第27話 ナグマンとショール(マナテア視点)

 礼拝堂から見える祭壇上には、人の背丈ほどもある巨大なアンクが掲げられていた。十字の上の部分がループ状になっていて、生命を表している。聖転生レアンカルナシオン教会の象徴の一つとなっているもので、スカラベオ以上に、聖転生レアンカルナシオン教会にとって大切なものだった。ここに置かれているものは、宝石が埋め込まれた豪奢な作りになっていた。

 ここに置かれた長いすは、飾り彫りの施された豪華なものだ。ただ、どの長いすも、横たえられた白死病患者に占められている。

 ステンドグラスを透過した七色の光の下、患者に治癒ヒールをかけ続けているマナテアの所にアナバスがやって来た。

「まだ頑張るつもりかな? 儂はもう限界じゃ」

「この方の治療が終わったら、私も切り上げます。明日までに魔力を回復できそうにありません。これ以上続けても、明日の治療ができなくなるだけです」

 圧倒的に、神聖魔法を使える者が足りなかった。ノフルの町に続き、ここチルベスでも白死病が発生した影響が大きい。

「お嬢様、それにアナバス教授、ナグマン大司教がお呼びです」

 呼び掛けてきたのはゴラルだ。教会内では護衛の必要がないため、マナテアとアナバスの雑用をこなしている。

 二人は、チルベスの聖転生レアンカルナシオン教会を取りまとめているナグマン大司教からの呼び出しということに驚いた。思わず顔を見合わせる。

 マナテアとアナバスは、教皇庁から派遣されている治療団に加わっている。教会の中で活動しているものの、今までは治療団の司祭ショールの指示で動いていた。ナグマンから何か言われたことなどなかったのだ。

「分かりました」

 マナテアは、治療を切り上げて立ち上がった。濡羽の黒髪に漆黒の喪服。袖先から伸びた細い指先と形の整った白磁の顔だけが白かった。

 アナバスに続いてナグマンの部屋に入る。ナグマンは、大司教の地位あることが一目で分かる豪奢な衣装を纏い、人の良さそうな顔で座っていた。

 隣に立っていたのは治療団の長、ショール司祭。本来の地位で言えば、司祭と大司教では、大きな差がある。しかし、教皇庁から直接派遣されてきたショールは、座ってこそいないものの、ナグマンと変わらぬ態度だった。

 その隣には、見たことのない人物が立っていた。服装からして教会関係者ではない。ゴテゴテとした装飾を施した仕立ての良い服を纏っていた。腹の肉をもてあましていることから騎士でもない。チルベスの権力者か裕福な商人だろう。

「我々をお呼びと伺いましたが、どのようなお話でしょうか?」

 簡単な挨拶を済ませ、アナバスが問いかける。ナグマンは咳払いをして答えた。

「二人には、我々の現状を知った上で、治療に協力してもらいたいと思ってな」

「はて、今も限界近くまで魔力を使い治療を行っておりますが」

「それは分かっています。ただ、現状の厳しさを認識した上で、聖転生レアンカルナシオン教会としての治療を行って欲しいということです。詳しくはショール司祭から説明して貰いましょう」

 ナグマンの言葉を受け、ショールが足を一歩踏み出した。騎士並に体格の良い男だ。顎を少し上げ、睥睨するような視線で見下ろしてくる。マナテアは、不快感に耐えかね視線を落とした。

「治療を行っているだけのその方らは知らぬのも致し方ないが、今や教会は危機的状態にある。我々が渾身の治療を行っても、日々多数の死者が出る状況だ。ところが、火葬にするための薪が乏しい。寄付を募っておるが、市民も冬に使い果たし、まだ蓄えがほとんどないなかで白死病が発生した。そのため、そもそも市内に薪が足りないのだ」

 ショールの語る事情は理解できた。ただ、ゴラルが耳打ちしてくる。

「薪はまだございます。少なくとも、あと三十体分はあるはずです」

 マナテアは、軽く肯いて口を開いた。

「まだ幾ばくかはあるようですが」

 その反論に、ショールは悪びれるでもなく肯いて見せた。

「もちろん多少は残しています。不死王の呪いは強力ですから、信仰心の強い者でも白死病に倒れてしまうことがあります。彼らのために残しているのです」

 高い信仰心を持つ者、つまり教会に多額の寄付を行った者は、アンデッドにさせないということなのだろう。彼らを優先的に火葬とするために残してあるのだ。ショールは、大仰に両手を広げ言葉を継ぐ。

「そこで、私と聖騎士ソバリオ、トノは、アンデッドと化した遺体の浄化に専念することに致します」

 治療団として教皇庁から派遣されてきた神聖魔法の使い手は、マナテアとアナバスの他に、先にチルベス入りしていた団長のショール、そして彼の護衛を兼ねる聖騎士のソバリオとトノの五人だ。その内の三人が抜けてしまっては治療に大きな影響が出る。ソバリオとトノの魔力は、さほど強いものではなかった。しかし、ショールは、かなりの魔法の使い手だった。

 元からチルベスにいる神聖魔法の使い手もいるが、ナグマンの他に二人だけ。それも、大したものではなかった。主力は、マナテア、アナバス、ショールの三人だったのだ。

 確かに、火葬ができなければアンデッドを神聖魔法で祓うことは必要だ。今後は、助けることのできる人が減る。確実に。マナテアは、そう予想して嘆息した。

 同時に、頭には疑問も浮かぶ。この場にいるもう一人の人物のことだ。ショールがアンデッドの浄化を行うことは仕方がない。治療が困難になることをマナテア達に知らせることも理解できる。しかし、これは治療を行っている者だけに関係する話だった。

「問題は、魔法によって十分な治療のできる患者の数が減少することで、高い信仰心を持った信者を助けることができなくなるかもしれないことです」

 信仰心の高い、つまり寄付額の多い信者の治療に注力するべきだということだろうか。マナテアは、正面に立つもう一人の人物に目を向けた。マナテアの視線を察したのか、ショールが紹介してくれた。

「こちらは、マッキージ様。チルベスでもっとも大きな商会を営む商人で、教会の運営に多大な協力をなされている」

「マッキージと申します。遠路はるばる、自らの危険を顧みず治療のために来て頂いた治療団の皆様には感謝しております。ナグマン大司教にご紹介をして頂き、ショール司祭には知遇を得させて頂いておりました。アナバス教授とマナテア様にはお初にお目にかかることになります。今後よしなに」

「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます。こちらこそよしなに」

 アナバスは、和やかに答えを返している。こういう世渡りを見習わなければならないと分かっているものの、マナテアには「よしなに」と返すのが精一杯だった。そこにショールの低めた声が響く。

「ご挨拶が済んだようなので本題に入りましょう」

 尊大な声だ。我の言葉には従うべしとでも考えていそうに思えた。

「二日ほど前、マッキージ様のご子息が白死病に罹患し、この教会に運び込まれました」

 マナテアは、ナグマンやショールが大騒ぎしながら、運ばれてきた患者の治療をしていた様子を思い出した。その患者は、やたら豪華な文様があしらわれた寝衣を着せられていた。

 ショールが中心となり、ソバリオやトノはおろか、ナグマンさえも治療に当たっていた。常に誰かが傍らに尾いていたため、マナテアもアナバスも近寄ってはいない。それに十分過ぎる神聖魔法がかけられていた。恐らく、他の患者の五倍は、魔法による治療を受けていたはずだ。

 そのことに思い至り、マナテアは思わず口走ってしまう。

「あの患者の治療を引き継げということでしょうか?」

「察しが良くて助かります。カナッサ様の治療を最優先とし、何としてもカナッサ様を助けて頂きたい」

「ですが、あの患者は治療の効果が薄すぎます。ショール司祭が相当の魔法をかけられても、直ぐにまた衰弱していたではないですか」

「そのことを認識されているのでしたら話が早い。私と同じ程度の治療をして頂きたいのです」

 マナテアは、驚愕に心をかき乱されたまま叫んだ。こんなことを口にすれば、睨まれることは明らかだ。それでも、口を開かずにはいられなかった。

「そんなことをすれば、恐らく五人以上の助けられるはずの人が、命を落とすことになります。他の治療の効果が高い患者を治療すべきです」

 マナテアが言うと、ナグマンが静かに手を上げた。マッキージは、顔を青くして震えている。

「マナテア様、あなたの言葉、教会が多くの人を助けるべきとの言葉には真実があります。ですが、目先のことだけを考えてはなりません。教会が立ち向かっているこの世の悪は白死病だけではないのです。それら全ての悪と戦い、神の威光を地に満ちさせるには、教会が在り続けなければなりません。そして、そのためには我々教会関係者の努力だけでは足りないのです。教会が信者の力によって成りたっていることを忘れてはなりません」

 ナグマンの言葉に嘘はない。それは、マナテアにも理解できた。しかし、飲み込めずにいる。返す言葉を紡げずにいると、アナバスの声が聞こえた。

「良く分かりました。マナテアには師として言い聞かせます。私一人では力不足ですが、彼女と二人で治療に当たれば、マッキージ様のご子息を助けることができるでしょう」

 驚いてアナバスを見る。彼は悲しげな顔でマナテアを見ていた。何か、思う所があるのかもしれない。マナテアは、これ以上語ることを止めた。

 アナバスが別れの挨拶を口にして部屋を出る。マナテアは、無言で彼に続いた。

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