第2章 遺跡に住まう者

第26話 ヌール派教会

 小ぶりな礼拝室は、薄暗い上に少しかび臭かった。上の方にある採光用の窓から差し込む光の中に埃が舞っている。

 並べられている粗末な長椅子は、どれも患者が横たえられていた。板張りの椅子に毛布をかけただけなので、お世辞にも快適とは言えないものの、冷たい石の床よりはいい。

 ダリオは、片膝を点き、患者の頭の下に藁の枕を入れた。粗末な枕だが、それさえも数はない。投薬の際、頭を持ち上げるために使っていた。

「顎を下げて。少しで良いから口を開けさせて」

 手伝ってくれているミシュラに指示を出す。彼女も慣れてきたので、細かいことを言う必要はなくなっている。わずかに開いた口元に、煎じたトロコロをほんの少しだけ注ぐ。使っているのは陶器で出来た薬呑容器だ。そのまま火にかけて薬を煎じることができる便利な代物。

「助かりそう?」

 既に意識はなく、肌も髪も真っ白になっていた。

「どうかな。ぎりぎりだと思う」

 ダリオがチルベスに入って十日が過ぎていた。ヌール派の教会で薬を買い取ってもらった上、担ぎ込まれている患者への投薬や、買い取ってもらったトロコロの加工作業をさせてもらっている。

 患者が集められている教会で働きたいと考える者は少ない。白死病の場合、患者の近くにいたからといって簡単にうつるものではない。それでも、わざわざ近くにいたいと望む者は近親者くらいだ。

 薬を売るだけでなく働くことを申し出たダリオとミシュラは、ヌール派教会を仕切っている司祭のトムラに大歓迎された。

 ダリオがミシュラに手伝ってもらいながら患者に薬湯を飲ませていると、副助祭のネグルスがやってきた。トムラの下で学んでいるヌール派の聖職者だ。十七歳で、まだ覚醒して間もないという。少し癖毛の派手な赤髪が、どこにいても目立つ。

「ダリオ、それにミシュラ、トムラ司祭が話があるそうだ。来てくれ」

 ダリオはミシュラと顔を見合わせて立ち上がった。今まで、こうしたことがなかった。薪が少なくなっていることに関係しているかもしれない。

「アマサードは?」

「今日は来ていない。彼には、今度来たときに話すさ」

 アマサードは侍祭と言う聖職者では一番下の階級で、早い話が雑用係だ。ちなみに、侍祭の上がネグルスの副助祭、その上が助祭。司祭は、更に一つ上になる。

 アマサードは別の仕事もしており、毎日教会に来ている訳ではない。本職が暇な時だけ教会に来るらしいが、今は白死病の対応でほぼ毎日来ていた。

 ネグルスに続いて、礼拝室の脇にある回廊を通りトムラの部屋に向かう。ネグルスが粗末なドアをノックした。

「トムラ司祭、ダリオとミシュラを連れてきました」

「入りなさい」

 トムラは張り紙のようなものを書いていた。立ち上がり、それをネグルスに渡す。

「これを、掲示してくれている信者の家に張ってきて下さい」

 見ると薪の寄付を募るものだった。薪用の木材だけでなく、木製の家具なら何でも良いと書いてある。

「もう薪がほとんどありません。冬を越したばかりで蓄えが少なかったこともあって、底を突いてしまいました。寄付を募りますが、足りないことは明白です」

 ここ数日、ネグルスやダリオたちの一番の仕事は、治療ではなく、亡くなった患者の火葬だった。遺体をアンデッド化させないための措置だったが、それができなくなる。

「そのため、私は今夜からアンデッドを祓うことに専念します」

 トムラは、ヌール派の教会では珍しい神聖魔法を使うことのできる聖職者だった。何でも元は聖転生レアンカルナシオン教会の聖職者だったらしい。大きな町の教会を任されるほどだったらしいが、ヌール派に転向したと聞いた。

 火葬できない遺体は、教会裏の広場に安置することになる。それが夜になるとアンデッド、ゾンビ化してしまうのだ。ただ、死んだその日にアンデッド化することもあれば、何日もそのままなことがある。いつアンデッド化するかは読めないので、神聖魔法を使える者が待機するしかない。

 アンデッド化した場合は、神聖魔法で祓うことで、腐った肉と砕けた骨の塊になる。その状態なら、土葬しても、もうアンデッドになることはない。

「お一人で大丈夫ですか?」

 ネグルスが尋ねていた。

「まだ遺体の数が少ないので大丈夫でしょう。無理なら、その時に手伝いを頼みます。信者の方にも手を貸して貰うことになるかもしれません」

 トムラが祓うことのできる限界を超えた場合、棒を使って文字通り叩き潰すことになる。これなら誰でもできるため、ネグルスや信者の手を借りることになるのだ。その場合は、日が経つとまた動き出すため、時間稼ぎでしかないのだが、市が開放され薪が手に入るまでは仕方ないのだった。

 げんに、神聖魔法を使える聖職者がいない町では、そうしている。それでも間に合わない状況なら、遺体を市壁の外に投げ捨てることになる。ゾンビは放置だ。それらは、朝になれば森の奥に引きこもる。

「問題は、私が治療を離れることです。多少は治療も行えますが、今後はダリオ君の薬に頼ることになります。よろしくお願いします」

「分かりました」

 治療で魔力を使い果たしてはアンデッドを祓うことができない。トムラが抜けることで、ここでの治療は難しくなる。先ほど投薬していた患者も、助からないかもしれない。

 しかし、ダリオにとってはやりやすくもなる。こっそりと治癒ヒールの魔法をかけ易くなるし、治療する患者も選ぶ事ができるようになるからだ。スフィアの弱い患者は、いくら魔法をかけても助けられない。まだ体力があるように見えても、あっという間に衰弱して死んでしまうことが多いのだ。

「薬は、まだありますか?」

「だいぶ減りましたが、まだあります。ただ、患者の数が減っていないので、この様子だと白死病が終息する前になくなりそうです」

「そうですか。ここに来る前に見つけたと言っていた薬が、もっと手に入れば良かったですね。あれのおかげで、助かりました」

 遺跡ルーインズからチルベスに向かう途中で見つけたトロコロのことだ。保存のために乾燥させていない生のトロコロだったので、効果も高かった。しかし、市が封鎖されている今、取りに行くことはできない。それに、やることも山ほどある。

「炉は、一つ残しておけばいいですか?」

 悲痛な顔で尋ねたネグルスに、トムラが肯く。裏の広場に耐火レンガで作った火葬用の炉が三基ある。薪の寄付があっても、一基あれば十分なのだろう。

「では、二基は解体しておきます」

 広場は、遺体で一杯になるかもしれなかった。


     **********


 その日に予定していた投薬が終わる頃、張り紙を貼り終わり、ネグルスが戻って来た。彼を手伝い、耐火レンガの周りを固めている土を崩す。レンガは広場の隅に積み上げた。また炉を作るかもしれない。その時に使うためだ。

 極端に痩せていて、力仕事に向かないミシュラには、礼拝室で患者の面倒を見てもらいながら、掃除と片付けを頼んである。そのミシュラが静かに歩いて来た。顔も無表情だ。口を開く前から、言葉は予想できた。

「一人、亡くなった」


 ネグルスと二人で担架を持つ。広場の端、塀によって日が当たらない場所に新たな遺体を置いた。三人で、両の掌を組み合わせて祈りを捧げる。これで遺体は二体だ。夜になればアンデッド化してもおかしくなかった。

 先に横たえてあった中年女性の遺体に目をやると、動くものが目に入った。小指の爪先よりも小さな黒い虫だった。胸元の服の上から首筋に触れようとしていた。かがみ込んで確認する。

『スカラベオ?!』

 指で潰してしまわないよう、右手で追い立てるようにして左手に乗せる。かなり小さなスカラベオだったが、確かにスカラベオだった。もしかすると、これがウルリスの言っていたスカラベオかもしれない。

「何?」

 ミシュラが寄ってくる。

「スカラベオだよ。調べよう」

 そう言うと、ネグルスが気色ばんだ声を出した。

「スカラベオは神聖なものだ。逃がせよ」

 種類が別のものだと思うのだが、もっと大きなスカラベオには、馬糞など家畜の糞を転がすものがいる。丸い糞を転がすその姿が、太陽を運行させている神になぞらえられることがある。そのため、スカラベオは神のしもべとして聖転生レアンカルナシオン教会でも、その分派であるヌール派の教会でも、神聖なものとされている。それに、もしかすると、路上の馬糞を片付けてくれるという実利も関係しているのかもしれない。

「でも、白死病に関係しているかもしれません。私の知っている人が、関係がありそうだって言ってたんです。調べてみます」

 ネグルスは顔を歪めていたが、それ以上は何も言わなかった。スカラベオが本当に神のしもべで、太陽を動かしているなどと思っている者はいない。無碍には扱わないようにしているだけなのだ。

 薬の準備のためにあてがわれていた部屋に行き、ミシュラに薬箱から小瓶を取りだしてもらう。硝子製で、ダリオの持ち物の中では、おそらく一番高価なものだ。

 小瓶の中に、スカラベオを傷付けないように入れ、薄い皮を被せて紐で縛った。横から見ると、スカラベオは、硝子の壁をよじ登ろうとして滑り落ちていた。

 硝子のせいで少し歪んで見えたが、形や色は良く分かる。糞を転がすスカラベオと比べると、大きさだけでなく形も少し違っていた。色は同じような黒だ。

「どうするの?」

 ミシュラにそう問われても、どうしたら良いのか分からない。

「しばらく様子を見よう」

 ダリオは、小瓶を棚の上に置いた。

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