第6話 ランプは黄色に光る

「昨日は随分楽しそうに笑ってたわねえ。何かあったの、さらちゃん」

「うん……ふふ、ちょっとね。動画が面白くて」


 昨晩さらりは、ドローンによってアップされた非公開動画を確認した。もちろん、【加速】中の自分の姿を確認するためである。

 結論から言うと、おかしかった。声を上げて何度も笑ってしまったくらいだ。


(昨日、ルイくんに怒らなくて良かった)


 何なら、ルイはよくあの程度の笑い声で済ませていたものだと、そちらに感心してしまうほどだった。


「動画ねえ。さらちゃん、宿題は進んでるの? 遊んでばっかりじゃだめよ」

「そうだね……そろそろ手をつけなきゃ」


 ルイとのダンジョン探索が楽しくて、ついつい後回しにしてしまっていた。昨日も夜遅くまで3層の予習に時間を使ってしまったが、あれは宿題に充てるべき時間であった。聖美学園は学業にも力を入れており、宿題はしっかりある。ダンジョン探索は「学業に支障が出ない限り」許可される。宿題を後回しにし続けてはいられない。


(そういえばルイくんは、宿題ってどうしてるんだろう?)


 さらりの小学生時代は、あれやこれやと宿題が課されたものだが。今後の計画も含めて相談しようと決め、約束の時間にダンジョンのそばへ行ったさらりは、ルイの格好を見て目をむいた。


「えっ! 裸足で来たの?」


 地面に立つその足には、靴も靴下も履いていない。


「ああ。ちょっとな」

「ちょっとなって……どうしたの? 靴が壊れちゃった?」

「いや。父親に隠された」

「お父さんに隠された……?」

「昨日、あんたに借りた靴で帰っちまってさ。誰かから盗んだんじゃねーかって疑われて、違うって言ったけど信じてもらえなくて、あんたとダンジョンに入ってることまで話しちまった。そしたらもう行くなって、靴隠されたんだよ。俺の父親、ダンジョンを恨んでるから」

「恨んでる? どうして?」

「父親の両親ーー俺の爺ちゃんと婆ちゃんは、ダンジョン出現の被災者なんだよ」

「あ、そうなんだ……」


 40年ほど前に起きたダンジョン出現時の大混乱は、テレビでたまに特集されているし、祖父母から聞いたこともある。今でこそ生活は落ち着いているが、当時は本当に大変だったらしい。

 世界にダンジョンが現れたとき、そこにあった物体は全て消え去ってしまったという。日本国内では、水道管が分断されて断水、電柱ごと電線が消えて停電、道路や線路が寸断、といった事態が各地で起きたそうだ。中には発電所や水道局、駅、役所などの大切な施設が丸ごと消えてしまった県もあり、復旧はそれはそれは大変だったらしい。幸いだったのは中に居た人はダンジョンの外へ出されたため、ダンジョンの出現が直接的原因で命を落とす者はいなかったということだけである。

 インフラへ与えた影響だけでなく、個人への影響も大きかった。外へ出された人々に許されたのは、その時身に付けていたものだけ。家も、家の中にあった財産も、丸ごと消滅してしまった。国からの補填もあったらしいが、元の生活を取り戻すには不十分だったと訴える被災者のインタビューを見たことがある。


「爺さんたちはタンス預金? とかいうのをしてて、大金がダンジョンに飲まれちまったんだってさ。家と金があれば暮らしは楽だったのに、ってしょっちゅう嘆いてんだよ」

「それは……大変だったんだね」

「大変だったとは思うけどよ、40年前だぜ? 家と金がなくなったのはわかってんだから、子供の数を考えろって話だろ。子供5人も作っといて、家が狭い金がないって、そりゃねえぜ」

「子供5人……5人? え、ルイくんのお父さんの話だよね?」

「ああ。俺5人きょうだいなんだよ」

「5人きょうだい! すごいなあ、賑やかそうだね」

「うるさいだけだぞ。それに家にいると子守りと手伝いさせられるから、俺は外に出てんだよ」

「お手伝いしないの? 子供が5人も居たら、お母さん大変そう」

「あんたにはわかんねえよ」

「……そうだね、ごめん」


 せっかくルイが自分のことを話してくれたのに、余計な発言で嫌な気持ちにさせてしまった。落ち込むさらりを横目で見たルイは、ぼそっと「悪い。今の言い方は良くなかった」と謝罪で返してくれる。


「ううん、私が良くなかった。きっと、私が家でさせてもらってるお手伝いと、ルイくんがするお手伝いは違うんだよね。同じつもりで話しちゃったの、良くなかった」

「俺、俺も……俺が勝手に話したのに、あんたにはわかんねえって言ったのは良くなかった、と思った」

「ううん、ルイくんは悪くないよ。ごめんね、もうお手伝いしなよ、とか言わないようにするから……あっ、思ったら言っちゃうかもしれないけど。でも、できるだけ気をつけるから、またいろいろ話してくれる?」

「……そこまでして俺の話聞いて、あんたに何の得があんだよ」

「ルイくんが自分の話をしてくれたら嬉しいよ。仲良くなれた感じがして」

「仲良く……なりてえのか?」

「なりたいよ。えっ、ルイくんは仲良くなりたくない? あっ、ごめん、もしかして嫌々一緒に来てくれてた?」

「……別に、そういうわけじゃねえよ」

「ほんと? それなら良かった!」


 安堵に満面の笑みを浮かべるさらり。それを見たルイは、肩をがっくり落とす。


「俺、けっこう重い話したと思うんだけど。何でこんなのほほんとした雰囲気になってんの?」

「えっ……あっ、ごめん、笑ったら嫌だよね。真面目に聞いてるんだよ、ルイくんの話」

「もう謝んなくていいよ、さっきの繰り返しになるだろ」

「え……ええと……どうすれば」

「あんたが思ったように話せばいいだろ」

「でも、そうしたらまたルイくんを嫌な気持ちにさせちゃうよ」

「嫌な気持ちになんてなってねーよ! めんどくせえな。あんたはあんたの好きにしてりゃいいんだっつーの。もういいから、さっさと行こうぜ」

「あっ、待って! ひとりで行ったら危ないよ!」


 ダンジョンに向かってずんずん歩いて行ってしまうルイを、さらりは駆け足で追いかける。虹の膜を越えてダンジョンの中に入っても、転送陣に向かって真っ直ぐ歩いて行ってしまう。


「待ってよー!」


 さらりは【収納庫】からドローンを取り出し、手早く起動し後を追う。活動を録画しておくことは、ダンジョン内で必須の自衛策。急いでいても、忘れてはならない。

 空中に浮き撮影を始めるドローンには、黄色のランプが点灯している。焦るあまり、電源ボタンをいつもより長く押してしまったようだ。黄色のランプは「公開配信」のモードを示している。今、さらりの映像は配信サイトを通じて全世界に向けて公開されている。


「やっと追いついた! だめだよルイくん、離れたら危ないでしょ」

「大丈夫だろ。このダンジョン、人なんてほとんど来ないじゃねえか」

「人が居ないところの方が危ないんだって。ほら、一緒に行くよ」


 さらりはルイの腕を取り、がっしりと組む。ルイは抜こうと腕を振るので、押さえつけるように抱き込んだ。


「おい、そんなんいいって!」

「ルイくんが勝手に歩いていかないって約束するなら、離してあげるよ」

「わかったよ! わかったから!」

「約束して」

「ちゃんとあんたの近くにいるから!」

「よろしい」


 ぱっと腕を解放し、さらりはドローンを呼び寄せる。両手で抱え、転送陣に踏み込んだ。


「それじゃ、行こっか!」


 視界は虹色の光に包まれ、ふたりは2層へ移動する。抱えていたドローンは、離すとまた宙に浮いた。


「……おかしいなあ。2-3層の転送陣、こっちだったと思うんだけど」


 足音を立てるとバブルクラブが突進してきてしまうので、さらり達はできるだけ静かに水の中を進む。目指すは、3層への転送陣。それぞれの転送陣は1-2層、2-3層のように決められた階層を行き来することしかできない。3層に行くためには、2層と3層を繋ぐ転送陣へ乗らなければならないのだ。

 3層への転送陣は、昨日起動してある。だから今日はそこに向かうだけなのだが。


(転送陣が、見つからない……)


 2層では、バブルクラブが吐き出した泡が水面に浮かび、一面に広がっている。空から降り注ぐ光を反射してきらきら光るせいで、虹色に光る転送陣を見つけにくいのだ。

 浅いとは言え水の中を歩き続けているせいで、脚が疲れてきた。さらりは立ち止まり、額に滲んだ汗を拭う。

 2-3層転送陣に辿り着く気配はない。何なら、1-2層転送陣の位置もあやふやだ。認めるしかない、


「ルイくん……ごめん」

「何だよ、急に」

「迷子になっちゃった」


 やや深刻なトーンでさらりが告げると、ルイは呆れ顔をする。


「迷子って……ガキじゃねえんだから」

「ごめんね。地図は見てたんだけど、今どこに居るのかわからなくなっちゃった」


 1層ではGPSが機能するが、2層以降は「現在地を取得できません」とエラーが出てしまう。だから、現在地は自分で確かめなければならないのだが、2層は前後左右どこを見ても虹色の泡が広がるだけ。日頃スマホのマップ機能に頼って暮らしているさらりには、想像以上に難しいことだった。


「なんだ、そうだったのかよ。それなら戻ろうぜ」

「ルイくんは道がわかるの?」

「大体な」

「ああ、良かった……」


 知らず知らずのうちに緊張していたようで、肩からふっと力が抜ける。


「このままどっちの転送陣にも辿り着けなかったらどうしようかと……迷った時の最後の手段は、死んで戻ることなんだって。そんなの、やりたくないから」

「俺もそれは嫌だわ。迷ってんなら早く言ってくれよ、あれに向かって歩いてんだと思ってたぜ」

「あれ?」

「おう、あれ。あんた、シャボン玉が好きだろ? だからあのでっけえシャボンの山を目指してんだとばっかり」


 ルイが指差した先には、水面に盛り上がる泡の山。さらりはそれを呆然と眺める。


「全然気づかなかった……」

「あんなにでけえのに? はは、焦りすぎだろ」

「うん……ねえ、あれ、バブルクラブの巣じゃないかな。動画で見た気がする。あ、ほら……泡の中から、1匹出てきたよ」


 さらりの指差した先では、泡の山からバブルクラブが姿を現す。1匹、また1匹。果たしてあの山の中には、何匹のバブルクラブが潜んでいるのだろうか。


「……戻ろうか」

「巣には入っちゃいけねえんだろ」

「うん。気づかれるとすごい数のバブルクラブが出てくるらしいから、早く戻ろう」

「おう」


 大量のバブルクラブに襲われたら、今のさらりたちでは対処のしようがない。わかっているからこそ、後退するふたりにはぴりりとした緊張感が走る。その緊張感が、体の動きをぎこちないものにさせる。

 ばしゃん。


「あっ!」


 底に沈む石に足を取られ、さらりが体勢を崩す。うっかり勢い良く足を踏み込んでしまい、その余波が泡の山に向かって流れていく。


「……」

「……」


 ふたりは固唾を飲み、波の行く末を見つめる。もしかしたら、すぐに逃げるべきだったのかもしれない。しかし、張り詰めた緊張感がそれをさせず、様子見になってしまった。

 さらりから発した波が泡の山にぶつかる。大きな山に対してその波ははるかに小さく、あの程度なら何も起きないだろう、と気が抜けた時、山の峰が崩れた。


「あ……」


 虹色の泡の中から、青い体が現れる。ひとつ、ふたつ……それはすぐに数え切れないほどに。泡の山がみるみるうちに消え、消えたぶんバブルクラブたちが現れる。

 遠いのに、その姿は妙によく見える。鋭い鋏がぎらつく。無数の目玉が、ぐりん、とこちらを見る。

 ひとつひとつは違う個体のはずなのに、ひとまとまりの大きな生き物のように見える。ばらばらの方向を向いていた体が、じりじり回転し、さらりたちに対して垂直になる。

 次に何が来るかはわかっている。突進だ。


(ど、どうしようどうしようどうしよう……!)


 動揺、焦燥、恐怖。胸の内には感情が荒れ狂い、まともな思考ができない。指先が冷え、脚が強張って動けなくなる。


「おい、さらり!」


 突然名前を呼ばれ、はっと息を呑む。視線を下ろすと、こちらを見上げるルイの真剣な顔。


「情けねえ顔してんじゃねえよ、逃げるぞ!」


 握られた手のひらは温かく、ぐい、と引かれた勢いに任せてさらりも足を踏み出した。

 一歩出れば、次も出る。もうなりふり構っていられない。水飛沫を跳ね上げ、バブルクラブの大群から逃げる方向へ走る。


「こっちだ!」


 ルイに手を引かれ、前へ前へ。駆けながら、さらりはちらりと後方を確かめる。バブルクラブたちは、力を溜めているように見えた。突進する前の、一瞬の沈黙である。

 青い塊が膨らみ、空気がぶわっと押された感じがした。次の瞬間には、バブルクラブの大きさは2倍になっている。

 このままでは追いつかれる。それは予感ではなく、これから訪れる事実だった。


「やべえ! さらり、【加速】しろ!」

「で、でもあれは、まだ使えなくて」

「どうせ死ぬなら、お前の【加速】に巻き込まれて死ぬ方がマシだ! 早くしろ!」


 どうせ死ぬなら。乱暴なルイの物言いがさらりを楽にした。どうせ死を経験するのなら、バブルクラブに切り裂かれるよりは、【加速】で訳がわからなくなっているうちにダンジョンの外に放り出される方が良い。


「わかった。【加速】するよ!」


 ぐんっと、弾丸のように体が前へ飛び出る。


「くっそ! はええ!」


 繋いだルイの手が、ずるっと滑って抜けそうになる。それは駄目だ。絶対に離さない。自分はともかく、ルイに痛い思いをさせたくない。

 さらりはルイを抱き上げ、前へ進んだ。前へ前へ前へ。後ろが気になるが、振り向くと転んでしまうのはわかっている。頭を揺らさず、とにかく前へ走る。

 きっと、速いのだ。顔が風を切っている。足は水を蹴り前へ踏み出しているが、その感覚はなんだか現実離れしていて、自分の体ではないみたいだ。


「大丈夫! 離してるぞ!」


 ルイの声がする。抱えた腕の中の重みと温かさだけが、確かな自分の体の感覚としてそこにある。

 視界の端に、虹色の光がちらついた気がした。その光が何となく気になって、少し俯いて足元を確かめる。虹色に光る複雑な紋様。


(転送、陣)


 【加速】は突然に切れる。勢いを殺し切れず、前方につんのめる。危ない。ルイを潰さないよう、体をひねって背中から倒れる。


「うわっ! 大丈夫か? 逃げるぞ、立てって!」

「下見て、ルイくん」

「は? あ、ここって……」


 その間にも転送陣が光り、虹色の光に包まれる。目の前にドローンが飛び込んできたので、さらりはそれを捕まえた。同時に、視界が完全に虹色になる。

 光が引いた時、そこは見覚えのある草原だった。


「……1層だ」

「すげえ……逃げ切った」


 呆然としたそれぞれの呟き。緩んだ腕からドローンが飛び出し、並んで倒れているふたりを上空から映し始める。


「よく転送陣見つけたな、そんな余裕なかったわ」

「私もなかったよ。ただ偶然、下を見たら転送陣だっただけで」

「んなことあるのかよ。すげえ偶然」

「昔から運は良いんだよね」

「はは、良過ぎるな」


 ルイを抱えていた腕が、今更ぷるぷる震えている。緊張と恐怖のせいか足も震えていて、すぐに起き上がれそうにない。

 そんな状況ながらも、何だか晴れ晴れとした気持ちでいっぱいだった。真上に広がる空の青さと同じくらい、爽やかな解放感に溢れている。


「良かった、ルイくんが無事で」

「俺はあんたの腕に引っ掛かってただけだからな」

「また『あんた』に戻っちゃった。ルイくん、ちゃんと私の名前覚えてるのに」

「……」


 無言になったルイの顔を横目で伺うと、頬がうっすら染まっている。何だその顔。可愛いじゃないか。


「名前で呼んでよ。仲間なんだからさ」

「……わかったよ」

「呼んでってば」

「……」

「もしかして、恥ずかしいの?」

「そうじゃねえ。呼べばいいんだろ、呼べば。さらり!」

「あはは、やったあ」


 名前で呼び合うだけで、距離が縮まったような感じがする。嬉しくて笑うさらりと、呆れてため息をつくルイ。


「ほんと、ガキっぽいやつ」

「ルイくんはお兄さんだから、しっかりしてるんだね」

「……んなことねえよ」


 ぬるり。

 怪しい感触が踝を襲う。ルイがすぐに跳ね起き、寄って来ていたスライムへ拳を打ち込んだ。


「いい加減動かねえと、スライムが寄ってきやがった」

「そうだね。疲れたし、今日はもう2層にも戻れないから、甘いもの食べて休憩しよ。今起きるよ。ちょっと待って……」


 疲弊した脚がうまく動かず、さらりはのそのそと体勢を変える。片膝をついて立ちあがろうとした時、目の前にころんとした核が差し出された。


「それ食っとけ。楽になんだろ」

「ありがと。…………ほんとすごいね。腕とか足とか痛かったのに、全部治ったよ」

「そりゃ良かった」


 寄ってきたスライムを倒しながら場所を変える。さらりは【収納庫】から、いつものコンロを取り出した。


「随分歩いたし、腹減ったよな」

「お腹空いたなら、おにぎり先に食べてていいよ。今日も用意してくれたんだ」

「具入りのおにぎりじゃねえか、やったぜ」

「塩結び以外は大体具入りなんだよ、ルイくん」

「ふーん。お、梅干しだ。うめえ」


 おにぎりをむさぼるルイの隣で、さらりはバブルクラブの脚を取り出す。巣に近づいてしまう前、転送陣を探して迷子になっている間に、何匹か倒して脚を収納しておいたのだ。

 包丁を使って殻を半分だけ削いだバブルクラブの脚を、コンロの上に載せた金網へ並べて置く。

 ちなみに、破壊した部位から手を離すと10秒程で消滅してしまうという現象は、金網の端をトングで挟むことで回避している。


「今日は焼いてみようと思うんだよね。茹で蟹よりは焼き蟹の方が、水分が飛んで味が濃くなりそうだから」

「昨日ので十分うまかったぞ」

「わかってるんだけどさ。色々な食べ方を試してみたいから」


 熱されたバブルクラブの脚からは、じゅわじゅわじゅわ、と水分がどんどん出てきている。これでいいのだろうか。少し不安になって見守っていると、溢れる水が減り始めた頃、香ばしい匂いが立ち始めた。


「そろそろ食べられるかな」


 身にも火が通った感じがする。さらりは箸を取り出し、ルイに渡した。


「うめえ! 俺、こっちのが好きだわ」


 躊躇なく身を食べるルイに続き、さらりも焼けた身を端で取った。


「んー……昨日より美味しいね」

「な! すげえわ、蟹。うますぎる」

「うん……」


 焼いて水分を飛ばしたことで身が凝縮し、昨日よりも味が濃い。その代わりに、随分とぱさついた食感になってしまった。


「チャーハンにしたら美味しいかなあ」

「いいなそれ、うまそう。作ってくれよ」

「今度やってみようか」


 何しろ、さらりには【収納庫】があるのだ。チャーハンでも何でも作り放題である。


(お小遣い貰ったら、いろいろ買いに行こうっと)


 無味のスライムも薄味のバブルクラブも、調味料次第で美味しく食べられると思うのだ。せっかくならば、食べて「美味しい」とルイに言わせたい。


(それに、ドラゴンの肉も味が薄いかもしれないし……)


 美味しいドラゴンステーキを食べるためにも、モンスターの調理に慣れておいた方が良い。さらりはドラゴンステーキを食べるだけではなく、食べて「美味しい!」と言いたいのだ。


「最初は甘いのに、すぐ味がなくなっちまうんだよなあ」

「黒蜜をかけてるだけだからねえ」


 デザートは、スライムゼリーの黒蜜掛けである。小豆やアイスなどと一緒によそって、あんみつみたいにしたら美味しいと思うのだ。そんなことを考えているとわくわくしてくる。まずいモンスターを工夫して美味しく食べるというのも、『異世界冒険録』の冒険を彷彿とさせるのだ。


「なーんか、今から3層に行く気しねえよな」

「ルイくんも? 今日はもう、疲れちゃったよね」


 核を食べて疲れが癒やされたとしても、記憶が消えたわけではない。大量のバブルクラブに追われて逃げ切った経験を消化するには、もう少し時間が必要なようだった。


「昨日みたいに【加速】の練習をしようかな。さっき、少しコツを掴めた気がするんだよね」

「確かにちゃんと走れてたもんな」

「そうなの。最後には首を動かして、下にある転送陣を見られたんだから」


 片付けを終えて【加速】の練習を始めたさらり。手足の動きを最小限に抑えることで、体が振り回されず真っ直ぐ走ることはできた。首を少し動かすとバランスが崩れ、あらぬ方向にひっくり返ってしまう。


「転んじゃったあとは、じっとしてたら大丈夫なんだよ!」

「あはは、すっげー早口でよくわかんねえ」


 手や足を動かすからじたばたしてしまうのだ。【加速】が切れるまでじっとしていれば、無様な姿を晒すことはない。


「ちょっとずつだけど、上手く使えるようになってきてるよ。スキルは使えば使うほど強くなるっていうの、本当だね」

「【加速】が当たりスキルだったってことだろ、結局。俺の【粘液】とか【泡吹き】とか何にもなんねえよ」

「練習してみたら、すごいものが出るようになるかもしれないよ」

「ありえねえ。見ろよ、こんなもんしか出ねえんだぞ、おわっ!」


 どうやらルイは【粘液】を使ったらしい。ぼてっ、と重たい音を立てて粘液の塊が草原に落ちる。


「量が増えてる! 何だよ、これ!」

「何回か使ったから量が増えたのかなあ」

「まだ2回目だぞ! どうなってんだ、気味悪い。ちっ、何で俺ばっかりこんな使えねえスキルが出るんだよ」


 さらりが手渡したウェットティッシュで丹念に指を拭きながら文句を言う。


「使い道はきっとあると思うんだけどなあ」

「どうやって使うって言うんだよ」

「思いつかないけど……」


 そんな話をしているうちに、帰宅の時間だ。今日は忘れずにドローンを止めて、ダンジョンの外に出る。


「今日も楽しかったねえ」

「……そうだな。大変な目には遭ったけどよ」

「無事に帰れたら楽しい思い出になっちゃうんだね。こんなことに慣れちゃいけないけど、すごくやり切った感があるよ」


 際どいところをぎりぎりで切り抜ける経験。それは確かに、充実して楽しいものだった。


「ダンジョン探索にはまっちゃって、仕事を辞めて配信者になった人のインタビューをテレビで見たけど……その気持ち、少しわかる気がするなあ」

「ふうん。あんたも学校を辞めるのか?」

「辞めないよ。でも、夢中になる気持ちもわかるなって思って」

「そうだなあ。俺も楽しかったわ」

「ほんと? 良かった!」

「良かったって……楽しくなきゃ、俺だってこんな何日も一緒に居ねえよ」

「そうなの?」


 保護者を名乗ってくれるさらりが一緒に居ないとダンジョンに潜れないから、仕方なく一緒に居るのだろうと思っていた。そんなルイの素直な言葉は純粋に嬉しくて、頬が緩む。


「それは嬉しいなあ」

「……そうかよ」

「そうだよ。私もルイくんと一緒だから頑張れると思うんだよね。ひとりだったら、バブルクラブが襲ってきたところで思考停止しちゃって、酷い目に遭って、もう二度とダンジョンに潜らなかったかもしれない」

「あー……かもしれねえ。あの時あんた、パニック起こしてたもんな」

「うん。やっぱり、誰かと一緒に頑張った方が上手く行くんだよね、どんなことでも……ねえルイくん、夏休みの宿題も一緒にやらない?」

「は?」


 さらりの頭に浮かぶのは、中学時代に友人と時々行っていた勉強会の光景。わからないところを互いに教え合うことができるし、やる気が出るのだ。


「宿題なんてやんねえよ」

「やっぱり最近の小学生には夏休みの宿題がないの?」

「あるけど……やらねえよ」

「え、何で? 怒られないの?」

「怒られるけど関係ねえ。あんなもん、やってられないだろ」

「駄目だよ、ルイくん。宿題はちゃんとやらなきゃ」


 ルイの投げやりな態度は、さらりの正義感に火をつける。


「ひとりだとできないなら、一緒にやろ。私も宿題しなきゃいけないと思ってたところだからちょうど良いよ。明日はさ、ダンジョンはお休みにして宿題を進めよう」

「は? やだよ。ひとりでやれ」

「ルイくんが居た方がやる気が出るの。お願い」

「……」

「行くつもりの図書館は近くでおいしいソフトクリームが食べられるから、終わったらそれ食べようよ」

「乗った。さらりのおごりな」

「うん、わかってる」


 明日の予定がまとまったところで、ちょうどバス停に到着する。ドローンは既に止めていたので、今日は運転手に注意されずに済んだ。


「また明日ね、ルイくん」

「おう。またな、さらり」


 明日の約束をして別れる。友人同士みたいなこんなやりとりは久々で、さらりの心はなんとなくうきうきした。


(相手は小学生なんだけどな……)


 友情に飢えすぎている。そんな自分に苦笑いしつつ、ルイは大人びているから仕方がない、と納得するさらりなのだった。

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