第25話 居場所(ミシュラ視点)
『肉!?』
パンは、中に肉を入れて焼いたものだった。だから臭いを嗅いでも分からなかった。ダリオが食べ始めても、直ぐに食べなければ良かった。そう思ったものの、既に後の祭りだった。
ミシュラは、慌てて口の中のものを吐き出すと、部屋のドアに向かって走った。教会の回廊に出て、開け放たれた正面の入り口から外に飛び出した。
「ミシュラ!」
ダリオが追いかけてきたが、追いつかれる訳には行かなかった。見られたくなかった。路地に入り、角を曲がったところで押さえつけていた感覚を解き放つ。とたんに、腕が太くなり骨盤が曲がる。首も長く太く伸びた。全身から栗色の毛が生えてくる。沸き立つような感覚が収まると、ミシュラは蹄で路面を蹴り、駆け出した。広がった視界で後を見る。まだ、ダリオに追いつかれてはいなかった。
ミシュラは何度か角を折れ、街を駆けた。もう追いつかれることはない。人気のない袋小路に入り、積まれていた木箱の影に隠れた。
せっかく貰った御馳走のパンを吐き出し、逃げてしまった。ミシュラはどうしたら良いか分からず。混乱した頭で泣いていた。
半時ほどして、路地に足音が響いた。誰かが近づいて来ていた。目をこらし、暗がりを見つめていると、見覚えのあるそばかす顔が浮かぶ。
「ミシュラ?」
声をかけられ、心臓が飛び跳ねた。見られてはいないはずだった。だから無言を通した。ダリオは、なおも近寄ってきた。もう鼻先に手が届く距離だった。
「ミシュラ、だよね?」
夜の路地とは言え月明かりもある。姿ははっきりと見えているはずだった。それなのに、馬の姿の彼女に、ダリオがそう声をかける理由が分からなかった。
ミシュラがなおも無言でいると、ダリオは急にはっとした顔を見せた。
「
馬の姿をしている今、瞳の色は黒のはずだった。それなのにダリオは人の姿をしている時の瞳の色を話している。馬の姿なのに、ミシュラであることを疑っていなかった。
「知らない。どうして分かったの?」
ミシュラが諦めて言うと、ダリオは、ほっとしたような笑顔を見せた。
「良かった~。ミシュラに見えたけど、いつもと違っていたから驚いたよ」
ダリオは、時々訳の分からないことを言う。でも、時々のことだったから、気にしないことにしていた。
「どうして分かったの?」
もう一度尋ねると、勘が良いのだと答えられた。とても本当のことだとは思えなかったが、それ以上は聞かないことにした。ダリオは秘密にしていることがある。それも分かっていた。
「人の姿に戻れる?」
そう言って差し出されたダリオの手には、ミシュラの服が握られている。ただし、大きく裂けていた。ミシュラは首を振って答える。
「明るくなる頃になれば、戻れると思う」
「そうかぁ」
ダリオは、そう言って近くの木箱に腰を下ろした。
「ダリオは……気にならないの?」
「変身のこと?」
「そう」
ダリオは、少し考えてから答えてくれた。
「ミシュラは、ミシュラだよ。人の姿でも、馬の姿でもね」
やはり良く分からない。ただ、気にしていないのだということは良く分かった。だから、思い切って尋ねてみた。
「封鎖が解除されたら、ダリオは他の町に行くんだよね?」
「薬の行商をしているからね」
ミシュラが、返す言葉を口に出せずにいると、ダリオの方が口を開く。
「ミシュラはどうするの? 置いて行かれたんだから、もう自由でしょ」
ミシュラは、意を決して言い放った。
「ダリオに付いてく! いいでしょ。連れてって!」
「え?!」
露骨に……という程ではなかったが、ダリオは明らかに嫌な顔をしていた。
「連れてって! 馬の姿なら荷物を運べるし、何なら乗せてやってもいいよ」
そう言うと、ダリオはしげしげとミシュラの体を見た。
「ちょっと、無理そうだね」
肉を食べられないミシュラは、かなり痩せている。あばらは浮き出ているし、どこもかしこも骨張っていた。馬の姿でも、人の姿でも、それは同じだった。
「でも、でも頑張るから。連れてって!」
ダリオが折れ、「分かったよ」と言うまで半時ほどかかった。ミシュラが、それほどまで何かを真剣にやったことはなかった。
**********
以来、ダリオと共に居る。今や、ダリオがミシュラの居場所だった。
前を駆けて行くダリオの背中で、いつもはミシュラが背負っている薬箱が揺れていた。人の姿に戻ったミシュラが背負っているのは、ダリオの背負い袋だ。
「待って下さ~い!入りま~す」
道の先、検問をしていた騎士が、天幕に戻ろうとしていた。ダリオの呼び掛けに気が付き、こちらを見ている。どうやら間に合ったようだ。
ダリオといっしょにいると怖いことが多い。今も白死病に冒されたチルベスに入ろうとしている。それでも、ミシュラはダリオの背中を追いかけていたかった。
第1章 END
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