第24話 肉(ミシュラ視点)

 ミシュラが深いまどろみから目覚めると、見知らぬ石造りの天井が見えた。

『寒い』

 蒸し暑い日さえある初夏だった。それなのに、全身が今まで感じたことのない冷気に覆われているような気がした。指一本動かす気にもなれないけだるさも同居している。だから、近づいてくる足音が聞こえても、視線を向けることもしなかった。

 不意に目の前に人の顔が現れる。知らない顔、少年だった。

「気が付いたみたいだね。頑張った。えらいよ」

 気が付いたということは、眠っていたのではなく、気を失っていたということだろうか。何を頑張ったと言ったのだろうか?

 ミシュラが定まらない頭で考えていると、ふと思い出した。自分が、白死病と呼ばれる病に冒されたらしいということを。

 ミシュラは、いつも箱の中にいた。体を伸ばすことさえできない文字通りの箱だ。開け閉めできる小窓がついているものの、その小窓にさえ格子が付けられていた。

 彼女が入れられた箱は、珍しい魔獣や変わった姿で生まれた者を閉じ込めた檻といっしょに並べられていた。ミシュラは、見世物小屋と呼ばれる巡業者の奴隷だった。変身能力を見せたり、小さな動物に変身することで、姿を消したように見せる奇術をさせられていた。彼女に、その境遇と言葉を教えてくれたのは、世話係をしていた老女だ。その老女の言葉を聞いた。

「これはもうだめだよ。白死病だ。早く捨てなきゃ私らも道連れだよ」

 奇術をする訳でもないのに箱から出され、埃っぽい夜の道に投げ出されたことは覚えていた。

『捨てられたんだ……』

 その事実を認識すると、自然と涙が零れた。良い扱いを受けていた訳ではない。それは彼女にも分かっていた。それでも、見世物小屋は彼女の居場所だった。あそこなら、彼女は役に立つことができた。その居場所から捨てられた。

 もうどこにも自分の居場所がない。その事実は、彼女から全ての気力を奪ってしまった。

「飲んで。本当は、もっと栄養のあるものを飲ませたいけど、これしかないんだ」

 ダリオ、気付いた時に声をかけてくれた少年が、首の後に腕を回し、体を起こして水のように薄い粥を飲ませてくれても、それを飲み込む気にもならなかった。

「飲め!」

 何故か、その少年は怖い顔で言った。ミシュラは、仕方なく飲み込んだ。


     **********


 粥を強制的に飲ませ続けられ、ミシュラは徐々に回復した。そして、動けるようになると、ダリオの手伝いをさせられた。横たわったままの白死病の患者に少しずつ水を飲ませたり、意識のないまま失禁した後の掃除をしたり、言われるままに手伝った。そして、やり終えると「ありがとう」と言われた。

「終わったよ。次は何をする?」

 ミシュラは嬉しかった。新たな居場所だった。

「水が欲しいけど……」

 ダリオは困り顔で周囲を見回していた。何か仕事を探しているのだろう。

「水汲みするよ」

 ミシュラが答えると、ダリオは「無理だろ」と言って立ち上がった。もともとかなり細かったミシュラの腕は、白死病にかかったことで更に細くなっていた。

「僕が水を汲んでくるから、かわりにこれをやっておいて」

 ダリオに言われた作業は、薬研やげんを使って乾燥させた薬草を粉末にする作業だった。やり方を教わってやってみる。水汲みよりは楽とは言え、意外に力が必要だった。単純な作業だったが、これで高価な薬ができるのだと思えば楽しかった。


     **********


 そうした日々を過ごしている内に、徐々に白死病の患者が減ってきた。ミシュラがいたのは、ヌール派の教会だった。ミシュラが気が付いた時は、礼拝堂にあるベンチの全てがベッド代わりに使われ、床に横たえられている人もいた。

 先日、最後の一人が横たえられていたベンチが空いた。ただ、喜べはしない。新たな患者が発生しなくなっただけで、発病した人は、最後の一人を含め、ほとんどが死んでしまった結果だからだ。そして、そうなると仕事も少なくなる。ここ数日は掃除ばかりしていた。結果、ミシュラの不安も増している。

「明日、町の封鎖が解除されるらしいよ」

 嬉しそうに言うダリオにも、黙って肯くしかできなかった。その夜、「今日は御馳走だよ」と言ってダリオがパンを持ってきた。ミシュラは、パンというものを食べたことがなかった。見世物小屋にいた時の食事は、いつも粥だった。

「いいにおい」

 手渡された種なしパンは、焼きたてで温かかった。隣でパンを食べ始めたダリオを見て、ミシュラも同じようにかぶりついた。とたんに、口の中にうまみと油が広がった。

 と同時に、全身が沸き立つような感覚に包まれる。それは、ミシュラに押さえ切れるようなものではなかった。何度も経験した感覚だった。

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