第5章 リリイのこと

第17話

『隼人 今日なら飲めるぞー飲もうぜー』

『悪ぃ 俺が無理』

『なんで どうせ暇だろ』

『階段から落ちて骨折った』

『は? マジで?』

『マジ めちゃくちゃ痛え』

『おばあちゃんみたいな理由笑』

『笑い事じゃねえ 全治一週間だぞ』

『はいはい 大人しく薬飲んで寝とけ』


「言われなくても大人しくしてるわ……」

  樹とのメッセージ画面をベッドに投げ出し、自分もシーツの海に横になる。骨接ぎ薬と一緒に処方された痛み止めが効き始めたのか、左腕と胸をミシミシと揺らすような痛みは少し落ち着いてきた。何もすることはないが、とにかく寝ているしかない。昼過ぎになっても降り続く雨の音に嫌気が差して、視線を窓から外した。

 昨夜打ち上げが失敗に終わった後、何とか救急病院に駆け込んだ。レントゲンに写る左上腕と左の肋骨は分かりやすくポッキリ折れていた。

 階段から転げ落ちたという嘘に医者は訝しんでいたが、最終的には高額な会計と引き換えに骨接ぎ薬と痛み止めを一週間分処方してくれた。しっかり服薬しさえすれば骨折はすぐに治るから安心だ。

 無事な右手でギプスの二の腕とコルセットの胸を撫でる。薬で繋がるとはいえ、しばらくは大人しくしておくのが良いらしい。

 ちらりと玄関に転がるニトロシューズに目を遣る。突然動かなくなったのは、どうも短時間にフルスロットルで使い過ぎたらしく、エンジンがオーバーヒートしたようだった。後で修理しておかないとな。そこまで考えて、はたと気付く。

 次、また飛ぶのか? 俺。

 正直ゲリラ花火をやり始めて初の大怪我をして、少し気持ちが萎えていた。飛ぶのが怖いんじゃない。やる気の問題だ。

「何かもう、色々どうでも良くなってきたな……」

 ベッド脇に転がるペットボトルを拾い、中身を口に流し入れる。これいつからあったっけ……まあいいや。

 習慣から、寝たまま指が勝手にSNSでエゴサする。『昨日花火上がらなかったね』『ジェット捕まったんじゃね?』『つまんね』……こんなコメントばかりが、白い画面を埋め尽くす。

 だってやる気出ねえんだからしょうがないだろ……大体お前らのために上げてんじゃねえんだよ。溜息と共に携帯を伏せる。あれだけ心血注いでいた打ち上げも、何だか遠い過去の事のようだ。スウェットがぬるい湿気を吸って身体に重く圧し掛かる。

 俺が楽しいからやる。楽しくないからやらない。シンプルで良いじゃねえか。寝返りを打ち、雨音からもSNSからも逃げるように意識からシャットアウトする。

 その時、掌の中で携帯が短く震えた。メッセージの受信か。

「……何だよ、今さら」

 久方ぶりのリリイからのメッセージらしい。もう見るのも億劫だが、仕方なしに携帯を拾い、指が通知を開いた。

 そこには、普段のやり取りにはない長い文章が浮かんでいた。

『こんにちは。百合也ちゃんのお友達ですか? 勝手にごめんなさい、急いでいて……。発信履歴の一番上にあったので、きっと仲良くしてくれている方なのだろうと信じて送信しています。これまでやり取りしているメッセージは、百合也ちゃんのプライバシーもあると思ったので見ていません。信じてください』

「は?」

 何だこれ。スパムか? そんなことを思ったが、不特定多数に送るような文面でもなさそうだし、いたずらにしては文章が切迫しているように感じた。っていうか百合也ちゃんって誰だ。

「……あ、『百合』だから『リリイ』か。意外と安直だな、あいつ……」

 こんなところで本名を明かされると思ってないだろう。それにしても不運な奴だな、他人に勝手にメッセージを打たれるなんて……。

 しかし普段から神経質そうなあいつが、誰かに携帯を貸すとも思えなかった。本当に誰かが勝手に携帯を奪ってメッセージを送っているとしたら、じゃあリリイは何してんだ。

 何だ何だ、とコルセットの胸を庇いながら身体を起こし、その先に目を通す。続く文章に、目を奪われた。

『ここ数日で百合也ちゃんの容体が急変して、いま本人はメッセージを送ることができません。ずっと意識がありません。もうこのまま戻らないかもしれません。でも百合也ちゃんはずっとひとりで頑張っています。どうか、あの子と仲良くしていただいているのなら、一度会いに来ていただけないでしょうか。百合也ちゃんを支えてあげてください。お願いです』

「……は?」

 再び気の抜けた声が出た。声はカラカラに乾いていた。時が止まったような部屋の中で、それでも窓を叩く雨の音が規則的にしていた。

 容体が急変? 意識がない? どういうことだ。病気ってことか? そんな話、今までひと言もしてなかったじゃねえか。あいつは社会人で、先週まで普通に仕事の合間に電話をかけてきていて――それ以上のことは、知らなかったけれど。

 突然のことに動揺し、何度も何度も同じ文章を目がなぞった。慣れ親しんだメッセージアプリが冷たい現実をひた隠しにしていたのを目の当たりにしたようで、背筋に嫌な汗が流れていく。

 『もうこのまま戻らないかもしれません』の無機質な文字が、俺の息の根を止めるように深く胸に突き刺さった。

「……リリイ?」

 擦れ声で彼女の名前を呼ぶ。

 大丈夫、なんだよな? いつも憎まれ口を叩いていた声を思い出す。あの声が聞けなくなるなんて、そんなこと信じられなかった。どうにか良い方に考えようと、脳が必死にバイアスを張っている。汗ばんだ掌が、携帯を取り落としそうになった。

「いなくなるなんて嘘だよな、リリイ……」

 誰もいない部屋に俺の願望だけが響いて、それは無情な雨音で掻き消された。

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