第7話

 夕食が運ばれてきた。味のしないそれらを咀嚼しながら、私はどうにも落ち着かなかった。

 ちょっと発想が突飛すぎただろうか。初めてメッセージを送るんだから、はじめましてとか挨拶したら良かったな。そもそも知らない相手から連絡が来たら気持ち悪いかな。動画では若い人だと思ったけど、本当はめちゃくちゃ歳上なのかもしれない。失礼だったかな。

 携帯が通知で震えたのは、食器が下げられ食後の薬を呑み下している時だった。待ちに待った返信に、口に含んだ水を零しそうになる。というかちょっと零した。

 濡れた画面を乱暴にパジャマで拭い、前のめりになってメッセージアプリを開く。

 返ってきたのはたったの三文字だった。

『何それ』

 すっと腹の底の熱が冷めていくのを感じた。急に冷静になった頭が、そりゃそうだ、と昂っていた感情を宥めにかかる。

 うん。普通そうだよね。もう少し落ち着いて考えれば分かっていただろうに、それでも落胆の色は隠せない。こういう反応が来ることも予想できたはずだ。はじめましての相手に、しかもこんな子供じみた頭のおかしい発想に付き合おうだなんて、そんな酔狂な人間もいるまい。

 ぽす、と起こしていたベッドの背にもたれる。

 けれど――すぐさま送られてきた追撃に、私はやられてしまった。

『最高じゃん!』

「……最高じゃん」

 画面の文字を、口の中でぽつりと呟いた。底まで落ちていたテンションが一気に跳ね上がる。巨大な石油コンビナートに安易に点火したように、脳内で何か気持ち良い物質が爆発し身体を駆け巡る。血圧モニターを付けている時でなくて良かった。多分今測定したら警報音が鳴ってる。

 ああもう、私ってこんな単純だったのかな。

 そこから私は携帯に齧り付き、指が擦り切れるんじゃないかという勢いで返信を打った。相手からも食い気味にメッセージが送られてくる。

『廃墟でじゃなく、人がいる街中でやったらどうかな』

『観客いた方が楽しいしな。パルクールで逃げながらならできそう』

『打ち上げ装置ってあらかじめ設置しておける?』

『レンタルの重量ドローンでいけんじゃね? 打ち上げ直前に飛ばして……あと、昔使ってた手筒花火を改良して火筒ランチャーにすれば何処でも打ち上げられそう』

『何それめっちゃ格好いいじゃない!』

 私達はお互いのアイデアを持ち寄り、どうにかして形にできないかと頭を捻り、思いつく限りの解決策を提案して――気が付けば、消灯時間はとっくに過ぎていた。

 とっぷりと暮れた夜の海が窓の外に揺蕩たゆたうのを見て、ああもう眠らないと、と残念に思う。いつぶりだろう。こんなに寝る間が惜しいと思ったのは。

『それじゃあ、続きはまた明日』

 そんな風に言える誰かができたのも久しぶりだ。満足感の滲む溜息を吐いて、ひとつ伸びをする。

 彼はジェットと名乗った。無論、偽名ニックネームだけど、きっと私達はそれくらいの距離感がちょうどいい。

 終えたはずの会話だったが、再び携帯が通知に揺れる。何だろう。

『名前、何』

 画面にはぶっきらぼうな短文が浮いていた。はじめましての人間に向かってそんな聞き方あるだろうか。多分こいつはモテないな、と勝手に想像を膨らませる。

 そういえばずっとゲストアカウントでメッセージをやり取りしていたせいで、名乗るタイミングはなかった。渾名なんて今まで他人に付けられたことはないし、こういうネット上での付き合いもほとんどやって来なかった。ハンドルネームらしいハンドルネームも持ってない。本名を名乗るのは、なんか違う。

 その場で適当に思いついた名前を、短く綴って送信する。

『リリイ』

 百合也だからリリイ。単純だったかな……ちょっとダサいな。まあいいや。相手も今時飛行機ジェットだし。

 それでもジェットは納得したようだった。

『そっか』

『よろしく、リリイ』

 一度も会ったことはないけれど、私達はこの時握手を交わしたような気がした。

 誰かと繋がるって、こんなに嬉しいことだったんだ。枕に頭を預け、ふと視界に入った窓に映る私の顔は分かりやすく弛んでいた。

 同時に、責任感めいたものもじわじわと湧いてきた。今から私達がやろうとしていることは、何処をどう切り取っても不法行為だ。それに失敗すれば、彼の命を危険に晒しかねない。歩けない私が出来る事なら、どんな形ででもサポートしてあげたい。

 どうやったら打ち上げが上手くいくのか。最も花火が映えるにはどういう角度が必要なのか。どういうルートで、どういう体勢で飛んだら勢いを殺さず街中を駆け回れるのか。私には知らないことだらけだった。花火のこともパルクールのことも、今日知ったばかりだ。

 勉強しなくては。彼を無事に飛ばせてあげるためにも。

 そのために必要な物も揃えなければ。

 存在を忘れかけていたメールアプリを開く。両親のアドレスしか登録していないそれには、未読のメールが数件溜まっていた。いつもはタイトルだけ見て開かずにいる。大体内容は毎回同じだからだ。取って付けたような心配の言葉と、面会に来れないことへの謝罪。罪の意識を感じるくらいなら、いっそメールなんてせずに娘のことなんて忘れてしまえばいいのにとも思う。

 でも今回は、ありがたく利用させて貰うことにしよう。溜まったメールの中から『お誕生日おめでとう』というタイトルのメールを見つけて開く。受信日時は先々週だった。

『最近の体調はどうですか。誕生日プレゼントは何が良いかな。欲しいものがあったら何でも言ってください』

「何でも……ね」

 にやりと笑い、遠慮なく欲しいものを綴る。十七年も娘をほったらかしてきた報いを、金銭的に受けてもらおう。

 都内でも有数の大病院の海が見える個室に入院し続け、高度な医療を受けられるのは両親の潤沢な経済力によるものだ。どうせお金には困ってないのだから、これくらい構わないだろう。

 呑んでもらうわよ。私の無理難題を。

『最新鋭の高性能なパソコンとGPS搭載の通信機器、高精細な映像を受信可能なVRゴーグル及びヘッドセットマイクを下さい』

 他には他には、と思考を巡らせ、ぐるりと何もない部屋を見回す。

 最後に一文を足し、送信ボタンを押した。

『あと運動力学の工学書をいくつか』

 ふー、と長く息を吐き、携帯端末をシーツの海に投げ出した。疲れた。でも心地いい疲労だ。

 今日一日で、何もかも変わってしまったような気がした。こんな夜の海でさえも、色とりどりの星屑を湛えたように輝きに満ちて見える。

 そこでやっと、私は部屋の入口に桜田さんが立っていたことに気が付いた。夜の投薬の時間はとっくに過ぎていたようだ。いつからそうしていたのか、点滴のパックを抱えた彼女は私に声をかけるタイミングを見計らっていたようだった。全然気が付かなかった。

「百合也ちゃん、何だか楽しそうね」

 桜田さんはカーテンを引き、薬液の入ったパックを点滴台に吊るしながら言う。

「……別に」

 冷静を装って返答したつもりだったが、彼女は嬉しそうに微笑んだ。





 それから数ヶ月の準備期間と冬越しを経て、私達は今春から打ち上げ活動を始め――今に至る。

 私達の活動はそれなりに世間に認識され、問題視もされ、しかし娯楽に飢えた人々に光を灯しもしてる……と思っている。

 街を駆け夜を照らすゲリラ花火師ファイアワーカー・ジェットを、陰で支えるサポート役・リリイ。

 これが今の、私の世界のすべてだ。

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