第5話 もったいないのは嫌なので

1-5 バブルクラブの脚


「また鍋出してんのか。何に使うんだよ」

「茹でるのは、これでーす」

「ん? その脚、どっから出した?」

「えへへ、実は【収納庫】にしまっておいたの」


 バブルクラブを倒すうちに連携が取れてきて、さくさく倒せるようになるのが楽しくて夢中になってしまった。結局転送陣を起動するのに充分な核を手に入れられたので、3層に続く転送陣を起動すると、さらりたちは1層に戻ってきた。

 昼ごはんにしてはすっかり遅い時間だ。1層の平たい場所にコンロと鍋をセットすると、このために持ってきた2リットルのペットボトルから水を注ぐ。戦利品であるバブルクラブの脚を取り出すと、ルイが目をぱちぱちさせた。

 驚くのも当然である。2層から戻る時、ルイにはバブルクラブの脚を手に持っていてもらったのだが、1層に着いたら消えていた。モンスターから出た核も階層を越えて運ぶことができないので、同じルールが適用されているらしい。


「【収納庫】って、階層を跨いで運べるのか。核もそこに入れといたら、集める時間が短縮されるんじゃね?」

「あっ! 確かに!」

「もっと早く教えといてくれよ。全部捧げちまったじゃねえか」

「いやー……ルイくん、発想力があるんだね」


 本来は階層移動の際に消えてしまう核を取っておけるのなら、確かに次の階層での時短に繋がる。脚を食べることしか考えていなかった自分が恥ずかしくなり、さらりははにかむ。


「沸いてきた。そろそろ茹でてみるね」


《バブルクラブの脚:無毒。》


 バブルクラブは体のどこかに毒を蓄えているが、脚は無毒であるらしい。朗報である。ふつふつと泡立つ湯の中に、そっと投入してみる。


「……入らない」

「どう見ても大きさが違うだろ。何で入ると思ったんだ?」

「脚を曲げればいけるかなって……ここで折るしかないかな。えいっ」


 ばきっ。鍋からはみ出た脚の部分に包丁の刃を当てると、堅固な殻が割れて千切れる。さらりは、片方をまた【収納庫】に戻した。


「おかわりしたくなったらこれを茹でよう」

「……つーか、そこに入れてたら消えないんだな」

「そうなの! 【収納庫】に入ってるものは、持ってる判定になるみたい」

「便利すぎねえ? ずりーな。……いや、別にその機能はずるくないか。俺、バブルクラブの脚を持ち運びたいとは思わないわ」

「食べて美味しかったら思うかもしれないね!」

「ねえだろ。スライムみたいに何の味もしねーんじゃねえの?」

「どうだろ。ほら、赤く茹だってきたよ。どう見ても美味しい蟹だよ、これ」


 青い殻が、みるみるうちに赤く変色する。頃合いを見計らって、さらりは湯から上げた。ほこほこと湧き上がる湯気からは、蟹の匂いがする。


「半分に切って……はい、こっちはルイくんの」


 殻を縦に切ると、ひとつをルイに渡す。断面からは白っぽい繊維質の身が覗いている。ますます蟹らしい見た目だ。


「先に食えよ」

「わかってる。いただきまーす…………うん、まあ、蟹だね」

「何だよ。微妙な顔しやがって」

「確かに蟹なんだよ。食感も匂いも、味も……でもなんか、薄い」

「薄い?」

「まずくはないよ。食べてみて」

「……おっ! 何だよ、うまいじゃねーか!」

「えっ、ほんと?」

「うん、うまいぜ。蟹ってこんな味なんだな! 俺、好きだわ」


 微妙だと思ったバブルクラブの脚を、ルイは吸い込むように食べてしまう。


「さっきのも茹でようぜ! あんたが食わないなら俺が食うわ」

「うん、茹でるよ。あ、うちの親がおにぎり作ってくれたんだ。茹で上がるまでの間、良かったら食べて」

「よっしゃ。……すげえ、家で作ったおにぎりに具が入ってるんだな」


 ルイはいつにも増して饒舌だ。よほどバブルクラブが美味しかったらしい。

 喜んでくれるならその方が良いので、さらりは残りの脚も取り出し茹で始める。


(「蟹ってこんな味なんだな」って言ってたよね……蟹、食べたことないんだ)


 しかもその後、母の握った具ありのおにぎりに感動していた。ルイの家庭環境が、改めて心配になる。


「ルイくんは、家ではどんなご飯を食べてるの?」

「は? 関係ねえだろ」

「あ、ごめんね。話の流れでつい」


 家のことを聞いた途端、ルイの心の扉がぴしゃりと閉じる音が聞こえた気がした。


(こっちから聞くのは、あんまり良くないのかも)


 話したくなれば話してくれるのだろう。何やら良くない環境に置かれていそうなルイのことは心配だが、無理やり聞き出して嫌われてしまったら意味がない。

 そうこうしているうちに脚が真っ赤に茹で上がる。ルイはがっつくように食べ始め、「うまいな!」と目をきらきらさせて喜んでくれた。どうやら機嫌は良くなったらしい。


「あー、うまかった……うん? 何してんだ、それ」

「スライム茹でてるの。黒蜜かけたらデザートみたいで美味しいんじゃないかと思ってさ」

「ふーん。デザートは食いてえな」


 ルイが動画を見ている時にスライムゼリーをいくつか採取して、なんとなく【収納庫】に入れてみたのだ。時間が経っても消えなかったことから、【収納庫】に物を入れても触れている判定になるとわかったのである。

 さらりはスライムゼリーが透明になるまで茹でこぼし、皿に持って黒蜜をかけた。ところてんのように見えなくもない。


「……うん、まあ。美味しいよ。黒蜜の味しかしないから」

「ふーん。……甘いな。昨日よりはマシだけど、俺はやっぱりバブルクラブの方がいいわ」

「どっちがいいかって言われたら、私もそうだなあ」


 無味のスライムゼリーと薄い蟹味のバブルクラブ。難しい選択である。


(調味料をいろいろ持ってきたら楽しめるかも)


 荷物が重くても、ダンジョンに入ったら【収納庫】に入れてしまえばいい。スライムゼリーは味がないから、何の調味料ともよく合いそうだ。バブルクラブは、塩を振ったりマヨネーズと和えたりしたら美味しいだろう。考えると、何だかわくわくしてくる。せっかく食べるのなら、美味しい食べ方を見つけたい。


「あー、うまかった。……このあとどうする? バスまでまだ時間あんだろ。3層行ってみるか?」

「早く進みたいけど……3層の予習はまだしてないから、それは明日にしよう。一緒に動画見るか、2層でスキルを鍛えるかかなあ……あっ! ルイくん、私のこと【鑑定】してくれる? 【短刀術】が手に入ったか確かめたいし、バブルクラブを食べたから何かスキルが増えたかも!」

「いいぜ。……うん? あはは!」


 さらりを【鑑定】したはずのルイが、急に笑い出す。


「【短刀術】じゃなくて【解体術】になってるぞ! 解体ってあれだろ、マグロの解体ショーの。また食うのに便利なスキルじゃねーか!」

「えー……【短刀術】はないの?」

「ない。【解体術】だけ。あとは【鑑定】と【収納庫】と……【加速】とかいうのが増えてるぜ。便利そうだな、加速は」

「足が速くなるのかな?」


 さらりは立ち上がり、【加速】を意識してみる。


「あれ? 何も起こらな、うわっ!」


 ルイに話しかけようと首をひねると、ぐるんと勢い良く回転し、姿勢を崩して転んでしまった。

 起き上がろうと手を出せば誤って指先を地面に突き刺し、踏み締めようとする足はあらぬ方を蹴る。


「何これ、ルイくん、助けて」

「あはは! 何言ってんだか全然わかんねえよ!」

「何でこんな、早口、うぐっ」


 そして、自分でもわかるほどの早口。舌がよく回りすぎて訳が分からなくなり、思い切り舌を噛んでしまった。あまりの痛さに涙目でうずくまり、痛みが引いたところでゆっくり顔を上げると、もう普通に動けた。


「あっはは、うける。【加速】は使えねえスキルっぽいな。大丈夫か、あんた?」


 近寄ってきたルイが差し出した手を借り、さらりは起き上がる。


「ありがと、大丈夫……体の動きが全部速くなるんだね。慣れたら強そうじゃない?」

「慣れられんのか? さっきあんた、めちゃくちゃなことになってたぞ」

「1層で練習すれば、安全に慣れられるかも……」

「早く下層に降りたいんじゃねえのかよ」

「そうだけど。せっかく得たスキルは使えるようにならないと、何だかもったいない気がして」

「そうかねえ。ま、好きにしろよ。どれだけ時間がかかっても俺は困らねえし」

「うーん……あっ! ルイくんも、新しいスキルもらえた? ふたりとも【加速】があったら一緒に練習できるよね」

「確かにな、見てみるわ。鏡貸してくれ。………………返すわ」


 鏡をこちらに戻すルイの表情は、見るからに不貞腐れている。


「……増えてなかった?」

「増えてたぜ」

「【加速】?」

「違う。何で俺ばっかり変なスキルなんだよ、最悪だぜ」

「変なスキルだったんだ」

「ああ。……【泡吹き】」

「え? ごめん、声が小さくて」

「【泡吹き】だよ、【泡吹き】! あいつら、口から泡吹いてたもんなあ! 何だよこれ、使ったらどうなんだ? 泡が口から出んのかよ!」

「口から泡が出るの? すごいね、見てみたい!」

「はあ……? ほんと変わってるよな、あんた」


 ルイはため息を吐き、「1回だけやってやるよ」と続ける。すぐにその唇から、ぷく……透明な泡が現れた。膨らむと唇から離れ、ふわーっと宙に浮き上がり、やがて割れる。それは、さながら。


「シャボン玉だね! すごい!」

「どこがだよ。やっぱり何の役にも立たねえぞ、これ」

「そう? こんなに綺麗なのに、青い空に飛んでくシャボン玉。私ね、小さい頃はシャボン玉が大好きで、毎日遊んでて……好きすぎてシャボン玉液を飲んで、親が慌てて病院に連れてったんだって」

「その頃から変わってねえんだな」

「えへへ。久しぶりに見たよ、シャボン玉。やっぱりいいなあ……【泡吹き】、素敵なスキルだね。私、そっちが良かった」

「……そうかい」


 次々に生まれるシャボン玉が、風に乗って舞い上がる。小さな虹色がたくさん空を舞い、そして割れていく。儚い。儚いからこそ、美しい。

 並んでそれを見上げていると、やがてシャボン玉は止んだ。


「もうおしまい?」

「そうみてえだ」

「残念。もっとみたかったなあ」

「……またやってやるよ」

「え! いいの! やったあ!」

「今度な! 今日はもうやんねえ。口の中、何か泡っぽくなって気持ち悪いんだよ!」

「うん、また今度ね!」


 綺麗なシャボン玉を見たら、何だか気力も湧いてきた。さらりは立ち上がり、周囲を見渡す。こちらに向かって、今もスライムたちはのろのろと近づいてきている。


「バスまではもう少し時間があるから、片付けて、あとはスライム倒そっか。私は【加速】の練習をしてみる。ルイくんはどうする?」

「【短刀術】使いながら戦うのに慣れとくわ。核集めとくから、あんたの【収納庫】に入れてくれよ。3層で使えばすぐ転送陣起動できんだろ」

「あ、そうだったね。私も核集めておかなきゃ」


 【加速】を使うときに包丁を持っていると危ない気がするので【収納庫】にしまい、素手の拳をスライムに向けたさらりは、ふと思いついて首を傾げる。


「【収納庫】に核を入れて外に出たら、全部消えちゃわないかな?」

「知らね。今日はスライム倒して帰るんなら、取っといてもダンジョン出る時に消えんだから同じだろ」

「確かに。気にしなくていっか」


***


「ふべっ!」

「あはは、人間が出す声じゃねえな」


 地面に突っ込んだのは何度目だろうか。草が鼻に入って嫌な感じがする。そんなところに小馬鹿にしたようなルイの笑い声が聞こえたものだから、さすがのさらりも少しむっとする。


「人が真面目にやってるのに、そんなに笑わないでよね」

「あはは、悪い悪い。でもよ、外から見てると笑っちまう動きしてんだって」

「そんなに?」

「おう、そんなに」

「……後で見てみる」


 ドローンで撮影した映像は、家に帰れば見られるはずだ。ルイに対して怒るのは、動画を自分で確認してからにすることにした。


「あー、頭が疲れてる。【加速】ってさ、体は速くなるのに思考は速くならないのが良くないよね。両方速くなれば平気で動けそうなのに」

「ふうん……よくわかんねえけど、疲れてんならこれ食ったら?」

「これ……核だね。どうして?」


 手渡されたのは、丸いころんとした石。意図がわからずルイの顔を見ると、彼は呆れた表情をする。


「どうしてって、昨日食ってわかったろ。これ食えば、疲れが回復するじゃねえか」

「あ、そうだったね。ルイくんももう食べたの?」

「さっき食った。あんたも食えよ。食い意地張ったあんたが何食ったか忘れてるなんて、相当疲れてんだろ」

「あはは、ほんとだね。……いただきます」


 受け取ったスライムの核を口に放り、水と一緒わにごくんと飲む。前回同様腹が熱くなり、それが全身に回ると体がふわっと軽くなる。頭の奥が重くなったような疲労感も、一瞬で払拭された。


「あー、元気になった。すごいねほんとに。今日をもう1回やり直せるくらい元気出たよ」

「何なら、もう少しやってってもいいぜ」

「ううん、やめとく。バスの時間だから」

「……だよな。わかってるよ、行こうぜ」


 ルイがため息をついたような気がしたが、すぐに顔を上げて虹の膜に向かっていくので、さらりも慌てて後を追う。

 膜を抜けて、外へ。途端に、湿度の高いむわっとした熱が額を撫でる。


「暑いね、もう夕方なのに……」

「やってらんねえぜ」


 西陽がきつく、じりじりと肌を焼くようだ。核を食べて元気になったはずなのに、もうぐったりした気分になってくる。


「ああ、今日は間に合った」

「良かったじゃねえか」

「うん。ルイくん、また明日、同じ時間にね」

「おう」

「気をつけて帰ってね!」


 別れの挨拶をし、片手を振りながらバスに乗り込む。そしてさらりは、運転手に「それを止めてから乗ってください」と注意された。配信用ドローンを止めるのを、今日も忘れていたのである。


「ああ、いけない。すみません……うあっ!」

「どうかしました?」

「あ、いえ、何でも……その……忘れ物をしたので、次のバスに乗ります」

「そうですか」

「はい……すみません……」

「またのご利用をー」


 ドローンを抱え、背を丸めてバスを降りるさらり。後ろで扉が閉まり、バスが走り出す。


「どうしたんだよ?」


 目の前には、訝しげなルイ。


「ルイくん……大変なことをしてしまったかもしれない」

「大変なこと? どうしたよ」

「【収納庫】から、リュックを出しておくの忘れちゃった」

「ああ、取りに戻るか」

「ちゃんとあるかな? ダンジョンを出た時にリセットされて、中身全部なくなってる可能性あるよね」

「それはある」

「どうしよう……全部あの中に入ってるよ……」


 財布もスマホも水筒も、何もかも【収納庫】の中である。それにあの中身はなけなしの貯金をはたいて買ったもので、無くしたら買い直す金銭的余裕はない。


「ああ……無くなってたらどうしよう」

「確かめてみねえとわかんないだろ。戻って見ようぜ」

「うん、うん……そうだよね……」


 ダンジョンに向かって歩くさらりの足取りは鈍い。焦っているし気になるのだが、結果を知るのが怖い。


(見たいけど見たくない……【収納庫】にちゃんと入ってますように……)


 そう脳内で祈った時、頭の中に棚のイメージが出てきた。棚の一番上にはリュックが、その隣に核の山がある。


「あった! ルイくん、ちゃんとあったよ!」

「は? あった?」

「あった! 出せた! ねえ見て、ちゃんとあったよ!」


 気分が落ち込んでいたからこそ、嬉しさもひとしおだ。両手で持ち上げたリュックの、ずっしりした重さが愛おしい。早速さらりはリュックを開き、中身を軽く確かめてからドローンをしまう。


「何もなくなってないみたい。良かったあ、どうなることかと……」

「えっ、お、おい。今【収納庫】から出したのか?」

「そうだよ。リュックは【収納庫】にしまってたんだもん」

「いやいやいや、ここダンジョンの外だぜ。スキルは外じゃ使えないんだろ?」

「え? あっ、そうだよね」


 ダンジョン内のことは、外には一切持ち出せない。だから現代におけるダンジョンは、娯楽と研究の対象にしかならないのだ。

 スキルが持ち出せるということになれば、世界はがらりと変わる。これは歴史を変える大発見だ。


「すげえ!」

「すごい!」


 ……なんてことに、彼らは気づかない。ただ、目の前で起きた常識外れの事態に驚きと興奮を覚えるだけだ。


「リュックの中身全部出して入れておけば、何でもすぐ出せるよ。すっごい便利」

「もう荷物運ばなくていいってことだろ? 重いランドセル背負う必要もなくなるんだな、すげえ」

「そっか……ダンジョンの外のことにも使えるんだ。これがあれば、旅行にも手ぶらでいけるってこと? すごいね、それ!」

「うわあ、ずりい。俺も【収納庫】欲しいぜ。俺のなんか、外で使えても仕方ねえスキルばっかりなんだが」

「……モンスターを食べて手に入れたスキルを、外で使えるってことあるかな。ルイくん、良かったら……」

「……やってやるよ」


 以心伝心。ルイによる【泡吹き】のシャボン玉が空に消えていくのを見て、さらりはまたも童心を思い出しほっこりとするのだった。

 荷物が無事だった上に思わぬ収穫も得たさらりは、楽しい気持ちで帰路に着くのだった。


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