第31話 白犬亭
「ただいま」
ダリオが白犬亭に入ると、店主のクラウドは、椅子に座りテーブルで何かの粉を捏ねていた。夕食の調理中だったのだろう。奥の厨房から湯気と明かりが漏れていた。
「おかえり。客か?」
ダリオに続いて入ってきたウェルタを見て、目を細めている。それでも彼は座ったままだ。足を痛めて難儀していることもあるのであろうが、鎧に目を向けていた。
この白犬亭の店主はクラウドが務めているものの、足のこともあり、実際に宿を切り盛りしているのは、彼の孫のエイトだ。奥の厨房にいるのか、姿は見えなかった。
「聖騎士団のウェルタさんです。宿を探しているそうです」
「こちらに泊めて貰いたいのだが」
「宿だから、泊めるのはやぶさかじゃないが……旧市外に行った方がいいんじゃないかね?」
「見習いなのだ。宿は安い方がよい」
ウェルタが苦い顔で答えると、クラウドは一晩十デルカだと言っていた。ダリオ達の宿賃と比べるとかなり高い。それでも、ウェルタは旧市外よりは安いと言って泊まることに決めていた。
とりあえず三日分だと言って三十デルカを払い、あてがわれた部屋に向かって行く。その後ろ姿を見送りながら、クラウドが呟いた。
「ふっかけたつもりだったんだがなぁ」
「僕が知っている女性の話を聞きたそうな感じでした」
「なんだよ。そんな理由か。全く若い者は……」
ダリオは、苦笑いしてクラウドの隣に腰を下ろした。彼は、ぼやきつつも手を動かしている。
「ミシュラは、大丈夫そうですか?」
歓迎されない客を連れて来てしまった。妙な矛先が向いてくる前に話題を変える。
「あの年で料理を手伝ったこともなければ、竈の扱いもろくにできないなんて聞いたこともねぇぞ。正直、大して役には立たねぇな」
一年前まで、ほとんどの時間を奴隷として箱に閉じ込められていたし、ダリオに尾いてくるようになってからは、旅暮らしばかりだった。厨房の仕事が分からなくても仕方ない。
「すみません。特殊な育ちみたいで……」
「まあいいさ。言われたことは真面目にやってるからな。息子夫婦が生きているか、俺の足がしっかりしていれば、手伝いなんて要らなかったんだが……」
クラウドが足を痛めていたおかげで、ミシュラでも使って貰えたのだろう。薬を少し譲ったことも影響したのかもしれないが助かった。息子夫婦は、十年ほど前にそろって白死病で亡くなったらしい。
助かったのは金銭的なことだけではない。むしろ、ミシュラに手伝いをさせた理由は別にあった。彼女が、知らないうちに肉を口に入れてしまわないためだ。肉を食べられない特殊な体質なのだと言ってある。
「ありがとうございます。肉を煮込んだスープを飲んだだけでも具合が悪くなってしまうんですよ。手伝っていれば、間違って口にしてしまうこともないですから」
「肉は高いから構わないが、その体質が治らなきゃ、いつまで経っても骨と皮のままだぞ。よくあれでくたばらないものだと思うくらいだ。もう少しすりゃ子供も産める年だろうに、あれじゃ無理だな。子供を孕んだら、それこそ死んじまうぞ」
ダリオも、彼女に肉を勧めたことがある。野宿をしている時など、変身してしまっても構わない時に、食べてみたらどうかと勧めた。しかし、彼女は、頑として口にしなかった。変身してしまうこと自体を気にしているようだ。
だから、ダリオとしてもあまり彼女に変身させたくない。とは言え、旅をしている時は、変身してもらわないと彼女自身が重荷にしかならない。あまりに痩せているので、人間の姿では大して荷物を持つこともできなかった。
肉が入っているかもしれない、というだけで食べられないので、この一年でも、背は伸びたものの、餓死しそうなほど痩せていることには変わりがなかった。
「多分、覚醒したら食べられるようになるよ」
食堂の隅から声がした。
「タイトナさん。そんな端っこじゃなくて、こっちに出てきたらどうですか?」
「商売道具を誰かに蹴られても困るからね」
そう言いながら、彼は抱えた楽器を布で磨いていた。ダリオが白犬亭に来た数日前から泊まっているらしい。タイトナ・フルールと名乗っていたが、貴族なのか不明の怪しい人物だ。細面の美男子で、長い金髪が美しい。年は二十代の半ばだろう。
彼は旅の吟遊詩人だ。白死病による封鎖で、町から出ることが出来なくなってしまったという。あちこちの宿に泊まりながら、歌を歌って生活するのが基本らしいが、封鎖された町では誰もが財布の紐がきつくなる。商売にならないので、一番安い白犬亭に腰を落ち着け、楽器を磨くだけの生活をしているらしい。
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