第6話

 次の月曜日にはひとつ機械が取れて、火曜日には点滴薬がひとつ減って、水曜日には人工呼吸器が取れて、木曜日には起き上がることができるようになった。いつもの発作の、いつも通りの経過。

 ここまでルーティン化していると、なるほど身内も安心するのだろうと思った。どうせすぐ良くなるだろうと。実際に伏せっている側は毎回大変なのだけど、この身体のこの苦痛を共有することはできないのだから仕方がない。

「……」

 ベッドの背を起こし、久しぶりに外の景色を眺める。青い海はいつもと変わらず凪いでいた。こうも変化がないと、本当に先週の発作の苦しみがあったのか疑わしく感じてしまう。

それでも、腕と手の甲の注射痕があの苦しみを乗り越えたのだと教えてくれる。乗り越えたところで、何も待ってはいないけど。

 起きている時間は退屈だ。本も漫画も映画も長すぎる入院生活で飽きてしまった。感想を持ち寄る相手だっていないのだから、私だっていついなくなるのか分からないのだから、そんなもの吸収したって何の意味もない。

 だからいつも早く夜になって眠れたら、なんて思ってる。

 思って――いた。

 何となく、本当にただ何となく気になって、引き出しに仕舞い込んでいた携帯端末を起動する。久しぶりに電源を入れたので、充電は半分しかなかった。届いていたメールを無視し、動画配信サイトにアクセスして目当ての動画を探る。

「……また上がってる」

 花火の記録映像を検索し新着順に設定すると、『記録映像 花火(十六)』の動画が一番上に表示された。投稿者は『Jet』。Jet……ジェット……飛行機? なんで?

 最新の動画をタップすると、前回の動画と変わらず画面の中央に淡々と花火が上がった。

 画角も適当、たまにピントが合っていない所もある。大きい花火の時は大体画面に収まりきってない。狙った高さに上がらなかったのか、

「あ、やべ」

 という投稿者の素の声らしきものも入っている。不用心か。花火と花火の間の微妙な間があるから、カットすればいいのにノー編集。多分花火の種類だってあるんだろうから、せめてルビだけでも振ったらいいのに。言いたいことと突っ込みどころはいくらでも出てくる。

 ああ本当、馬鹿みたい。

 何でこんなのを全部見ちゃうのよ、私……。

 気が付いたら夢中で全部見てしまっていた。『記録映像 花火』の(一)から(十六)まで全部。窓の外は少し日が陰り始めていて、画面に没頭してしまっていた自分を恥じた。

「……ふー」

 一旦画面を消し、目を閉じて天井を仰ぐ。普段使わない目の奥の筋肉が引きつっていた。眼精疲労を押し流すように眉間を揉む。

 暗い瞼の裏には、夜空に咲く美しい花火の光が散っていた。彗星のような尾を引いて、名残惜しそうに宵闇に消えていく光。赤から青に色が変化する光。小花を散らすように弾ける光。どれもこれも、知らない光景だった。

 何で……あの一瞬で消えてしまう光の集積に、これほどまでに胸を締め付けられるのだろう。消毒されたシーツの中で、身体の奥底が燃えるように熱くなるのを感じた。

 落ち着け。私らしくもない。ひとつ深呼吸して、再び画面を起動させる。もう花火の動画はすべて見終わってしまった。これ以上、私を焚きつける物は何もないはずだ。

 そうね、認めよう。久しぶりに私の心は、何かに焚きつけられて熱くなっていた。でも大丈夫。もう燃料となる動画はないのだから――

 そう思いながら投稿者情報をタップしたのがいけなかった。表示された動画リストの中にはもう一種類、花火関連ではない動画が上がっていた。これまでの夜空とは一転、昼間の映像。打ち上げ場所と同じなのか、苔むした廃墟群が映っていた。

 それは、廃市となった地方都市のビル跡のようだった。人口が減って人々が大都市に集約する中、捨て置かれた都市たち。それらは苔と蔦と雑木に飲み込まれ、自然に還っている最中のようだった。ここには人が足を踏み入れることはなく、ただ野生動物たちの根城と化している。

「風景映像……?」

 ノスタルジーを求め、廃墟に足を運ぶ人もいると聞く。この投稿者もそうした趣味なのかもしれない。そう思ったけれど、次の瞬間、認識を改めた。

 廃ビルの屋上から、黒い服の男が身を投げた。

「は?」

 とんでもない物を見てしまった、と身体が強ばるが、映像の中の男は意に介さずビルからビルへと走って飛び移っていく。

 危ない、命綱もないのに。低いビルだって、四、五階程の高さはある。落ちたらひとたまりも――

 男はこちらの心配をよそに飛び跳ね、走り抜け、転がり、壁を蹴ってよじ登り、四肢を限界まで酷使してビル街を身軽に舞った。跳躍が足りないところは、スニーカーに仕込まれていると思しきエンジンが推進力を補い、彼を躍動させる。

 息を吐かせぬ興奮が、その動画からは溢れていた。

「なに、これ……」

 動画タイトルには『廃墟パルクール(一)』とある。パルクール……って何だ。目の前の信じられない映像と知らない単語に頭を捻るが、多分、彼がやってのけているこれこそがきっとパルクールと言うものなんだろう。

 人間の身一つで、障害を障害と思わず飛び越え、駆け抜けていく。動画の終わりに、男は顔がギリギリ映らない画角で大きく息を吐いた。

「はー、気持ち良い。今日も飛んだ、走った……」

 その達成感に満ち溢れた若い声は、花火の動画で聞こえてきたものと同じだった。この男が投稿者の『Jet』だろう。

 レンズに向かって掌が伸びてきて、映像がぷつりと切れる。録画停止のボタンを押したようだった。

「…………」

 圧巻だった。走りも、跳躍も、誰も彼を止める者はいなかった。

 自分が歩けないからとか、同じ事が出来なくて悔しいとか、そんな鬱屈した気持ちがどうでも良くなるような爽快感が、その動画にはあった。無意識にネグリジェから出た腕を抱く。白い肌は興奮に総毛立っていた。

 これが、パルクール。これが、彼の成し得る事。

 他にもアップされていたパルクールの動画を見ようとしたところで、ふと、悪魔的な発想が頭を掠めた。

 それは雷に打たれたかのような、衝撃的なアイデアだった。実現可能なのか? 危険なんじゃないか? そんな懸念が吹っ飛ぶ素晴らしい考えに、身体が芯から震え上がる。

 どうしよう。実現出来るのは、多分世界で彼だけだ。

 そんな逡巡も、ほんの一瞬だけだった。

 気が付いたら、指先が投稿者に送るメッセージを綴っていた。

『パルクールやりながら花火上げたら、最高に格好いいと思うんですけど』

 そこからさらに、いくらか指先が迷って宙を描く。でもやっぱり、欲張ってその先を綴ってしまう。

『一緒に、やりませんか?』

 打ち込んだ文章を、勢いそのままに送信した。

 一緒に、だなんて。何の知識も技術も、成功の糸口さえもないただの思いつきなのに。

 本当、私、どうかしてる。

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