第4話
「……何? ジェット、学生なの? 授業中だった?」
「現役大学生だよ。もうすぐ授業だけど、サボっても大して変わらないから平気だ」
大きな溜息を吐くリリイ。
「大学生って暇なの? 学校行ってんのに授業サボるの? 何で?」
心底分からない、といった様子だ。へーへー、自堕落で悪うござんした。
「お前だってこんな平日の昼間にかけてくる辺り、どうせ暇な学生だろ?」
「ふん、馬鹿言わないで。私くらいになれば仕事の合間を縫って連絡できるわ」
「社会人かよ。だったら年上じゃねえか」
「そうよ。だからもっと敬意をもって崇め奉りなさい」
そう言ってリリイは尊大に鼻を鳴らす。マジか。声がちょっと幼い感じがしたから、てっきり年下だと思ってた。言われてみればまあ、そりゃそうか。
毎度の打ち上げルートの策定やナビゲーションシステムの構築なんかはリリイが一手に引き受けている。彼女がサポート役に手を挙げなければ、町中でゲリラ花火をやろうなんて思いつかなかったかもしれない。案外やり手のビジネスマンなのかもしれないな。
「で、こんな昼間に敏腕社会人のリリイ様が何の用だよ」
「何それすんごい腹立つんだけど……まあ良いわ。明日から何日か天気が崩れるみたいだから、打ち上げはお休みねって話」
「ああ、そうか。ここんとこずっと晴れてたからな。分かったよ」
花火の打ち上げは晴れて風が吹いてない日の夜だと決めている。雨風が強い夜にビルを飛び回るのは難易度が高いのと、花火自体が綺麗に観れなくなるからだ。
やっぱり花火は風のない晴れの日に上げるのが一番綺麗だ。観覧客も多い方が楽しいしな。
ただ、電話してくるほどの要件か? まあ別に良いんだけどさ。
「あともうひとつ」
リリイは付け加えるように言う。彼女がこう言う時、大体こっちが本題だ。
「ジェット、昨晩ニトロシューズのスイッチ切り忘れたでしょ。さっきからずっとメッセージ送ってるんだけど」
「うお……マジか。気付かなかったわ。ありがと」
俺の打ち上げ道具類はリリイのデバイスでも使用状況を確認できるようになっている。ニトロシューズは玄関に脱ぎ散らかしたまま。確かにスイッチを切った記憶は無い。帰ったらチェックしとこう……。
それじゃ、とだけ言いあっさりと通話は切られた。相変わらず淡白な奴だ。暗くなった画面を見つめ、ポケットにしまう。
教室の奥に眼を遣ると、恨めしそうな樹と目が合った。悪いな。そんなに期待するほど甘酸っぱい会話じゃないんだ。
何て言い訳するかを考えながら席に戻ると、授業開始を報せる予鈴がぼーん、と鳴った。
「なあおい隼人、早く吐いた方が身の為だぞ」
「だーかーらー彼女じゃねえってば!」
「絶対あの意味深な感じは彼女だろ! 抜け駆けしてんのはお前の方じゃねえか! いつからだよ! 写真見せろ写真! グギイイイ」
授業終わり、学内を歩く俺は樹から要らぬ追及を受けていた。うぜぇ。野党の政治家だってこんな熱心に食いつかねえだろ。蝉の声の熱量と相まって、耳にまとわりつく。あーうぜぇ。
「大体写真なんて一枚も持ってねえし」
それどころか会った事すらない。美人かどうかも知らん。……声はまあ、正直可愛いけど。
「可愛い姿は俺の中だけで留めておきますってか!? へえええ」
俺を置いて勝手に想像して盛り上がるな。
植栽の緑を抜けて校舎の角を曲がると、アコースティックギターの旋律が耳に入った。
「何だ……? あれ」
見れば木陰でひとり、弾き語りをしている男がいた。彼は自分の世界に没入するかのように目を閉じて爪弾き、身体を揺らし、一心不乱に歌詞を口にする。
それなりに人がいる学内、道行く学生達はちらちらと視線をやっていたが、興味ありそうな奴もなさそうな奴も皆一様に我関せず、という態度で歩き去っていった。
娯楽に頭のてっぺんから爪先まで浸かったような奴。
俺も何だか見てはいけないような物を見ているような感じがして、しかしその何か訴えるような歌いぶりに足を止め、目を逸らせずにいた。
「何だっけこの曲」
思わず口から出た言葉は、心の端っこだけでも彼に意識を向けていたい俺の気持ちそのものだったかもしれない。表立って曲に乗れない代わりに、心に留めておきたいような気がして。
樹も立ち止まって、眼鏡を外した。特段彼には興味を持っていないようで、Tシャツの裾でレンズを拭きながら答える。
「……ああ、ストレイシープスの『惑う僕ら』だろ。なんか確か二〇二〇年代くらいの」
綺麗になった銀縁眼鏡をかけ直して、思い出すように言う。
「爺ちゃんが歌ってたわ、懐かしいな。いつも僕らはー道を見失ーうってやつ」
「いつの時代の若者も道に迷ってんのな。人生という道に」
そう軽口を叩く俺達も、未来なんて何にも見えてない癖に。学生という肩書きが無けりゃ路頭に迷ってんのと同じだ。皮肉が効いてんじゃねえか、まったく。
視線をやると、サビを歌い終えて間奏を弾いていた彼と目が合った。こちらを射竦めるような、黒々とした瞳だった。
瞬きせず俺を真っ直ぐ見つめる彼に、手を挙げて応えようとした時。
「こんな所で何をやってるんだ」
呼び咎める声が、演奏を遮った。
「やべ、学生課の職員だ」
スーツ姿の大人は、この学び舎では教員か職員だけだ。
何となく立ち止まっていた若者も、ただ通りすがっていた者も、自分には関係ないと言うように散っていく。
蝿でも払うように面倒臭そうに手を振り、学生に牽制する。
「はい、君達も集まらない、立ち止まらない。授業に行きなさい」
ギターを抱えた彼は、職員に連れられてどこかへ行ってしまった。その表情は木陰が隠して見えなかった。
禁欲的な世相に押され部活動すら禁止の学内。これから反省文でも書かされるのかもしれない。あっという間にその背は学生課の入る薄暗い棟に呑まれ、消えていった。
「行こうぜ、隼人」
「……ああ」
挙げかけた俺の手は所在なさげに浮き、何事も無かったかのように下げられ、樹に促されるまま歩き出した。
歌う彼に皆の前で意思表示をするだけの意気地が無かった事に気付かされ、俺は人目につかないように拳を握った。
蝉時雨は俺を追いかけるように日差しとともに降り注いだ。
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