第3話

 話を聞いて危ないと感じたら断ればいい、なんて軽い気持ちにはなれなかった。相手はいわゆる暴力団関係者で、危ない話を聞くだけ聞いてはいさよならとはならないことくらい、容易に想像が付いた。

 なのに聞く気になったのは、やはり負けの大きさ故だったかもしれない。

 話を聞く前に、何かの運び屋をやらされるんじゃないかと漠然と想像していた丸尾だったが、男が持ち掛けてきたのはそういった密輸の類ではなかった。

 足の付かない武器を用意してやるから、板木いたぎなる男を殺せというもの。板木は同じ組の構成員で、組織を抜けたがっているが、ある重要な機密を握っているため、組としては認める訳に行かない。始末するのが手っ取り早いが、単に殺すと組全体が警察から疑いを向けられるのは目に見えている。それならいっそ、無関係の堅気にやらせるのがよかろうという算段だった。

 聞いた直後にこれはいよいよまずいぞと逃げ出したくなった丸尾だが、そうも行かぬ。より詳しい話を聞かされる内に、ひょっとしたらやれるかもしれない、と考え出した。それも自分の手を極力汚さずに。

 組織を通じて、板木に「組を辞めるには最後の仕事をしろ」と条件を提示してもらう。具体的には、「抜けたあとも好き勝手なことを吹聴されてはたまらん。ついては、おまえが汚れ仕事をやっていたことを記録に残す。アダルト物の男優役をやれ」と。その組織はかねてからアダルトソフトの製作に噛んでいるので、不自然ではない。板木がどう受け止めるかは分からないが、肉体的に痛めつけられるよりはよい条件だと捉えるだろう。板木が条件を飲んだなら、撮影と称してより細かな指示を出す。

 当初、丸尾が組織に提案したのは、拳銃自殺の台本を書き、実際に弾が出る銃と撮影用の銃をこっそり入れ替えておくというものだったが、却下された。撮影らしく板木に思わせるには、それだけ人数が必要となる。構成員達を偽の撮影に駆り出すと、アリバイが確保できない。結局、警察に疑われる。つまるところ、やるんなら丸尾一人でやれということだ。

 そこで丸尾が捻り出した別の案には、組織も承知し、ゴーサインをくれた。丸尾の考えた筋書きは、板木が女学生を襲って強姦するというもの。リアリティを出す名目で、野外で演じるのをハンディカメラ一つで撮ると伝えることで、板木の不信感を封じる。撮影の折、第三者に見られたら面倒だと、板木は不安を覚えるかもしれない。それに対しては、人が通り掛かっても中止はしない。すぐに立ち去れるよう、車を用意しておくからと言い含める。これで準備の半分が終わり。

 残りの半分は、殺す側の準備だった。丸尾は、襲われる役の女性に板木を殺させることを考えていた。一般論として、女が男を一対一、通常の状態で殺すのは困難を伴うであろう。だが、丸尾には勝算があった。組織の用意する足の付かない凶器が拳銃だと聞いたからこそ、この計画を思い付いたと言える。そう、女には拳銃を持たせておく。

 だが、女は組織が用意する女優ではないし、丸尾にもこんな役を引き受ける相手に心当たりはない。丸尾はだから、教え子を利用することにした。事情を話してやらせるのではなく、自然な形で仕向けるように。

 丸尾の頭には、明確な候補がいた。

 彼の二つある悪癖の内、ギャンブル狂いとは別のもう一つは、若い女好きであることだった。より厳密に言い表すのであれば、若い女も好き、となる。普段はその嗜好を隠し、これなら大丈夫と判定できる対象を見付けたら、密やかに行動を起こす。成功率百パーセントではもちろんない。失敗も多々あるが、そのときはそのときでうまく冗談に昇華してごまかす術を、丸尾は身に付けていた。

 そんな、倫理観を著しく欠いた教師が現在進行形で付き合っている女生徒が一人おり、名前を筒寺萌音つつでらもねという。頭はいいが、努力してトップを取ろうという向上心は乏しい。それでも学業は優秀な方。そして、ちょっと悪いことに憧れのある性格(性格ではなく、そういう年頃なだけかもしれないが)。冗談で缶ビールを勧める素振りを見せると、特に躊躇や逡巡もなく、手を伸ばそうとした。テストの採点で、間違っている箇所をわざと正解にしてあげた上で、授業で詳しく解説したのに、言って来なかったこともあった。

 隠れて付き合うようになってから、丸尾はますます筒寺を理解できたと確信した。彼女は怪我人や遭難者を見掛けても、自ら救助に乗り出して責任を背負い込もうとはしない。傍観者か、せいぜいサポート役。また、大金を拾ったとしても、素直に警察に届けることはまずない。密かに運べる物なら持ち帰る。無理なら放っておくか、ばれないのであればいくらか抜くかもしれない。

 そこで丸尾は思い切って、彼女に拳銃を見付けさせる段取りを整えた。校内大掃除の日に行き届かなかった箇所があるとして、中庭奥の溝掃除を彼女一人に命じる。前もって隠しておいた拳銃を、彼女は確実に見付ける。いくら丸尾が筒寺を理解したと確信していても、彼女が銃を持ち去るかどうかは、賭けの要素が強くなる。いきなり警察に届けるというのはないにせよ、丸尾に知らせてくるパーセンテージはそこそこ高いと考えねばならない。

 尤も、丸尾にとって、筒寺が拳銃を見付けたと報告に来ても、特段問題はない。うまく処理して置くからとでも言って、拳銃を回収すれば事足りる。組織から命じられた殺人は、丸尾自らが手を下さねばならなくなるが。

 そして――丸尾はこのギャンブルには勝った。筒寺が拳銃を黙って持ち帰ったのを、陰から確認したときは、思わず小さくガッツポーズをした。が、喜んでばかりはいられない。即座に板木に電話を入れ、撮影を行うからと呼び出す。場所や段取りはかねてより伝えてあるので、用件は手短に済む。移動時間は何度か実験をして、充分に間に合うと算盤をはじいた。

 最後の仕事について聞かされた当初の板木は、踏ん切りが付きかねた様子だったらしいが、実際にやる直前に相対してみると、すっかり気持ちができあがっているように見えた。

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