第2話 さらりは なかまを かくほした!

「わあ……本当にカーテンみたい!」


「来見ダンジョン前」というバス停からさらに歩いて5分ほど、目の前に広がる虹色の不思議なカーテンを、さらりは感慨深く見上げていた。これがダンジョンとの境界。動画では何度も見たが、生で見るのは初めてだ。

 40年ほど前、さらりの両親がまだ子供の頃、無数のダンジョンが世界中に突然現れたそうだ。世界各地に、この不思議な虹色の膜がそびえ立ったのである。膜の内側には地球とは異なる世界が広がっており、創作に出てくるダンジョンを思わせる特徴があったため「ダンジョン」と名付けられたとか。

 一歩踏み込めばそこは異世界。その感動をついに自分で味わえると思うと、わくわくが止まらない。


「よし、行こう」


 さらりはリュックの肩紐をぎゅっと握り締め、一歩踏み出した。爪先が虹色の膜を越える。


「おい。そっから入るとスライムの巣に出るぞ」

「え?」


 別の世界へ踏み込んだ足は、一瞬のうちにこちらへ戻ってきた。声のした方を振り向くさらりの目に、つまらなそうな顔をした少年が写る。

 肩から重そうな水筒を掛け、黒のTシャツと黄緑の短パンを履いている。日焼けしているのか少し茶色い髪が何となく不良っぽく見えて、自分より背の低い少年相手なのに、つい一歩退いてしまう。

 少年はそんなさらりの態度を気にも留めないようで、ひょいひょい、と軽く手招きした。


「安全なとこまで案内してやる」

「いいの?」

「あんた学生っぽいから、百円でいいぜ」

「百円……」


 リュックには財布も入っているし、払えないわけではない。しかしこんなーー見る限り小学生くらいの少年が、こんな小遣い稼ぎをしていることに不健全さを感じる。


(お家の人は、一緒じゃないんだ)


 一緒だったらそれはそれで問題なのだが、子供ひとりでダンジョン周辺をうろつくのは良くない。不審に思っている間にも少年はずんずん進み、やがて立ち止まる。


「このへんだと巣からは遠いって話だ。入った時にスライムが居ない保証はねえけど、1匹くらいはやれる準備を整えてきてんだろ?」

「まあ、それは……」

「ならこっから入れ。あ、百円寄越すの忘れんなよ」


 さらりはリュックから財布を取り出す。小学生の頃、洗濯や風呂掃除といった家事と引き換えにお小遣いを貰っていたことを思えば、これもその延長線上にあるのだと納得できなくもない。いや、しかし相手は赤の他人である。小学生が他人相手に商売するという危険な行為を、このまま見過ごして良いのだろうか。


(ううん。駄目に決まってる)


 小銭を探すふりをして考えていたさらりは、がま口をぱちんと閉じる。それから、少年の目を真っ直ぐに見つめた。


「君は、いつもこんなことをしてるの?」

「は? あんたには関係ねえだろ」

「関係はないけど心配はしてる。こんなこと良くないよ。もし声をかけた相手が悪い人だったらどうするの?」

「相手は見てるから気にすんな。さっさと金を寄越せよ」

「どうしてお金がいるの? お家の人は知ってる?」

「あーもう、何なんだよ! うぜえな、もう金はいいからさっさと行け」

「待ってよ!」

「は? ふざけんな、離せ!」


 乱暴な口調で去って行こうとした少年の手首を咄嗟に掴む。細っこい小学生と、非力な女子高生さらりの腕力とはちょうど同じくらいだった。拮抗状態で睨みつけてくる少年の瞳を見つめる。少年らしい澄んだ瞳だった。悪い子ではなさそうだ。だったら尚更、こんな危険な行為はさせてはいけない。


「お家に帰らないと駄目。ダンジョンにはいろいろな人が出入りするから、ひとりでいたら危ないわ」

「無理。家には帰りたくねえ」

「えっ、家に帰りたくない?」


 さらりは、自分の家に帰りたくないと思ったことはない。驚いてつい緩んだ手を、少年はぱっと振り払った。


「悪いかよ。さっきから何なんだよあんた、ダンジョンに来たんじゃねえの? さっさと行けって」

「君を放ってダンジョンには行けないよ。危ないでしょ」

「……ならどうする気なんだよ。俺は家には帰らねえぞ。ダンジョンに連れてくっていうのか?」

「あっ、いいね、それ」


 少なくともさらりには、少年を害そうという意思はない。見知らぬ大人に金をせびるより、さらりと一緒にいる方が安全だろう。


「いいねって……わかってんのか? 俺と一緒にダンジョンに入ったら、あんたが保護者ってことになるんだぞ。年上なんだから」

「そっか。ご両親が居るのに、私が保護者みたいになるのは良くないよね」

「そこじゃねえよ。俺だぞ? こんな適当な道案内で金をせびるようなガキ、何しでかすかわからねえだろ。言うことなんて聞くわけねえのに、俺がダンジョンでトラブったらあんたが責任負うんだぞ。見ず知らずのガキにそこまでしてやれねえだろ、普通。死んでもあんたには関係ねえんだから」

「それ、誰かに言われたの?」

「……うるせえ」


 自分への悪口なのにやたらと饒舌だった少年が、今度は吐き捨てるようにぼそりと呟く。図星なのだろう。配慮のない言葉を大人から浴びせられたらしい少年を放っておく選択肢は、もうさらりにはなかった。


「一緒に行こう。私は涼木さらり。君は?」

「……ルイ」

「ええっ、ルイくん?!」


 ルイ。それはまさに、さらりが大好きな『異世界冒険録』の主人公と同じ名前ではないか。

 もちろん、あの作品がフィクションなのはわかっている。目の前にいるルイは、主人公ルイとは別人だ。でも『異世界冒険録』のルイも小学生だったし、挿絵にも似ている気がする。


(ルイくんと一緒にダンジョンにもぐれるなんて!)


 ルイの冒険は、それはそれは魅力的で素晴らしいのだ。自分の冒険も素敵なものになる予感がぐんと高まり、さらりの表情は明るくなる。


「いい名前だね。さあ、行こうか!」

「はあ? 何なんだよ、気味悪いな」


 いきなり浮かれ出すさらりに苦い顔をしながらも、ルイはさらりの後に続く。

 今度こそ、虹の膜の中へ。同時に踏み出した足から膜へ飲まれ、やがて全身が向こうへ消える。


「わああ!」

「……すっげ」


 ぶわっと風が吹き爽やかな香りが鼻をくすぐる。そこは広々とした草原だった。先程まで、何だか寂れた空き地にいたのが嘘のようだ。一面の緑、一面の青空。遠くのほうに虹色が揺らめいて見える気がするのは、対岸の境界線だろうか。それすらも幻想的で美しい。

 隣では、ルイが口をぽかんと開けて景色に見入っている。それが年相応に見えて、さらりは頬を緩めた。


「ルイくんもダンジョンは初めてなんだね」

「ああ。保護者なしで入ったらしばくって言われてっからさ」

「え……お家の人に?」

「違えよ、それはやばい女に。ま、ダンジョンに入ってんのばれたら親父にしばかれんのは間違いねえけど」

「……ルイくん、大変なのねえ」


 他にどう相槌を打てと言うのか。しばくだのしばかれるだのと物騒なことばかり言うルイに、さらりは憐憫を覚える。

 かわいそうに。この子がこんなに荒んだ態度を取るのは、良くない環境に置かれているのが原因なのだろう。


(私に、何かしてあげられることがあればいいけど)


 そうは思うが、今すぐできることなど何もない。ルイの話を聞きたければ、まずは仲良くなって心を開いてもらうことから始めなければならないだろう。


(とにかく、ルイくんと一緒にダンジョン探索を楽しめばいいのね!)


 要するに、そういうことだ。わかりやすい結論に帰着したさらりは、早速探索の準備を始める。

 まずは重たい鞄をどさっと下ろし、中から円盤状の機械を取り出す。これが配信用ドローンである。電源ボタンを押すとふわりと浮き上がり、録画中を示す緑のランプが点灯する。あとはAIが自動で撮影し、事前に登録しておいたアカウントに動画を送信してくれる。

 ダンジョン内で悪意ある者に遭遇した時には、この録画が悪事の証拠となる。ドライブレコーダーみたいなもので、ダンジョンに入る際の防犯としては必須級の代物であった。


「それ、配信?」

「ううん、録画だけ。このランプが緑でしょ? 緑だと非公開、電源ボタン長押しで公開配信に切り替わるらしいよ」

「ふうん、便利なんだな」

「ね。まあ、使う予定はないんだけどさ」

「配信しねえの? ダンジョンに入って、配信しないで何すんだよ」


 ルイの疑問はもっともだ。ダンジョン内のものは外には持ち出せず、得た能力が発揮できるのもダンジョン内だけ。「ダンジョンのレアドロップを売って一攫千金!」とか「ダンジョンで得たスキルで現実世界でも無双」みたいな小説はさらりも好きで読むが、所詮物語の中の話である。現実的ではない。

 ダンジョンで一攫千金を狙うのならば、現状、配信以外の手段はない。ダンジョン探は割に合わないから自分ではしないが、非現実的な景色の中で冒険する姿を見るのは楽しい。そんな需要もあるのか、ダンジョン配信自体は一大コンテンツであり、配信者として成功している者も多くいる。

 今時ダンジョンにもぐるのは、地球に起きた異変について調べ続けている各国の調査隊か、配信者か悪人か、そうでなければ変わり者だ。当然さらりは、変わり者の部類に入るわけで。


「私はね、三十層のドラゴンを倒して、ドラゴンステーキを食べたいの!」

「はあ?」


 胸を張って堂々と宣言したさらりを、ルイは呆れた表情で見る。


「三十層のドラゴンって、あれだろ。まだ誰も討伐できてねえってやつ。あんたみたいなひ弱な女が倒せるわけねえだろ」

「とっても厳しいのはわかってるけど……最初から諦めてたら、叶う夢も叶わないでしょ。私はそのために何年も努力してきたし、叶えるためにこれからも頑張るつもりなの」

「努力、ねえ。くだらねー」

「今日の検証で、そもそもモンスターは食べられないって分かったら、これまでの努力はくだらない努力だったって言われてもしょうがないかもね」


 努力の過程だって楽しかったから、自分ではくだらないなんて思わないけれど。

 さらりは続いて、鞄から布を取り出す。布をほどけば、中から出てくるのは料理用の包丁である。予備を持ってきておいてよかった。小さめのひとつを、ルイに手渡す。


「お、さんきゅ。スライムが出たら倒しちまっていいよな?」

「うん、もちろん。好きにしてていいよ。危ないから、あまり離れないでね」

「よっしゃ、おりゃ! うおっ」


 さらりは気づいていなかったが、青色のスライムが近寄ってきていたらしい。ルイは早速、包丁をスライムへ突き立てる。包丁の切先が滑り、ルイは体勢を崩した。手をスライムについてしまったせいで、支えとなるはずの手が滑って地面に転がる。


「ひっ」


 包丁を持って転ぶなんて危ない。いきなりひやっとして息を呑むさらりだったが、ルイは問題ない様子で起き上がり包丁を振りかぶった。目の前で怪我をされたらたまらない。焦ったさらりは声を上げる。


「垂直に突き立てて!」

「知ってらあ。おら、こうだ!」


 真っ直ぐに突き立てた切先は、スライムの半透明な青い体を切り裂き、中心付近に漂う小さな石に当たる。するとスライムの体は霧のように霧散し、あとに小さな石だけが残った。核と呼ばれるそれを拾い上げ、ルイが自慢げにこちらへ突き出す。


「見ろよ! 倒したぜ、スライム!」

「才能あるんだね。垂直に刃を突き立てるの、けっこうコツがいるって話なのにすごい」

「へへっ」


 本気で褒めると、照れたように鼻の下をかくルイ。そういう仕草は年相応に幼く、可愛らしい。


(やっぱり、悪い子じゃなさそうなんだよなあ)

 

 ポケットに核をねじ込み、颯爽と次のスライムへ向かうルイの後ろ姿を見ながら、そんなことを考えるさらりなのだった。

 一層にはびこるスライムは、そう危険ではない。動きは遅く、目立った攻撃もしてこない。モンスターの急所である核に一撃を当てれば子供の腕力でも倒すことができる。

 危険ではないが探索においては厄介な存在ではある。スライムに完全に覆われると、中のものは消えてしまうのだ。動ける人間には脅威ではないが、置きっぱなしの荷物はスライムの餌食となる。あとは、寝ている人も。そのせいで、さらりは今も重たいリュックを肩に掛けている。地面に置いて戦えたら楽なのに。


「私もやろうっと」


 何はともあれ、今は目の前のスライムである。気を取り直したさらりは、包丁の柄をしっかり握る。

 スライムは、全身をヌルヌルとした粘液で覆われている。斜めに武器を入れると滑りやすいので、真っ直ぐに差し込むのがコツだという。ぷるぷるしたスライムの中央付近で、黒く小さな核がふよふよと泳いでいる。

 先程転びかけたルイを見たので、さらりは地面に膝をついて核に狙いを定めた。包丁の先端をスライムに向け、……ぬるん。ぬるん、ぬるん。何度か繰り返してから、やっと刃先が核に届き、スライムの体が霧になった。


「おっ、上手いじゃねーか」

「ルイくんの方が早かったよ」

「まあな。ほら、もう五匹も倒したぜ」

「すごいねえ!」


 ぱちぱちぱち、と小さく拍手すると、ルイは嬉しそうに口元を緩める。

 なんだ、可愛いじゃないか。


「ルイくん、今度はスライムの部位破壊してみようよ」

「スライムの部位破壊なんて意味ねえじゃん。知ってるか? 部位破壊って、強いモンスターと戦うときにするんだぜ」

「戦闘力を削ぐためだもんね。知ってる。でも今は、スライムの部位破壊をしてみたいの」


 モンスターの弱点は脳天である。そこに核が埋まっているからだ。倒すためには脳天を攻撃する必要があるが、相手によっては狙うのが難しい。そこで尾や翼を切り落とす「部位破壊」をして、攻撃を通しやすくするのが比較的安全な作戦となる。

 弱いスライムの部位破壊なんて話は確かに聞いたことがないが、他のモンスターに対してできるのだから、スライムにもできるだろう。


「大体、部位破壊って言われてもなあ。どこをどうすりゃいいんだよ」


 ずりずりと地面を這うように進んでくるスライムは、ぷるぷるとしたゼリー状。不定形の体には、手も脚も何もない。


「切り取ればいいとは思うの。こうやって」


 さらりは、ゼリー状の体の端に切先を突き立てた。そのままぐい、と手前に引くと一部分だけが切れて離れる。


「問題はここからで……」


 痛いのだろうか、本体はふるふると小刻みに震えた。切り落とされた一部の方は、しばらくはぷるんとした形でそこにあったが、やがて霧になって消えてしまう。


「うーん……やっぱり十秒くらいしか持たないんだ。短いなあ」

「それ、何の意味があんだよ」

「ドラゴンステーキはね、ドラゴンの尻尾を輪切りにして焼いて作るの。部位破壊で尻尾を切り落としても、十秒じゃ料理できないでしょ? 長持ちさせる方法を見つけておかないとドラゴンを倒した後でがっかりすることになるから、スライムで色々検証しておきたくて」

「……ガチじゃん」

「そうだよ?」


 皮肉めいた台詞も、真っ向から受け止められてしまえば続く言葉はない。ルイは肩をすくめ、2匹目のスライムを切っているさらりの隣にかがみ込む。

 こうしてしゃがんでじっとしていると、スライムは向こうから寄ってくる。青いの、緑の、赤いの。ゆっくり切ってみたり、素早く切ってみたり、刃ではなく峰で叩き切ってみたり。いろいろ試したが、切った先から霧になっていく。すっかり小さくなったスライムの核を包丁の先端で潰し、また次のスライムに取り掛かる。


「これ、何の部位なんだろうなあ」


 切り落とした破片を拾い上げ、ルイが眺めている。


「ははっ、伸びるじゃん。すげー」


 楽しそうでなによりだ。その声を聞きながら、また小さくなったスライムの核を貫く。


「うわ! 垂れてきた! 汚ねえ!」

「……ん?」


 さらりは顔を上げる。ルイと目が合った。


「今、十秒以上経ってなかった?」

「そうだったか? 数えてなかったからわかんねえや」

「同じこともう一回やってみて」

「やだよ、ねとねとして気持ち悪いんだよあれ」

「ルイくんじゃないと、さっきと同じようにはできないよ。私は見てなかったから」

「……しゃーねえなあ。切ってくれよ、スライム」

「うん」


 ずりずり寄ってきたスライムの端を切り落とし、ルイがそれをひょいと摘む。


「うええ、きもちわり」

「そのまま持ってて」

「もういい? もういいよな?」

「まだだめ」


 ルイが摘んでいる間、スライムの切れ端は消えなかった。「いいよ」の合図で手を離すと、そこからおよそ十秒ほどで霧となる。


「……お。私でもできる」

「あんた、それよく平気な顔で持てんな」


 さらりが摘んでも同様の現象が起きた。より長い時間で試しても、摘まれた状態のスライムの破片が消えることはなかった。破壊された部位は、触れている限りはそこに残るようだ。


「つかこれ、持って出られたら大発見なんじゃね?」


 閃いた、と言わんばかりの表情を浮かべたルイがスライムの破片片手に走り出し、虹の膜を抜ける。その瞬間、持っていた破片は黒い霧になった。戻ってきたルイは拗ねた顔をしている。


「持って出られないんじゃ何の役にも立たねえ」

「ダンジョンのものは持ち出せないもんね。でも、条件によっては消えないってわかっただけで大発見だよ。ルイくんのおかげ」

「……だよな! はは、俺ってすげえ」


 褒められると自慢げにする姿は、素直でよろしい。

 気を良くしたルイの協力を得ながら、さらりは検証を続ける。何体ものスライムを切り刻み、いろいろな条件を試してみる。


「なるほど、なるほど。よくわかった」

「あんたの異常性がよくわかったぜ……」


 どこかくたびれた表情をするルイと、満足げなさらり。その手には小鍋が握られており、中には色とりどりのぷるぷるが入っている。

 鍋を手に持っている限り、その中へ放り込んだスライムの破片は残り続ける。鍋から手を離すと、十秒ほどで全て消える。どうやら間接的にでも触れている限り、破壊された部位は残り続けるらしい。鍋の中には投入してから既に三十分ほど経った破片もあるが、霧と消える様子はない。

 破壊された部位を残しておく方法はわかった。ならば、検証しておきたいことはもうひとつ。


「じゃ、食べてみよっか」

「は? え? 食う?」

「うん。口に入れた瞬間に霧になっちゃったら悲しいでしょ。私は、ドラゴンステーキを味わいたいのに」

「いや……でもこれ、どう見ても食いもんじゃないって」

「ゼリーみたいじゃない? ぷるぷるで」

「こんな蛍光色のゼリー見たことねえ」


 確かに鍋に入った破片は、どれも毒々しい蛍光色である。食べ物には見えないという指摘は、さらりの熱意を削ぐほどではなかった。

 ドラゴンステーキを味わうために必要なのだから、躊躇いはない。さらりは青い破片を摘み上げ、ねっとり落ちる粘液に舌を触れさせた。


「うえっ」


 反射的に破片を放り投げてしまう。舌の先には、強烈な苦味がまだ残っている。舌を出したまま涙目のさらりを見て、ルイは「だから言ったろ」と呆れ顔だ。


「どふはも。ひたがびりびりすゆ。(毒かも。舌がびりびりする」

「毒? ……いや、毒状態にはなってねえ。安心しろ」

「んっ?」


 断言するルイに違和感を覚えると、彼はにやりと勝ち誇った笑みを浮かべる。


「【鑑定】ゲットしたっぽい。スライム倒しながら、スマホで図鑑見てたんだよ」

「えー! いーなー!」

「うわ、喋りが戻った」


 舌の痺れなんて忘れた。さらりは羨望の眼差しをルイに注ぐ。

 ダンジョン内では、その活動内容に応じてスキルを得られる。【鑑定】の取得方法は簡単だ。インターネット上の図鑑と、実在のモンスターとを見比べる作業をすれば良い。所要回数は人によって違うが、繰り返すことで【鑑定】を得られるのだ。相手の簡単な情報を見抜くことができる、探索に必須級のスキルである。


「教えてくれれば良かったのに。私も練習したかった」

「あんた、部位破壊に夢中だったじゃねえか」

「そうだけど……いーなあ、【鑑定】」

「まあまあ、毒状態にならなかったんだから良いだろ」

「……毒状態になったかどうか、ルイくんにすぐ確認してもらえるから安心って思えばいっか」


 そう解釈し、さらりは鍋の中で震える色とりどりの破片を見た。今からすることを思えば、ルイが【鑑定】を得たのは好都合だ。


「ルイくん、ちょっとこれ持っててくれる?」

「おう。……もう捨てて良くね? 毒なんだろ、これ」

「え? 何言ってるの。食べるよ」

「いや、あんなちょっとで舌痺れてんのに、食べたら死ぬだろ」

「死なないように食べてみる。時間をかけていろいろ試せるの、一層だけだからね」

「……マジかあ」


 鍋の中身を見つめて顔を引き攣らせるルイと、リュックからアウトドア用の小型コンロを取り出すさらり。ここからが、さらりのダンジョン探索の本番なのである。

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