1−7 リスタート

 金曜日、ケルピーを倒した後、全身に力が入らなくなった碧は近くにあったベンチに座って少し休むだけで、なんとか自力で歩けるくらいには回復した。

 その日は鈴と別れてからは寄り道せずに自宅に帰り、翌朝まで爆睡してしまった。

 土曜日、充分過ぎる睡眠をとったことで、身体はかなり楽になった。

 以前世話になった病院で身体を診てもらったが、『貧血になりやすくなっているかもしれない』ということ以外は、特に異常無しとのことだった。

 日曜日、碧は鈴と連絡をとっていた。

『あれから何も異変は無かったか?』『やっぱりあれは夢じゃなかった』等々、色々話し合った。

 その中で鈴から水馬ケルピーの情報が、エクメネから完全に無くなっていたこと、そして鈴の目の前でケルピーに捕食された警察官が、比良坂町にて連続発生していた行方不明事件、現状最後の行方不明者としてニュースに取り上げられていたことを聞いた。

 それはつまり、比良坂駅周辺で起きていた行方不明事件の実態は、簡単に言うと皆ケルピーに食われたということになる。

 いなくなった人達を探そうとしても、皆んなケルピーの腹の中、犯人を捕まえようにも、人間ではないし、既に存在自体が消えている。

 これから警察は、存在しない犯人を逮捕するために走り回るのだろうか?

 そして行方不明とされている人の御家族は、これからもその人の帰りを待ち続けるのだろうか?

(タチが悪いな……悪過ぎる……!)

 真相を知っているのは碧と鈴の2人だけ。それをそのまま言うか、少しでも解りやすく説明した方が良いのか? 答えは否だろう。現実離れし過ぎていて信じてもらえず、変人扱いされるのが目に見えている。鈴以外のオカルト好きですら、まともに話を聞いてくれるとは思えない。

 結局、今回の一件は碧と鈴、2人の胸に鍵をかけて閉まっておくしか無い。


『今後どうするかは明日の放課後、部室で話し合いましょう』

 鈴の提案を受け入れた碧は、その日の通話を終了した。


 そして週が明けて月曜日


「おい木谷村」

 碧は登校して早々に、まさに鬼と言うに相応しい顔面をした薫に圧をかけられていた。具体的に言うと壁ドンをされている。

「何? 月曜の朝っぱらから何なの?」

「あんたのお母さんから聞いたんだけど……比良坂で何してたの?」

「え? 比良坂で?」

 もちろん自分の母親には、比良坂で起きた出来事に関しては何も言っていない。

(母上、なぜそれを知っているのですか? そして俺の幼馴染が相手とはいえ、少々口が軽すぎではありませんか?)

 碧は母親の洞察力、推理力の高さ、そして口の軽さに恐怖を覚えた。

「あぁ……友達がピンチだったから、助けに行ってた。それだけだ」

 嘘は言っていない。

「あんた……比良坂の方に友達いたの?」

「いるよ……悪いか?」

 4日前に知り合った間柄である。

「いや……」

 鬼虎薫、沈黙。

 碧の中では薫に対する罪悪感と、どうせなら普通に話がしたい気持ちから生まれる苛立ちが募った。

「聞きたいことはそれで終わり? そろそろこの壁ドンから解放して痛ででででで!?」

 最後まで言い切る前に、薫に左耳をギュウッと引っ張られた。

「痛い痛い! 耳ちぎれるって!」

「…………」

 薫は左耳から手を離し、今度は碧の右脚を両手でパンパンと叩き始めた。

「なんだってんだよ……?」

 数回パンパンした後、

「別に……なんでもない」

 薫はサッと碧に背を向け、

「隠し事したって……すぐに分かるからな……」

 そう言い残して、立ち去って行った。


「ほんっとに……おっかねぇ奴……」


そして放課後


 オカルト部室にて、碧と鈴は机を挟み、向かい合って座っていた。

「木谷村先輩……私、先輩の話を聞いてから考えていたことがあったんですけど……」

「お……おぅ」

 開口一番、鈴は身を乗り出していた。


 碧が戦って倒した殺人鬼は、模倣犯では無い本物のハサミ男ではないか。

 逃げられたと思っていたのは、力尽きて消滅したのではないか。

 ハサミ男もケルピーも、エクメネから一切の情報が削除されていたことが共通している。

 つまり、2つの怪異にはエクメネが関わっている可能性が高いだろう。


 早口で、しかし聞き取りやすい話し方で自身の考えを話し終えた。

「…………」

 鈴の言う事が信じられなかったわけでは無かった。

 碧は数日前に浮かんだ『エクメネに掲載されていた怪異が、実体化して活動している』という考えが現実味を帯びてきた事と、自身が置かれている状況の複雑さに辟易していた。

「先輩?」

 顔を覗き込む鈴の声に、碧は呼び戻された。

「あぁ、すまん。考え事してた……んで、何だっけ?」

「何だっけって……これからもエクメネに記載されている怪異が実体化するかもしれないって言ってるんです!」

 碧が考えていたことを、鈴もそのまま考えていたようだ。

「先輩は……これからどうするつもりですか?」

 呆れた顔をした鈴に問いただされた。

「これからか……」

 碧は天井を仰いで、ため息混じりに呟いた。

 自分が踏み込んでしまった世界、使えるようになった力の正体、怪異をどれだけ倒せば終わるのか、京都訛りの何者かに関する事、他にも分からないことが多すぎる。

(それでも……)

 病室のベッドでずっと傍にいてくれた薫を、泣きながら『もう無茶するな』と言っていた薫を思い出す。

 怪異に対抗できる力は、おそらく青緑色の炎しか無い。それを使えるのは、戦えるのは碧しかいない。碧が戦わなければ、知らないうちに1人、また1人と怪異に殺されていく。そうして大勢の人が殺されていくうちに、きっと彼女の番がくる。

(それは嫌だ。あいつには生きていてほしい)

 もう一度薫を護る。今度はきっと認知されないし、知ってもらおうとしても信じてもらえないだろう。それでも、彼女が傷つくよりはずっと良い。

「俺は戦う」

 天井から鈴に目を戻し、碧は覚悟を露わにした。

「……解りました」

 一呼吸置いて、鈴も覚悟を決めたように答えた。

「先輩に救われた御恩を返せないままというのもどうかと思いますし、ここまでやっておいて、無関係でいるなんて私にはできませんし、そもそも先に協力するって言ったのは私の方ですし……」

 そうしてまた早口で、少し顔を赤くして、自分の髪の毛をクルクルと弄りながら話し始めた。

「待て待て……お前は何を言ってるんだ?」

「何って……先輩に御供させていただきます」

「は……?」

『御供する』

 鈴からそんな言葉が出るとは思っていなかった碧は呆気に取られてしまった。

「オカルトの知識無しに、エクメネを見るだけで戦っていくんですか?」

「うっ……!?」

 鈴の勢いに推し負けようとしている。

「怪異を倒した後、誰が先輩を安全なところまで運ぶんですか?」

「ぐっ……」

「全部1人でやってしまうよりは、2人で協力した方が良くないですか?」

「ぬぅ……」

「ついでに言ってしまうと、オカルトが人殺しに使われているのは我慢なりませんので……」

「本命はそれか?」

「と……とにかく……!」

 鈴の右手が、恐る恐る差し出された。

「私からも……よろしくお願いします……!」


 ほんの少しだけ、心が軽くなったような気がした。


「はぁ……」

 碧は降参の意を込めた溜め息を吐き、差し出された手をややヤケクソ気味に取った。

「よろしく……」

「……はい!」


 これは再生の物語

 他人の人生を壊してしまった自身に絶望し、自身の未来を自ら閉ざした碧が、自らを誇れるようになるまでの物語である。


「じゃあ早速だけど……今日はこれからどうするよ? 部長」

「そうですね……まずはエクメネのデイリーランキングトップ5を重点的に見ていって、記載されている怪異の対策を……って、部長? 私がですか?」

「いや……これから先、俺たち2人で行動することが多くなると思うけど……これって実質、俺がオカルト部に入部してるってことにならないか?」

「えっと……そう……なるんですか?」

「まぁ、オカルトの知識とかに関しては俺よりも千影の方が断然上だし、そもそも元から部長なんだろ? 遠慮せず、新入部員の俺に色々教えてくれると助かる」

「ハワワワワワ……私が部長で先輩で、木谷村先輩が新入部員で後輩で……」

「うん。落ち着け? たぶん俺が悪いんだとは思うけど、1回落ち着け?」

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