第11話

 工房からの帰り道、雨は降り止んでいた。ぐずついた雲が暗澹と立ち込める。俺は畳んだ傘と共に抱えた、大量の火薬や玉皮の入った麻袋を背負い直した。

 いつもはバレないように少量を数回ずつに分けてちょろまかしていたから、こんな量を持ち帰ることなんてなかった。中身も袋も、遠藤さんがすべて持たせてくれた。

 工房が閉まるだなんて話がなければ、これだけの材料が手に入ったなら小躍りでもして帰っただろう。でも今は、ただ肩に背負った重みを受け止めるだけで精一杯だった。

 遠藤さんとのやり取りを思い出しながら、ああ皆知っていたんだな、と溜息を吐いた。街で花火を上げていたのが俺だとバレていたのが憂鬱だとかそういうことではない。

 知っていた上で、消えゆく伝統技術に従事していた彼らは何を思ってあの花火を見上げていたんだろう。何かを託すでもなく、祈るでもなく、ただこの国に残る文化の最後のあがきを見て、それでもその道が途絶えることは避けられなくて、どんな葛藤を抱いていたのだろう。思いを馳せるだけで心が暗く沈んだ。

 と同時に、焦りも覚えた。爺ちゃんが花火を辞めてしまうということは、俺の調達先をも失ってしまうということだった。表立って火薬の調合や星掛け作業をやれる道具も場所も時間も、学生の俺にはない。開業していない者がこっそり行うのも違法なのと、そもそも原材料の調達は輸入に頼っているから隠れて製造するのも難しい。

 それはすなわち、ゲリラ花火師ファイアワーカー・ジェットの活動終了を余儀なくされていることを意味していた。もう手元のこの火薬だけが、俺が打ち上げできる最後の花火だった。確かな重みが、肩に食い込む。

「リリイに何て言うかな……」

 ふとサポート役の彼女の声を思い出す。元はと言えばこの打ち上げ活動は二人で始めたことだ。であれば今後の活動について説明すべきだ。そう頭では分かっているのだが、気は進まなかった。もう打ち上げができなくなるという事実が、まだ腹落ちしていなかった。

 先程からメッセージ受信の通知でポケットの中身が震えている。多分次回の飛行計画の話だろう。雨はまだ降り続く予報らしい。俺は悪天候を口実に、しばらく先送りにして黙っていることにした。

 傘を小脇に抱え、ポケットをまさぐってラムネ菓子の容器を取り出す。残り一粒が、青い容器で空虚に揺れていた。早く帰りたいけど……うん。少しだけ駄菓子屋に寄って行こう。いつもの場所で少し落ち着きたい気分だった。

 最後の粒を口に放り込み空容器を適当にポケットに突っ込んで、年輪堂へ足を向けた。



「こ、これは……」

 そこはいつもの駄菓子屋とは様子が違っていた。営業はしているようだが、その店先には張り紙のように黒い有機ELフィルムがいくつもぶら下がっていた。紙のように薄いそれらは、二十年前くらいからある年代物のディスプレイの一種だ。通電しデータを飛ばせば図像が映る。有機ELの巻紙をいくつも抱えた白髪の店主は、せっせと空きスペースに張り出している。お陰で店先は黒い紙で覆われたような、異様な外観になっている。

「お、来たね! 隼人くん!」

 すべてのディスプレイを貼り終えた常盤さんは、ようやく棒立ちになっている俺に気が付いた。足元に延びる大量の配線を処理し、秘密基地に客を迎える子供のような笑顔を向けた。俺はその意図が分からず目を白黒させる。

「常盤さん、これってどういう……」

「まあ見てなよ……スイッチオン!」

 手元のスイッチを入れると、すべてのディスプレイが瞬いた。表示されたのは、色とりどりの昭和レトロな看板だった。タバコ、ラムネ、薬……手書きの味がある書体が、知らない時代のはずなのに懐かしい気持ちを思い起こさせる。どれもこれも原色、当時はホーローでできていたであろう立て看板のように、ご丁寧に所々に錆の跡まで再現してあった。

「うお、すげえ!」

「びっくりした? いやあ、良い反応するね。エモいでしょ? 昭和時代のレトロ看板。データ探すの大変だったよ」

 曇り空の下で煌々と輝く店先に、知らない時代の面影を感じて心が躍った。ひとつひとつが、当時の人々に愛された風景の一部なのだろう。『ラムネ』の涼しい水色の看板を撫で、しみじみと呟いた。

「激エモっすね……」

「はは、今の子もエモいとか言うんだね」

「常盤さんの若い頃は何ですか? ナウいとか?」

「……死語を通り越して古語じゃん……隼人くんは僕を化石か何かと勘違いしてないかい?」

 フィルムの高さを微調整しながら、常盤さんは呆れて言う。

 しかしこれほど目立つのは、俺は好きだけど昨今の風潮ではいかがなものなんだろう。

「ちょっと派手すぎません?」

 指摘して、そう思ってしまった自分に一瞬嫌気が差した。娯楽を見咎める世間の風潮を嫌っていたくせに、知らないうちに自分自身も染まりきっていた。

 常盤さんはそれに気付いてか、大手を振って弁明する。

「これは装飾じゃない! だって広告だから! ただの宣伝だから! オフィシャルがエモいんだからしょうがない!」

 開き直りようが凄い。思わず笑ってしまった。ディスプレイに照らされた常盤さんの横顔はやり切ったように満足げだった。そうだよな。これだけ息が詰まる世の中なんだから、これくらいのお遊びは許してほしい。

 いつものラムネを買い、去り際にもう一度振り返る。

 灰色の空の下で、飴色の店先は憂さを晴らすように照り輝いていた。

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