わるという話は聞いたことがなかった。
「本当ですか?」
尋ねたというより、疑ってかかった感じだ。それでも、タイトナ飄々としていた。
「俺もそんな話は聞いたことがないが、そいつが言うなら本当のことかもしれないぞ」
そう言ったのはクラウドだ。
「あちこち渡り歩いているから、いろんな事を知っているのさ。雑学王ってやつだな」
「そうなんですか」
「失礼ですね。僕は吟遊詩人ですよ。古今東西のあらゆるできごとを語り継ぐ者。ありとあらゆる知識に精通していて当然でしょう」
タイトナの役者めいた台詞にも、クラウドは憎まれ口を返していた。
「けっ、ただの年の功だろうに」
「そんな、年の功だなんて……タイトナさんは、そんな年じゃないでしょう」
ダリオは、軽く援護したつもりだった。しかし、返された言葉に驚かされる。
「馬鹿言うない。そいつは、俺がエイトくらいの年からここの客だぞ」
ということは、タイトナはいっぱしに働ける孫がいる年だということになる。
「え?!」
彼を見ると、否定することもなく、静かに楽器を磨いていた。
「魔法……とかですか?」
ダリオが遠慮がちに尋ねると、タイトナは少しばかり考えていた。
「もし魔法だったら?」
ダリオの方が聞きたいくらいだ。首を振って答える。
「分かりません」
「僕は、今頃世界一のお金持ちだろうね」
若返りの魔法が使えたら、大枚を叩いてくれる人は多いだろう。
「なるほど……」
しかし、となるとタイトナの外見は謎だ。安宿に泊まりながら化粧をしているとは思えない。異常体質なのだろうと思うしかなかった。
覚醒で体質が変わるのかどうかは良く分からない。それに、そもそもミシュラが変身するのはアタル族だからだ。
ダリオは、ウルリスに連れられ、アタル族が多く住む地域を旅したこともある。しかし、当時はまだ小さかったし、変身能力にさほど興味を持っていなかった。面白い能力だというくらいにしか考えていなかったから、詳しく知ろうともしなかった。
この話題を続けると、ミシュラがアタル族であることにも触れなければならなくなる。話題を変えたかった。それに、タイトナが博識なのであれば、尋ねたいことがあった。
「タイトナさん。全然違う話なんですが、白死病に関係するスカラベオがいるって話を聞いたことがありますか?」
ウルリスが口にしていたとは言わない方がいい。安置していた遺体に付いていたスカラベオについて話した。
「白死病に関係しているって話は聞いたことがないね。ただ……」
そう言うと、タイトナは抱えていた楽器を軽くつま弾いた。
「腐肉を食べるスカラベオは、聞いたことがあるよ」
「腐肉を食べるスカラベオ……ですか?」
想像できなかったダリオがオウム返しで尋ねると、タイトナは肯いた。
「確か、かなり小さな種類のスカラベオで、野山で死んだ動物の死体をあさって食べるらしい。僕も目にしたことはないけれど、考えてみれば、糞を食べることと大差ないのじゃないかな?」
そう言われてみれば、確かにそうだ。そうすると、遺体についていたスカラベオは、遺体を食べようとしてたのかもしれない。
「なるほど。でも、それが生きている人の白死病に関係するのかは、やはり良く分かりませんね」
「そうだね。でも、腐肉を食べるスカラベオが白死病に関係しているのなら、騎士団が街の封鎖をしても、白死病は広まってしまうんじゃないかな。スカラベオはどこにでもいるし、小さなものは市壁の隙間だって通り抜けてしまうよ」
「それも……そうか。ありがとうございます」
やはり、考え直した方が良さそうだ。ダリオが礼を言うと、タイトナは、無言で楽器の弦を弾いた。彼なりの返答なのかもしれない。
ダリオがテーブルに肘を突き、手に顎を乗せて思考を巡らせていると、厨房からエイトが出てきた。
「爺さん、鍋はミシュラが見てる。ペルミが出来上がったら入れてくれ」
クラウドが捏ねていたのは、鍋で野菜や肉といっしょに煮込むペルミだったらしい。エイトは、腰に縛り着けていたエプロンを外し、手を拭っていた。身長は低めだが、がっしりとした体つきで、宿の主人よりも、木こりの方が似合いそうな顔をしている。
「お前はどうするんだ?」
「俺は鳩に餌をやってくるよ。すぐ戻る」
白犬亭の屋上には、鳩小屋があり、何羽もの鳩が飼われていた。タイトナが冗談めかして尋ねている。
「鍋に入れてくれるのかい?」
「冗談じゃない。他に食べるものがなくなれば考えるが、うちの鳩は食べるために飼ってるんじゃないんだ。友達みたいなもんなんだからな。穀潰しになんて食わせるもんか」
ずいぶんな言いぐさだったが、タイトナは相変わらずどこ吹く風だった。
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