第10話

 翌朝、リリイの言う通り雨が降った。ぬるい雨が窓を伝うのをぼんやりと眺める。

 花火にとって雨は大敵だ。火薬が湿気るし、玉貼り紙が乾かない。大昔は花火玉を作るのに天日干しで作っていたそうだから大変だったろう。

 今はこうして除湿乾燥機能が整った専用の工房で作るから、乾燥中に雨に降られて玉が駄目になる、ということもない。

 一週間ぶりに訪れた工房は、相変わらずの火薬の良い匂いがした。清潔感のある白いLEDの光の下で、数人の職人がせっせと作業している。酸化剤・炎色剤・可燃剤を混ぜ合わせ、花火の光の元となる『星』を調合する人。出来立ての星を乾燥機に移す人。玉皮に星を詰める人……どの作業も惚れ惚れするほどの手裁きで、無限に見入ってしまう。

「おや、隼人くん。来てたの」

 濡れた傘を手に工房の入口で突っ立っていた俺に、玉皮に星を並べていた職人――遠藤さんが声をかけてきた。白い作業服に紺の法被を纏った遠藤さんは、この道五十年の大ベテランだ。花火玉の制作に精通し、中でも花火の良し悪しを決める星を扱う作業では、他の職人の追随を許さない腕を持つ。俺はその職人技を目に焼き付けるため、度々この工房を訪れていた。

「うっす。見てても良いですか」

「好きだねえ」

 目尻の皺を優しく寄せ、遠藤さんは掛けていた椅子の横に空の椅子を用意してくれた。ありがたく座らせてもらい、その火薬で黒くなった指先を観察する。

 人の頭ほどの半球状の玉皮に、内壁に沿ってブドウ大の星を詰めていく。これが花火の最も外側で光の輪を成す親星となり、並びがガタガタになると打ち上がった花火も歪になってしまう。

 遠藤さんは迷いなく星を摘まんでは並べ、を繰り返しているが、そう簡単な作業ではない。俺も自分で上げる花火を作るときは細心の注意を払って星を並べているが、こうも早くは作れない。やはりそこが経験の差だろう。

 親星を並べ終わり、和紙を重ねお椀サイズの玉皮を真ん中に置いた。和紙と小さな玉皮の隙間に米粒のようなわり火薬かやくを流し込み、玉皮の位置を固定する。この火薬が、空で爆発する際に星を遠くに飛ばすのだ。小さな玉皮の中にも和紙を重ね、外芯星がいしんぼしと呼ばれる親星とは違う色の星を、また均等に並べていく。

八重やえしんですか」

「そう。分かる?」

「そりゃもう」

 この作業をもう一巡すると、火薬と和紙が同心円状に美しく並んだ花火玉の半球が完成した。遠藤さんが作ってみせたようないくつもの芯を持った花火は三重芯や八重芯と呼ばれ、芯の数だけ色や点滅などの効果を加えることができる。芯の数が増えればもちろん難易度は高くなるが、それだけ複雑な変化の花火を作ることができる。街中で上げる際も受けがいいのはこうした芯入りの花火だから、俺も毎度額に汗して作っているけど……やっぱり、職人の手技には敵わないな。

 この後もう一つ同じものを作り、せーので二つの半球を合わせてテープで貼り合わせ、クラフト紙をぺたぺた貼って乾燥させ、また紙を貼るという作業を繰り返す。玉貼り作業と呼ばれるこの地味な作業を行うことで、花火玉は打ち上げ時の爆発にも耐えられる強度を保つことができるのだ。

 どれも百五十年以上前から変わらない伝統的な製法だ。もちろん花火玉を乾燥させるのに天日干しをしていたのを専用の乾燥機を用いるようになったり、炎色剤の成分や配合を変えてより眩い光を表現するようになったり、時代に合わせて変化している部分はある。

 しかし職人の手仕事で行われる製法は大正時代と同じだ。代々の職人達が受け継いできてくれたお陰で、俺達は現代でも同じ感動を見上げることができる。その事実にワクワクするのは決して俺だけじゃないはずだ。

 もう片方の半球を作ろうと、遠藤さんが新しい玉皮を取り出したその時、工房の引き戸ががらりと開いた。驚いて振り向くと、そこにはいつもの作業服ではなく作務衣に法被を羽織った白髪の工房の主が立っていた。鋭い眼光が、俺を射抜く。

「……隼人か」

「……爺ちゃん」

 いない日を狙って来たつもりだったんだが、当てが外れたようだった。爺ちゃんは正真正銘俺の父方の祖父に当たる、大正から続く花火屋・桐島花火製作所の五代目花火師だ。

 寒風に晒された岩のような深い皺が険しい表情を作っていて、決して孫との再会を喜んでいるわけではないことが伺える。

「ここはお前が来るところじゃねえ」

 地底から響くようなドスの利いた声に、思わず慄いてしまう。

「い、良いじゃねえか。俺の勝手だろ」

 爺ちゃんは白髪を掻き、乾いた声で短く息を吐いた。嗤ったようだった。

「今時花火なんかに現を抜かすんじゃねぇ」

 突き放すような言葉は、自分自身にも刺さったはずだ。

 物心つく頃から俺は、花火を作るその背中を見てきた。俺に花火を教えてくれたのも爺ちゃんだった。一緒に星掛けをして、玉皮に詰め、打ち上げて。尺玉の輝きに照らされた精悍な顔つきはいつも活き活きしていて、己の仕事に誇りを持っているように見えた。

 ――お前は未来の七代目だ。

 そう言ってくれたのは爺ちゃんだったのに。他の競合花火屋が次々に暖簾を下ろす中、伝統の火を絶やすまいとひとり奮闘し時代に抗い、そして擦り切れてしまったようだった。

 そしてとうとう、家業を息子である俺の親父に継がせなかった。桐島花火製作所は自分の代で終いにしてしまおうとでも言うのだろうか。俺の事を、七代目だって呼んでくれた癖に。

 あれだけ熱意を込めていた花火を捨て鉢に言ってしまう爺ちゃんに、怒りというより寂しさが込み上げる。かける言葉が見当たらず、俺は拳を握った。

「最近じゃ、何だ? 世間を賑わしてる花火野郎がいるらしいじゃねえか。街を飛び回って打ち上げしてるガキが」

 ジェットの事だ。世相に疎い爺ちゃんの耳にも届いていたようだ。皺の奥の黒々とした目が、やれやれと伏せられる。

「見てみたが、ありゃあ駄目だな。全然駄目だ。玉の坐りが甘いし消え口が揃ってねえ。あんなもん立派な花火とは言わねえ。そんな中途半端な奴ぁ辞めちまえばいいんだよ」

 爺ちゃんはジェットの花火をそう酷評した。

 打ち上がった花火玉は上昇しきって静止した瞬間に開くのが理想で、上昇中・下降中に開くと花火の形が歪んでしまう。それを玉の坐りが良い・悪いと呼んでいる。消え口とは花火が燃え尽きる瞬間の事で、すべての星が消えるタイミングが揃うのが理想だ。

 つまり、花火玉を作る技術と工程の甘さを指摘しているのだ。背中をひやりと汗が伝う。熟練の老花火師はあれが俺の仕業だと気付いているのかもしれなかった。気付いた上での酷評なのかもしれない。

「で、でも……花火が注目される良いきっかけにはなってるんじゃ」

 しどろもどろとジェットを擁護する俺の言葉を、爺ちゃんの溜息が遮った。

「注目されたところで何だ? 花火なんてうるせぇだの古いだの、娯楽に浸ってんじゃねぇだのと言われるのがオチだろうが。良いか、この国の伝統文化は死んだんだ。俺達の作るもんは全部顔も見た事ねぇ他所よそ様のもんだ。目の前のこいつだって、来週にはアメリカに渡る」

 遠藤さんが今しがた星を詰めたばかりの花火玉を一瞥し、爺ちゃんは吐き捨てた。爺ちゃんの言う通り、この工房で作られている花火はすべて海外輸出のための『商品』であり『量産品』で、日本の伝統文化を次世代へ紡ぐためのものではない。そう自覚していてもなお、職人の手元は連綿と続く技を再現し続ける。遠藤さんは重たい半球に視線を落とした。

「どの道、もうこの工房も終いだ」

 それだけ言って、爺ちゃんは法被を翻し去っていく。雑に閉まった引き戸がガタリと鳴った。

「終いって……?」

 宙に投げかけられた所在なき問いを、俯いたままの遠藤さんが拾う。

「……のぼるさんは、この夏いっぱいで工房を閉める気なんだそうだ」

「え……?」

 あまりの衝撃に二の句を継げなかった。それはつまり、俺が生まれる前から心血を注いできた花火屋家業に引導を渡すということだ。

 爺ちゃんは、どんな顔をしてそれを決めたのだろう。

「世間からの風当たりも強いし……ここ数年、何のためにやってるんだろう、っていう思いもあったんじゃないかな」

「待って……それじゃ、花火師は……? 職人の皆はどうなるんですか!?」

 爺ちゃんにとって、一緒に時代を駆け抜けてきた職人達は家族のようなものに違いなかった。俺にとっても子供の頃から見知った人達ばかりで、だからこそこんな形で空中分解するなんて考えられなかった。考えたくなかった。

 傍で作業していた職人達は、皆一様に暗い顔で手元の作業に注力していた。誰も俺と目を合わせようとはしてくれなかった。火薬が染みついた固い指で玉皮のクラフト紙をざらりと撫で、遠藤さんは寂しそうに語る。

「皆、政府の就職決定通知書に従って、それぞれ別の仕事に就くことになるだろうね……昇さんは、もう廃業の書類手続きを進めてるんだそうだ。じきに、僕らのところにも通知が来るだろう」

「そんな……」

 就職決定通知書。それは我が国の限られた人的資源を効率良く分配するシステムだ。この国に無職はいない。個々人の特性に合わせ、誰しも何かしらの職を国から与えられ、働いている。職業選択の自由は労働の義務に押し潰されたのだ。

 ここまで人口を減らす前から続けていた家業や、外貨を稼ぐに相応しい産業に従事する人々は、例外的にその仕事を続けていいことになっている。家業継続届を出せば、人数を増やさないことを条件に次世代に繋ぐことも可能だ。

 しかし爺ちゃんはそれをせず、廃業の道を選んだ。廃業届を国に提出し持っていた家業を手放すと、数週間のうちに国から就職決定通知書が届く。受け取った人達は、二週間以内に与えられた新たな職業に就かなければならない。

 たとえ数十年間その道一筋でやってきた職人達であろうと、そのルールは変わらない。

「まあ、長く生きているとこうなることもあるよ。そう落ち込まないで、隼人くん」

 遠藤さんの固い掌が、肩を叩いた。悔しいくらい温かい掌だった。本当に落ち込んでいるのは彼らの方だろうに。黙って奥歯を噛み締めるしかない俺に、老いた職人は工房内を見渡して言う。

「ここにある材料も、残れば全部産業廃棄物だ。今年で全部使い切るには……ちょっと多いかな」

 そしてたった今思いついたように、俺に笑いかけた。

「夏休みの自由研究に困ってる子にあげるのもいいかもね」

 遠藤さんの笑顔を、黙って見返すしかなかった。小さい頃からいつも一緒の彼にも、やはり俺の所業はお見通しのようだった。

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