第3話 さらりの手探りダンジョンクッキング
「スライムって、青くて透明で綺麗でしょ。あれに少し似てるって思ってたんだよね、カツオノエボシ」
「カツオノ……? 何だそれ」
「ニュースで見たことない? こういう青い透明なクラゲが、夏になると浜辺に大量に打ち上げられるの。猛毒だから絶対に触っちゃだめなやつ」
「知らね。……ふーん、似てなくもねえな」
さらりはスマホを操作し、カツオノエボシの画像をルイに見せる。その青は、スライムの青にどこか似ている。
自然界の華やかな色をした生き物は、毒を持っていることもある。スライムも有毒かもしれないとは思っていた。
それに、ドラゴンの肉も有毒な可能性がある。毒を抜くことができるかどうか、検証しておいて損はない。
「持っててくれてありがと。預かるね」
「はいよ」
コンロに火をつけ、ペットボトルの水を鍋に入れてルイから受け取る。スライムの破片と水が入った鍋を強火にかけた。
やがて湯がふつふつと沸いてくると、鍋の中に異変が起きた。
「うわ、汚ね! 何だよその色」
真っ黒に変色した鍋を見て、ルイが思いっきり顔をしかめる。
「うーん……スライムの色が溶けて出たのかな。絵の具って、全部の色混ぜたら黒くなるもんね」
「あんたマジでこれ食うの?」
「食べるよ。モンスターは食べられるってわかってた方が、安心して先に進めるから」
「そもそも安心して食えねえだろ、それ……」
「あ、見て。水変えたら、けっこう綺麗になったよ」
黒くなった湯を一旦こぼし、新たな水を入れて火にかける。蛍光色だったスライムは透明に近くなり、湯の色も灰色程度に落ち着く。
さらりはそれをもう何度か繰り返した。茹でこぼすうちにスライムは完全に色が抜け、湯も透明なままになる。
「ルイくーん! そろそろ食べるよ」
少し遠くで、暇潰しがてら寄ってくるスライムを倒してくれていたルイを呼ぶと、彼は小走りに戻ってきた。
「やっとか! 随分かかったじゃねえか……へえ、すげえ。透明じゃん」
「もうどれが何色だったかわかんないね。それにほら、こんなに小さくなっちゃった」
スライムの破片は水分が抜けたのか、指先で摘めるほどのサイズまで縮んでしまった。さらりは茹でスライムをざるに上げ、立ち上る湯気が少し落ち着くまで待つ。
「食べてみるから、毒状態にならないか見ててね」
「おう、任しとけ」
さらりは早速、スライムの破片を箸で持ち上げる。うっかりしたら取り落としてしまいそうな、スーパーボールのような感触。ふうふうと息を吹いて冷ましてから、そっと口に運ぶ。噛む。ぐしゃりと潰れたそれは、寒天を入れすぎたゼリーみたいな食べ心地だ。
「……どうだ?」
「うーん……しゃりしゃり、してるような……」
「味は?」
「ほとんどしない。ほんのりと……酸っぱい? ような……」
さらりの食レポはどうも判然としない。何しろ、ほぼ無味なのである。茹でこぼしを重ねた結果、色とともに味まで抜けてしまったようだ。
「……あ、こっちは何となく甘い気がする」
「全然うまそうに聞こえねえんだが」
「そうだね、美味しくはないかな。ルイくんも食べてみる?」
「うまくねえってわかってるもん食うかよ」
それもそうだ。
無理やり食べさせる趣味もないので、さらりはひとりでスライムを食べる。三つ目を箸で持ち上げると、スライムの破片に《スライムゼリー》という字が見えた。
「あれ? 何か《スライムゼリー》って書いてある」
「俺にも見えるぜ。あんたにも鑑定が生えたんじゃね? 【鑑定】って念じてみろよ。詳しい情報が見えるから」
ルイに勧められた通り【鑑定】と心の中で呟くと、《スライムゼリー:有毒、加熱により弱毒化。》と表記が増える。
「すごい! 毒があるかどうかわかるようになったよ! 加熱で毒が和らぐって書いてある、やり方もあってたみたい」
「え? 俺の【鑑定】結果にはそんなん書かれてねえよ」
「そうなの? 《有毒、加熱により弱毒化。》って見えるよ」
「俺には《スライムゼリー:スライムの肉体のほとんどを構成するゲル状の部位。》って見えるわ」
「同じ【鑑定】なのに見え方が違うんだね」
「みてえだな。変なの」
「面白いね。見たいものが見えるようにできてるなんて、ダンジョンって親切なのかも」
「毒の有無なんて見えてどうすんだよ」
「毒を弱くする方法までわかるんだよ? もしドラゴンの肉が有毒でも、この【鑑定】があれば良いやり方で食べられそう」
「そこまでして食いてえのか……」
「三十層まで行ってドラゴンを倒せたら、何が何でも食べたくなると思うの」
「まあ……そうかもな」
おや? 最初に比べると、少しだけ前向きな反応だ。同意を得られた嬉しさに、さらりはうっかり口を滑らせる。
「その時は、ルイくんも一緒に食べようね」
「俺? 何で俺が」
「誰かと一緒に食べたほうが、ご飯っておいしいでしょ」
『異世界冒険録』主人公のルイには仲間がいて、倒したモンスターの肉を皆で分け合って食べる和気藹々とした様子が、楽しげでまたいいのだ。
「……ま、いいぜ。肉ならうまそうだし、あんたとダンジョンに潜ればしばかれねえで済むし、暇潰しにもなる」
「ルイくんって小学生だよね? しばくとか怖いこと言うから、ちょっとびっくりしちゃうよ」
「ん、小6。そのくらい普通だろ、あんたが変わってんだよ」
「そうなのかなあ……」
中学時代には「変わってるね」と言われることも度々あっただけに、さらりにそれを否定することはできない。少し首を傾げるだけで、鍋に残った茹でスライムゼリーに視線を落とす。
「……こんなに茹でたけど、全部は食べられないや。ルイくんは食べないんだよね?」
「ああ。まずいならいらねえ」
「まずいってほどでもなかったよ。冷やして黒蜜かけたら美味しく食べられそうな感じ」
「んなこと言われても想像つかねえよ」
「ひとつ食べてみたらわかるよ。大丈夫、毒はないから」
「……」
「……」
様子を伺うルイの視線と、期待を帯びたさらりの視線が交わる。
「仕方ねえな」
折れたのはルイだった。鍋からスライムゼリーをひとつ摘み、ひょい、と口に放り込む。もぐもぐと噛むその表情は、何だか難しい。
「味がしねー……」
「ほんのすこーしだけ風味があると思うんだけど、どう?」
「……わかんねえな。味しねえ」
無味ではあるが、食べられないわけではなかったらしい。何とも言えない顔をしつつも、ルイは飲み込んだ様子だった。
「もういらねえや。充分食った」
「だよね。それなら残念だけど、残りはこうで」
さらりは鍋を地面に置き、手を離す。十秒ほどで、鍋に残ったスライムゼリーは黒い霧に変わった。
「洗い物がいらないのは便利かもね」
「美味い料理ができるんなら便利だって言ってもいいけどよお……」
「あはは、確かに。美味しそうなモンスター見つけたら、また食べてみようかな。また一緒に食べてくれるでしょ?」
「……まずくねえなら」
「やった。ルイくんのおかげで、ダンジョン探索の楽しみが増えたよ」
ルイと一緒に、美味しいモンスターを探しながら下層を目指す。三十層は遠いが、道中も楽しく過ごすことができそうだ。
さらりは話しながら、出した荷物をリュックへと戻していく。そのリュックを背負い直し、腕時計を確認した。
「わ! もう帰りのバスの時間だ」
「え、早くね? まだ17時じゃねえか」
「もう17時だよ。ルイくんだって、もう帰らないと夕飯に間に合わないでしょ?」
「夕飯は帰ったら食うから関係ねえ。……帰んなら、核を捧げてからにしようぜ。三十層目指すんだろ? せっかくこんなに倒したのに、無駄になったら勿体無いぜ」
「あー……それもそうだね。そうしよっか」
スライムの検証は終えたのだ。あとは三十層目指し、ダンジョンを降りていくだけ。地面に刻まれた「転送陣」を通って下層に行くことができる。
「ちょっと待ってね。検索するから」
「探せばすぐ見つかるだろ、必要ねえよ」
「この中広いんだから、簡単には見つからないって。……大体こっちだね」
便利なもので、少し検索をかければ「来見ダンジョン一層の地図」なるものが出てきて、転送陣の場所を確認できる。それとスマホのマップアプリで表示した現在地とを見比べ、見当をつけてからさらりは歩き始めた。
爽やかな風を浴びながら踝丈の草を踏みしめ、青い空の下をずんずん進むのは心地良いものだ。ダンジョンの一層はいつでも真昼の快晴なのである。気持ち良いけれど、時間がわかりにくい。
(帰る時間に、アラームをかけるようにしておいたほうが良さそう)
今後の対策について考えるさらりは、後ろに続くルイの足取りが少し重いことには気が付かない。現在地を確かめつつ、前に進んでゆく。
「あ……これかな?」
やがて足元に黒い線で描かれた円形の紋様が現れ、さらりは足を止める。直径1メートルほどの紋様の中央には、少しくぼんだところがある。
「スライムの核20個くらいで起動するんだよね。私は……18個だ。足りるかな」
リュックにしまっておいた核を取り出し、そのくぼみにざらざらと流し込む。一拍置いて、黒かった線がぽわ、と虹色に輝いた。これが、転送陣起動の合図。
「見て! すごいよルイくん、こんなに綺麗に光るんだ」
「生で見たほうが綺麗だな」
「ね! 次はルイくんの番だよ。ほらほら、やってみて」
さらりが遠ざかり、ルイと位置を入れ替える。すると虹色に光っていた転送陣は、黒に戻った。
ダンジョンは個人を認識しているらしい。一度その階層の転送陣に核を捧げると、二度目は必要ない。ダンジョンの外に出てもその判定は残るというのだから、ありがたい話だ。
「うわ、いっぱいあるね。私の倍以上かも」
「あんたがスライム煮てる間ずっと倒してたからな。……ほーらよ」
ポケットがぱんぱんになるほど突っ込まれていた核を全て、ルイはくぼみに向かって落とした。取っておければ良いのだが、これらの核もダンジョンを出るときには全部消えてしまう。それに階層を移動する時に核は消えてしまうので、こうしてありったけ捧げてしまう他ない。
乱暴な手つきだったので、ころんころんといくつか転がり出る。虹色に光る線の縁に転がった核を手に取り、さらりは何となく【鑑定】してみた。
《スライムの核:無毒。》
「えっ!」
「何だよ、でけえ声出して」
「スライムの核、鑑定できたよ!」
「んなもん、俺もできるぜ」
「無毒って書いてある!」
「そっか、あんたの鑑定にはそう出るんだった。……食うのか?」
「……食べてみようかな。無毒なら」
「腹壊しそうだけど」
「まあ、もう帰るだけだし」
ダンジョン内で負った怪我は、ダンジョン外には持ち越されない。そんな法則も、さらりの背中を後押しした。
小さくて黒いスライムの核を、ぽいと口に放り込む。まずは飴みたいに、舌の上を転がしてみた。ほんの少しひんやりとして、つるつるした舌触り。
「丸い石、舐めてるみたい」
「見たまんまだな」
「齧ったら歯が折れそう」
「石じゃねえか」
歯を当ててみたが、歯が立つ気配はない。さらりは齧るのをやめ、もう少し舐めてみる。表面の層が溶けて、奥から味が出るなんてことがあるかもしれない。
「石は食えねえだろ。吐き出せば?」
「そうだね、そうしようか、な、んぐっ!」
「え? おい、どうした」
「ううううう、んんん!」
呻きながら、さらりは喉元をどんどん叩く。
「ええと、ええと、おい、これ!」
ルイが差し出したのは、肩から掛けていた水筒である。さらりは受け取り、蓋を外して急いで飲んだ。ごくごく……ごっきゅん! 喉の奥に詰まった塊が、お茶と一緒に嚥下される。
「ぷはあ! ……あーっ、びっくりした。喋った拍子に喉詰まっちゃった。ルイくんのおかげで助かったよ、ありがとね」
「ひやひやさせんなよ、マジで……」
「ごめんね。それじゃ、帰ろっか。石みたいなの食べちゃったから、本当にお腹壊しそうだし」
「自分で食っといて何言ってんだよ、まったく」
「食べる気はなかったんだよ、今のは事故で……ん?」
急に胃が熱くなった気がして、さらりは首を傾げる。
「どうした?」
「何かお腹が……」
熱くなったお腹に手を当てると、そこから熱が全身に広がる感覚があり、指先まで届いた。それは一瞬のことであり、すぐに平熱を取り戻した体はやけに軽い。
「……元気になった」
「は? 何だよそれ」
「わかんないよ。今日たくさん歩き回って、けっこう疲れてたのに、なんか急に元気になった」
「……核を食べたからか?」
「他に理由が思いつかない。ルイくんも食べてみたらわかるよ。食べるっていうか、ほら、錠剤みたいに飲んだらいけそう。小さいし」
「嘘だったら承知しねえぞ」
「こんな意味不明な嘘、思いつかないよ」
さらりが拾った核のひとつを受け取り、付着した砂を軽く払ってから、ルイは口に放り込む。味わう様子はなく、すぐに水筒の茶で流し込んだ。
数秒間。ルイが訝しげな視線を腹に向け、苦しそうに眉間に皺を寄せる。眉に入れた力がふっと抜け、黒く澄んだ瞳がさらりを見つめた。
「マジだ……! 体がすっげえ軽い」
「そうだよね? やっぱりそうだよね? どういうことなんだろう、核を食べたら元気になるって」
「やべえ成分でも入ってんのかな」
「無毒って書いてあったよ。体には悪くないと思うけど」
疲労がすっかりなくなり、体は軽い。だが理屈がわからないせいで、その軽さは何だか気味悪かった。
「……とりあえず、帰ろっか」
「ああ、そうだな」
魔法陣を起動した喜びも薄れてしまった。妙な空気のまま虹の膜へ向かって進み、通り抜ける。外に出ると、太陽は既に傾き始めていた。どこからか蝉の鳴き声が聞こえてくる。
「あちい」
「ダンジョンの中って涼しかったんだね」
「あれに体が慣れちまったわ。むしむししてんな」
半日ぶりに味わう夏の空気は、夕方とはいえじめじめとして粘っこい。うんざりした気持ちになりながら腕時計を見たさらりは、「ああっ!」と悲鳴を上げた。
「バスが行っちゃってる!」
「あー……別にいいじゃねえか、次のに乗れば」
「次のバスは20分後なんだよ。夕飯に間に合わない」
「いいだろ、少しくらい。俺が一緒に待ってやるよ」
「駄目だよ、小学生はもう帰らなきゃ」
「あんたが断ってもついてく。家に帰りたくねえっつったろ」
そう言われてしまうと、さらりは上手く説得できない。
(夜になっても、ダンジョンの周りに居られたらやだなあ)
ルイはなかなか綺麗な顔をしているのだ。そんな少年が夜のダンジョンをうろうろしたら、何があるかわからない。今まで大丈夫だったのかもしれないけれど、今日も大丈夫だとは限らないのだ。
説得できないが、自分の気持ちだけは伝えておきたい。
「……私がバスに乗ったら、ちゃんと帰ってほしいな」
「……」
「明日もあるんだから、早く寝て、元気な体で来てほしいんだよ」
「あんた、明日も来んのか?」
「そのつもり。夏休みの間に行けるところまで行きたいから」
「……わかった、あんた見送ったら俺も帰る」
「ほんと? 良かった!」
「何でそんなに嬉しそうなんだよ、あんたには関係ねえのに」
「関係あるよ、仲間だもん」
「仲間……」
「あっ、保護者だった」
「仲間でいい」
そう返したルイは、さっと歩き始める。
「バス停行こうぜ」
さらりはすぐ追いつき、ルイと並んでバス停を目指す。歩いて5分。バス停のベンチに並んで腰掛けたさらりは、重いリュックを膝に乗せて前面ポケットを探った。
「ルイくん、飴食べる?」
「くれるならもらうぜ」
「いろんな味があるの、どれがいいかな。これはブドウ味、これはイチゴ、これはオレンジ、これは」
「見ればわかる。オレンジくれ」
「はい、どうぞ。私はイチゴ味にしようかな」
ひとつは手渡し、ひとつは手のひらに残し、余りは元の場所にしまう。紫の飴玉を口に含むと、甘くジューシーなブドウの味がした。
「……味がするね」
「ダンジョンで変なもんしか食ってねえから、この味がうめえな」
「毎日スライム食べてたら、普段の食べ物のありがたさに気づけそうだよ」
「んなことのために毎日食いたくはねえな」
「ふふ、そうだねえ」
甘さに気が緩んだこともあり、さらりの頬は自然と緩む。
飴玉が舌の上で溶けた頃、エンジンの音と共にバスが現れる。乗り込もうとしたさらりは、ドアの前で振り返った。
「ちゃんと帰るんだよ!」
「わかってるよ、しつけえな」
「それじゃ、またね!」
さらりは念を押してからバスに乗り込んだ。
「お客さん、それ、止めてから乗ってくださいよ」
「それ?」
「飛んでるやつ。お客さんのでしょう?」
「あっ!」
さらりが振り返ると、頭の少し上のところを配信用ドローンが飛んでいる。優秀なAIが邪魔にならない位置から撮っていたらしく、存在をすっかり忘れていた。カメラに向かって合図をすると、こちらに向かって飛んでくる。電源ボタンを押して撮影を停止したさらりは、ドローンを抱えて今度こそバスに乗る。
窓側の一番前、ルイが見える位置に座ると、彼はベンチに座ったままこちらを見ていた。手を振ると、振り返してくれる。
(ちゃんと帰ってくれますように)
何にともなく願いを込めるさらりを乗せて、バスはそろそろ夕暮れになる街の中を走っていった。
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