第4章 雨催いの単独飛行

第9話

 あれはデカすぎるランドセルを背負っている頃だったから、多分六、七歳くらいのことだったと思う。父さんに初めて連れられて来た花火工房は、俺の幼い瞳には何だか物騒に映った。

 麻袋から怪しげな黒い粉をスコップで取り出して機械に入れる人、何やら小石のような黒い粒を慎重にボウルの中に並べている人、人の頭くらいの丸い球を大事そうに運ぶ人。

 お揃いの紺の法被がまるで悪の組織の衣装か何かのように見えて、俺は父さんの後ろに隠れていた。

 そこへ、しゃがれた声が呼び止める。

「よう、最近来てなかったじゃねえか」

「はは……ちょっと仕事が忙しくてね……。ほら、今日は隼人を連れて来たよ」

「おう隼人、よく来たな」

 最後にいつ会ったのか分からない爺ちゃんは、にこりともせずに俺に一瞥をくれた。浅黒く深い皺を湛えたその顔は、雨晒しでボロボロになった小学校の校長像にちょっとだけ似ている。それが少し恐ろしくて、俺は思わず尻込みしてしまった。

 白髪交じりの頭を掻いたその指先は、泥に手を突っ込んだかのように黒く汚れている。一体何を触ったんだろう。

 視線に気が付いたのか、爺ちゃんはその指で傍の机にあった黒い粒を摘んで俺に差し出した。おずおずと受け取ったそれは、大ぶりなブドウくらいの大きさの粒だった。大きさの割にそれなりの重さがあるそれを、小さな掌で転がしてみる。転がった軌跡に黒い粉が残った。

「爺ちゃん、これって……?」

「花火の火薬だ」

 火薬と聞いて驚き、掌の上に乗った粒を取り落としそうになった。流石に小さな子供でも、それが危ない代物だという知識くらいはあったからだった。触ったら母さんに怒られるやつだ。

「こ、これ燃えるの? 爆発したりするの!?」

「ああ、燃えるし爆ぜる。取り扱いを間違えりゃ身体がバラバラになるかもな」

 あっさりという爺ちゃんに、俺は絶句した。戦隊ヒーローが敵を倒すときに爆発する様を思い出して、背筋がぶるりと震える。恐ろしい物体を掌に乗せ右往左往する俺を見て、爺ちゃんは愉快そうに笑った。

「……隼人、お前もやってみるか」

「な、何を?」

「花火づくり」

 言うなり爺ちゃんは俺を抱え上げ、工房の作業椅子に座らせた。大人用にしつらえられた机は胸より高く、目の前に埃っぽい机上が迫る。通りがかった工房の職人が持ってきてくれた座布団三枚を敷いて、ようやく机を見下ろした。

 隣にどっかりと腰を下ろした爺ちゃんは、持ってきた材料を雑に机に並べる。

「お前の父ちゃんは真面目に花火やらねえからな。お前が覚えろ」

「え、ええ!?」

 苦笑する父さんを尻目に、爺ちゃんは紙の半球を戸惑う俺に持たせる。

「これに星を並べろ、こうやって」

 先程俺に握らせたものと同じ火薬の粒を、隙間なく半球の内側に詰め込んでいく。星って何、これは今何をしているの。そんな口を挟めない圧を感じる。

「ほら早く」

「う……うん」

 急かされるままに指を動かすと、半球の内壁はあっという間に火薬の粒で覆われた。すかさず爺ちゃんは一回り小さな半球をその中に差し入れ、小豆大の火薬の粒を持ってきた。

「次」

 同じように並べろということか。断ることが許されない雰囲気に押され、俺は手元の作業に集中した。半球が火薬で埋まる頃、また別の空の半球が用意された。

「今度はひとりでやってみろ」

 同じものを作れということか。言葉少ない職人の意図を汲みながら手をひたすら動かす。そうだ、違うそうじゃない、と細かく指摘を受けて、手元の半球に再び火薬が詰め込まれていく。

 最初は震えていた指も二つ目の半球が出来上がる頃には慣れたもので、自信と一緒に火薬粉で黒く染まった。しかし不思議とそれが汚いとは全く思わなかった。

「……できた!」

「おう、出来たな」

 爺ちゃんは頷いて出来上がったばかりの二つの半球を両手に取り、導火線を挟み勢いをつけて面と面を貼り合わせた。手早くその境をテープでぐるぐる巻きにする。

「これが花火玉だ……が、まだ赤ん坊だ。紙貼って乾かしてを繰り返してようやく空に昇る準備ができる。隼人、これからお前がこいつの世話をするんだ」

「え……!?」

 突如降って湧いたように大役を仰せつかり、俺は爺ちゃんの顔と花火玉を交互に見た。爺ちゃんの表情は真剣そのものだった。それは孫に何か責任と自覚を持たせるようにも見えて、俺は息を呑んだ。

「わ、分かった」

 その役が務まるのか分からなかったけれど、子供心ながらそれは簡単に投げ出してはいけない事のように思った。

 それから度々工房を訪れては、自分の花火玉の世話をした。玉に大事にクラフト紙を貼り、数日乾かし、また紙を貼る。毎回ほんの数十分の作業だったが、爺ちゃんはいつも俺が来るたび作業の手を止め、隣で作業を教えてくれた。見上げた顔は相変わらずぶっきらぼうだったけれど、孫の手元を見守るその目は優しかった。

 初めて工房に来てから一ヶ月が経った晴れの夜に、爺ちゃんは俺の家族を工房の庭に呼んだ。

 紺の法被の職人達が台車に載せて運んできた鉄製の大筒に、俺が一ヶ月間ずっと世話してきた花火玉をそうっと入れる。手塩にかけて作り上げた花火のお披露目を控え、何だか俺まで緊張してきた。

 爺ちゃんは俺の頭に白くてデカいヘルメットを被せた。視界を覆うそのつばを持ち上げると、しゃがんだ爺ちゃんと目が合った。

「見てろ隼人、今上がるからな」

「う、うん」

 爺ちゃんが手元のスイッチを押すと、電子点火された筒内の火薬が爆発し、煙と共に俺の花火玉が空へ昇った。細い白煙を従えて上空に飛び出したそれは爺ちゃんや職人や両親、そして俺が見守る中、爆音を響かせて花開いた。

 それは豪華絢爛に咲き誇る菊の花のようだった。中心に紫の光を抱き、黄色い光を携えた無数の矢は尾を引きながら青い閃光に変わり、夜空を独占し、星の光を掻き消し、そして儚く消え散っていく。

「わあ……」

 あっという間だった。しかし圧巻だった。あまりの美しさに、俺は息をするのも忘れて煙の残った空をいつまでも見上げていた。爺ちゃんはひとつ頷いて、俺の頭をヘルメット越しにぽんと撫でてくれた。

「うむ、芯入菊しんいりぎく。玉のすわりは甘えし少しいびつだが、初仕事にしちゃ上出来だ。ほら見てみろ」

 そう促され振り向くと、法被の職人達も父さんも母さんも顔が綻んでいた。手を叩いて喜んでいる者もいたし、母さんに至ってはちょっと涙ぐんでいた。

 俺の作った花火で、他の誰かを感動させたんだ。

 誇らしさと気恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じ、にやけそうになる口元をきゅっと結び直した。汗ばんだ掌でTシャツの胸を掴む。

 爺ちゃんは俺の心境を分かっているように短く笑い、

「いい仕事したな」

 そう褒めてくれた。たった一言だったけど、それはどんな事より嬉しかった。爺ちゃんは俺の背中を叩き、良いかよく聞け、と真っ直ぐに俺を見つめた。

「隼人、お前は未来の七代目だ。俺達の仕事はただ消費するための娯楽じゃねえ。花火は一瞬で消えちまう。が、人々に夢を見せ、希望を与えることができるんだ。お前もいっぱしの花火師として、最初の花火を見上げた皆の顔を、この景色をゆめゆめ忘れんじゃねえぞ」

「うん!」

 心躍る夜空の光景を、喜んでくれた皆の顔を、俺は生涯忘れないことにした。そして大人になったら絶対に自分の花火でもっともっと喜んでもらえるようになりたいと、この瞬間幼いながら心に決めた。

 爺ちゃんは目を輝かせる俺に満足そうに笑って、孫の頭をガシガシと撫でた。

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