第9話 ドキドキ⭐︎お宅訪問!

「ここだよ」

「ここなの? ほんとにダンジョンからすぐだね」

「ダンジョンに近い家って家賃が安いらしいぜ。いつモンスターが出てくるかわかんねえから」

「そうなの? いわゆるスタンピードは、現実には起こらないはずだけど」

「今は起きなくても、先のことはわからねえだろ。住むなら安全なところの方がいいんだよ」

「そっかあ」


 スタンピードというのは、ダンジョンものの小説にはしばしば出てくる現象だ。ダンジョン内のモンスターが飽和し、外に溢れてきてしまうというものである。

 そのような現象は現実には起こらない。何しろ、ダンジョン内のものは外には一切持ち出せないのだ。スライムを無理やり虹の膜の外に押し出すと、出ると同時に消えてしまう。ダンジョン自体が拡張することもなく、ただそこにあるだけ。脅威がないからこそ、今やダンジョンは研究と娯楽の対象に収まってしまったわけで。


「ダンジョンが近いなんて羨ましいけどね。通い放題じゃない」

「さらりが変わってるんだよ。普通はそうは思わねえって」

「変わってるっていうのはけっこう言われるから、あんまり否定できないな」


 軽口を叩きながら建物を見上げる。2階建てのアパートだ。木造で、2階に上がる金属製の外階段は錆びている。


「ルイくんのお家は、あそこ?」

「ああ。わかりやすいだろ」

「賑やかなんだねえ」


 通りに面した6室の扉のうち、1階の端の部屋から子供の声が漏れ聞こえてくる。


「うるせーだけだよ。……帰ったぞー」


 鍵のかかっていない扉をルイが押し開けると、きゃあきゃあ、わあわあ、子供の甲高い声が溢れてくる。ぱたぱたぱた、裸足の軽い足音がしたかと思ったら、ルイの両脚に小さな体が絡み付いた。


「にーちゃーん!」

「どこ行ってたんだよー!」


 よく似た顔の男の子ふたり。右側の子が年上なのだろう、体が少し大きい。テレビがああだの昼ごはんがこうだの左右からやいやい話しかけ、同時に丸い目をこちらに向ける。


「えっ! だれ! この人!」

「だれ!」

「うるさいだろ。悪い」

「平気だよ。可愛いじゃない」

「だれだれ! だれー!」


 こういうキンキンした声を聞くのも久々だ。小学生の頃など、クラスの男子たちがこういうキーキーした声で騒ぐのをうるさく思っていた記憶が蘇る。

 あの頃は迷惑していたが、高校生になった今、こうして騒がれても可愛いだけだ。さらりは屈み、「だれだれ!」と騒ぐふたりに目を合わせて「こんにちは」と話しかける。

 声をかけられるとは思っていなかったのだろう。右側の子はみるみるうちに顔を赤くし、ルイから離れて室内へ駆けていく。


「わああ! かーちゃーん! 知らない人が話しかけてきた!」

「あはは、可愛い」

「あいつが一番うるせえんだよ。2番目の弟」

「そうなんだ。いくつなの?」

「9歳。まだガキなんだよ」


 悪態を吐くルイだが、その表情は案外穏やかだ。家族仲は悪くないのだろうな、と思わせる表情に、さらりは少し安心する。


「なあに、お母さん今夕飯作ってるんだけど……ああ、おかえりルイ。どこ行ってたのあんた! 買い出し頼もうと思ってたのに、あんたが黙って出かけたせいでお母さん大変だったんだからね!」


 弟に連れられて奥から現れたのは、中肉中背の女性だった。エプロンを掛け、背中には小さな赤ちゃんをおぶっている。ルイの年齢から考えてもさらりの母より若いはずだが、年上に見えた。肌が荒れ、髪もぼさぼさでやつれている。


(子供がたくさんいて疲れてるんだなあ……)


 今も、足元にはルイの弟が絡みついて何やら喋りかけている。手にはお玉。大変そうだ。


「うるせえな。この人が母さんに用があるんだってよ」

「ええ? ……何ルイ、あんたまさかこのお姉さんに迷惑かけたんじゃないでしょうね! いい加減にしなさいよ、ごめんなさいねうちの子が、何をしでかしたんですか?」

「ルイくんには、良くして頂いているんです。そのことに感謝をお伝えしたくて、今日は参りました」

「え? うちの子が?」

「は?」


 きょとんとするルイの母、唖然とするルイ。


(「何だよその言葉遣い」とか思ってるんだろうなあ)


 聖美学園の面接試験を乗り切ったのだ。本気を出せば、さらりにだってこのくらいの気取った素振りはできる。


「ええ。実は先日、来見ダンジョンでルイくんが道案内をしてくださいました。おかげで、私は危険な目に遭わなくて済んだんです。そのことに感謝をお伝えしたいのと……お母様に、折り入ったご相談がありまして」

「ご相談?」


 ルイ母が怪訝そうな表情をする。疑われるのも仕方がない。相手からしてみれば、さらりはいきなり現れた名も知らぬ女子高生なのだから。

 ……いや、名前くらいは伝えなくてはならない。最低限の自己紹介も必要だ。


「あっ、名乗り遅れました。涼木さらりと申します。聖美学園高等部の1年生です」

「えっ……聖美学園? あの? ……そ、そんなお嬢様に、うちの子が何をしてしまったんでしょうか……」


 聖美学園の名前を出した途端、ルイ母の肩幅が半分くらいに縮こまった気がした。恐縮そうな態度で返され、さらりは驚く。


(聖美学園って、そんなにすごいんだ)


 もちろん伝統校、有名な学校だというのは知って受験した。特待生の倍率も高く受かるための勉強も大変だったが、さらりは引っ越してここへ来たため、地元で持たれている印象というのはよく知らなかったのだ。

 脅かしたかったわけではない。さらりは微笑みを深め、自分より少し背の低いルイ母と目線を合わせる。


「ルイくんは、私に親切にしてくれたんですよ。ダンジョンの案内も買って出てくれて、今は一緒に探索をしてくれているんです。前にルイくんが、私の話をしたと思うんですけど……」

「あっ! ルイをダンジョンに入れてくれた知らない女の人って、あなたが!」

「知らない女の人?」

「仕方ねえだろ。あんたの名前しか知らなかったし、俺。せーび学園? とかいうとこに通ってんのも、聞いてねーし」

「ルイ! あんたなんて口利いてんのよ、相手はお嬢様なんだからね、謝りなさい」

「大丈夫です、お母様。ルイくんがこうして気安く話してくれるの、私にはありがたいんですよ」

「そうですか……? ご迷惑をおかけしているんじゃありませんか? この子は学校でもどこでも、人様にご迷惑をおかけしてばかりで、ほんと困った子なんですよ」

「そんなことありません、ルイくんにはよく助けてもらっているんです。それで、ですね……今後の探索にもルイくんの力が必要なんです。夏休みの間、ルイくんをお借りしてもいいでしょうか?」


 ルイ母の調子に合わせていると、いつまでも話が進みそうにない。さらりが本題を切り出すと、ルイ母はどーん、と勢い良くルイの背を叩いた。


「いってえ!」

「こんな子で良ければぜひぜひ、うちに居てもなーんにもしないんですから、誰かのお役に立てるんなら何よりですよ!」

「あ……そうですか」

「ええ、ええ! いつもどこほっつき歩いてんだかわからないんです。面倒見てくださるんなら、寧ろお願いしたいくらいで!」

「はあ……なるほど」


 もう少し嫌な顔をされると想像していたので、何だか拍子抜けだ。拍子抜けだが、親の許可を得られたならそれで良い。


「では、この夏休みの間、ルイくんが家に居ない時は私と一緒に居りますので。一応、何かあった時のために連絡先を……」

「あー、いらないですいらないです! 電話掛けられても取れないので! この子、生きる力だけはあるんで、何があっても家には帰って来られるから大丈夫です。そうそう、去年もね、皆で買い物に行った時に、うっかりこの子だけ置いて来ちゃったことがあって。車で30分くらいの距離にあるスーパーなんですけど、この子歩いて帰ってきたんですよ

ひとりで! そこは心配してないんで、大丈夫です」

「はあ……そうなんですね」


 一体何が引き金だったのか、ノンストップで話し続けるルイ母に圧倒されるばかりである。


(そこは心配してあげたほうがいいんじゃないかなあ……)


 そう思いもするが、言葉にはしない。子供を5人も抱えた大変そうなお母さんに、さらりが説教めいたことを言えるはずもなかった。


「かーちゃーん! いつまで喋ってんだよー!」

「こっち来て! こっち!」


 今だって、ルイ母の両足には弟達が絡みついているし、極め付けに背中の赤ちゃんが泣き始めた。


「いいってよ、さらり。これでいいか?」

「あ、うん……」

「母さん、用は済んだって」

「あらあ、そうですか! ではこれで! らいはいわかったわかった、何? ちょっと待ってね、ミルクが先だから……ああっ、火! 止めてなかった!」

「やだー! こっち来て!」

「こっちだよ! 腹減った!」


 挨拶もそこそこに、ルイ母は部屋の奥へ戻っていく。玄関の奥に見える部屋は、荷物が散らかってごちゃごちゃしている。


「……うるせーだろ?」

「あはは……ああ賑やかだと、なかなか落ち着かないでしょう」

「俺には止めろよ、その気色悪い喋り方」

「ああ、ごめんね。よそゆきの喋り方が抜けてなかった?」

「何なんだよ、さっきの。人が変わったかと思ったぜ、声も表情も変えてよ。担任と話す時の母親みたいだぜ、気持ち悪い」

「大人って、外の大人と話す時は多少態度が変わるものじゃないかなあ」

「そんな大人嫌いだぜ。それっぽい顔して、嘘ばっかり吐きやがる」

「嘘?」

「ああ。あんただって嘘吐いただろ。俺に感謝なんかしてねえくせに」


 吐き捨てるような言い方は、いつにも増して投げやりだ。さらりの態度が、ルイの何かを刺激してしまったらしい。

 だとしても、さらりの答えはひとつだ。真っ直ぐ目の奥を見つめ、こう告げる。


「感謝してるよ。嘘じゃない」

「……するわけねえだろ。俺みたいな奴に」

「むしろ、私の何を見て感謝してないと思ってるの? ルイくんが居なかったら、初日にスライムの巣に踏み込んで死んでたかもしれない。バブルクラブに追いかけられた時なんか、ルイくんが居なかったらパニックで何もできなかったよ。これからも、ルイくんに案内してもらわないと絶対に迷っちゃう。ルイくんが居てくれて感謝してるし、これからも居て貰わないと困るの」

「……うるせえな」

「それに、ひとりじゃ頑張れないからね。ルイくんが居てくれるから楽しくダンジョンに潜れてるってことにも、ちゃんと感謝してるよ。ルイくんだってわかってると思ってたのに、そのくらいのこと」

「……あーもう、ほんと……」


 悪態のレパートリーがなくなり、耳の縁は赤くなる。そんなルイの様子を微笑ましく思い、さらりは目を細めた。


「もっと言ったほうがいい? もうわかってくれた?」

「わかった! わかったよ。悪かったよ、イライラして。母親のあの、いつもと全然違う態度に腹立ったんだよ。俺にはでけえ声で文句ばっかり言うくせに」

「そっかそっか。ふふ、ルイくんのそういう素直なところけっこう好きだよ」

「素直じゃねーし! うるせえな」


 こんな風に乱暴な言葉の選び方をする人は苦手だったはずなのだが、ルイだと可愛らしく思えてしまうから不思議だ。


「……とりあえず、これでお母様の了解は得られたね」

「おう。これでさらりも満足なんだろ?」

「うん。小学生を勝手に連れ回すのはいけないよなーって思ってたから良かった。本当は、ルイくんのお父さんにも言ったほうがいいんだろうけど……」

「ああ、それはやめといた方が良い。あいつのことは気にすんなよ。こないだは違う靴履いて帰ったからバレたんだ。もうバレねえように気をつけるからさ」

「いいのかなあ」

「いい。俺が『ダンジョンには行ってない』って言えば、母さんも話を合わせてくれんだろ。あいつ、怒らせたら面倒だからな」

「……そっかあ、そうなんだね」


 父親との確執はいよいよ深そうだ。安易に踏み込むとまた心を閉ざされそうな気がして、さらりはその一歩を踏み出せない。曖昧に相槌を打ち、笑顔を作る。


「ルイくんがそう言うなら、きっと大丈夫だね。明日はまたダンジョンに潜ろう。それで、何日かに1回は一緒に勉強しようね」

「えっ、また勉強すんのかよ」

「図書館、静かで集中できたでしょ。計算のドリルも半分くらい終わってたよね」

「終わったけどよ。さらりの宿題に付き合うのは今日だけのつもりだったんだが」

「夏休みの間、ルイくんが家に居ない時は私と一緒に居るって言っちゃったからさ。ね、勉強にも付き合ってよ。ルイくんと一緒だと、いつもより集中できるの」


 言い募るさらりに、ルイは小さく舌打ちをした。


「仕方ねえ。またあのソフトクリーム食わせろよ」

「お小遣いはダンジョン探索にも使いたいから、毎回はあげられないかもしれないけど」

「いい。あんたには昼飯のおにぎりも貰ってるしな」


 何なら、ルイから交換条件を提示してきた。さらりのお願いを渋々聞くルイ、の構図が仕上がってきて、何となく楽しい気分になる。お決まりのやり取りができるのって、仲良くなった証みたいだ。


「それじゃ、また明日ね!」

「おう」


 それぞれ手を挙げ、互いに背を向ける。また明日も会うのだから、別れの挨拶だってそう寂しくはない。


(ルイくんのお母さんに挨拶できて良かったなあ)


 これで、彼を連れ回すことに引け目を感じなくて済む。それに、ルイの保護者を名乗るにあたって、親の許可があったほうが良いはずだ。さらりなりに、今回の訪問についてはいろいろと考えていたのである。


(今日は3層の予習をしてから寝ようっと)


 軽やかなスキップを交えながらバス停へ向かうさらり。明日が楽しみだと思う感覚も久しぶりだ。引っ越して来て、友達みんなと離れてしまってからは、毎日変わり映えしなかったから。

 ルイに伝えたことは嘘ではない。楽しいのはルイのおかげなのだ、本当に。

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