第28話 カナッサ(マナテア視点)
マナテアとアナバスは、カナッサの治療にあたっているチルベス教会の聖職者に挨拶だけを済ませ、教会を出た。二人の荷物はゴラルが持った。
無言のまま宿に戻り、今は人だけは多いものの陰鬱な食堂で卓を挟んで向かい合っている。他の客は、封鎖によりチルベスから出られなくなった者たちだ。三人の醸す雰囲気は、彼ら以上に暗く刺々しいものだった。
温められたナバの乳を呑み、マナテアは吐息を付く。まだ頭は混乱していた。それでも話を聞ける程度には落ち着いた。それを読み取ったのか、アナバスが静かに問いかけて来た。
「マナテア、あのまま拒み続けたらどうなったと思う?」
現実感がなかった。どうなっても構わないとさえ思えた。
「処罰を受けるのでしょうか? ただ、私は聖職者ではありませんし、ショール司祭がアカデミーに何か言えるとは思えません。いよいよ……処分でしょうか?」
アナバスは、悲しげに頭を振った。
「ショールの代わりにアンデッドの浄化をさせられるだけじゃよ。そして彼らは今までと同じようにあの患者、カナッサと言ったか、の治療を続ける。それだけじゃ」
「それならば、最初からそうすれば良いのに……」
マナテアは、無力感に苛まれていた。助けられる人を見捨てなければならない。
「なぜそうしなかったと思う?」
分からなかった。マナテアは、ただ首を振った。
「あのマッキージという商人は、今回の件で、今まで以上にナグマンやショールに感謝するようになったじゃろうな」
マナテアは息を飲んだ。自分がナグマンとショールに利用されたという事実に思い至る。その恐ろしさに身がすくむ。
「ナグマン大司教は、お嬢様の評判、それも……必ずしも良くない評判に目を付けたのでしょう」
ゴラルでさえ気が付いていた。自分の視野の狭さと仕組まれた悪辣さに吐き気を覚える。目を見開き、両手で口を押さえた。自然と涙が零れてしまう。
「それだけではないかもしれないがの」
香草茶から立ち上がる湯気の向こうで、アナバスの伏せた目が光っている。もうエールを飲んでも良い時間だったが、アナバスはあまり酒を飲まない。
「あのカナッサという青年の治療は、我らが予想する以上に難儀かもしれん。時折、ショールに付いていた騎士が慌てておった」
わななき、口を開けずにいるマナテアに代わり、ゴラルが問いかける。
「どういうことでしょうか?」
「魔力的な見方では、白死病は生命力が減少する病じゃ。ただ、その生命力の減少は一定ではない。あまり減少しない時もあれば、急に減少することもある。十分な生命力があると思っていても、目を離した隙に急に減少してしまうことがある。あの青年の場合、ソバリオやトノでは、その急な生命力の減少を支えきれない時があったのかもしれん」
「それはつまり……」
マナテアは、またしても息を飲んだ。
「ショール達でも、そして我々でも、あまり目を離すとあの患者は危ないということじゃ。ショール司祭は、責任を取りたくなかったのじゃろう。もしもの時は、その責任を”黒い聖女”に押し付けるつもりなんじゃ……」
マナテアの口からは、思わず「ふふっ」と笑いが零れた。もう、笑うしかなかった。自虐の笑いだ。決して良いものではない。
それでも、笑うと心は少しだけ軽くなった。
「では、頑張るしかありませんね」
そう言って、マナテアはナバの乳を口にする。アナバスの顔も、少し柔和なものに戻ったように見えた。例え不健全な状態でも、マナテアが前向きになったことに安心したのかもしれない。
「明日からは、儂とマナテアは、交代で治療に当たった方がいいじゃろう。手伝ってくれるチルベス教会の者と三交代にすれば良い」
マナテアとアナバスは、明日からカナッサの治療に当たる予定だ。今は、神聖魔法の使えるチルベス教会の聖職者、アユサール司祭とワデム助祭が治療に当たっている。
その後、治療の順番を決める話をした。
ゴラルという護衛のいるマナテアは、例え深夜に出歩いても安全だ。マナテアよりもアナバスの方が危険だと言える。そのため、日中はアナバスが治療にあたり、マナテアが夕方から深夜まで、深夜から翌朝をアユサールとワデムに担当してもらうことに決めた。
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