第3話

 眼下に広がる森と森に飲まれる構造物を眺め、俺はビルの端に立った。人口減少に伴い打ち捨てられた街は、ちょっとリニアに乗ればそこらに溢れている。お陰で練習場には事欠かない。

 買ったばかりのラムネをひとつ口に放って深呼吸する。涼しい香りが肺に満ちた。

 三、二、一で廃墟の世界へと身体を投げ出した。青々と蔦が這い傾いたビルの壁を駆け下り、朽ちた鉄看板を踏んで跳躍する。白いTシャツがはためいて、風を切る感覚に胸が踊った。

 空中で一回転して隣のビルの切っ先に掴まり、軽々と屋上へよじ登る。そのまま苔むした床を走り、錆びたフェンスを乗り越えて宙に飛び出した。送電が止まった電線を掴んでブランコのように身体を運び、隣のビルへと飛び移る。

 いつの時代か五輪オリンピックにも採用されたパルクール。一目見て心奪われてから、俺はこうして人目を盗んで忘れられた街で飛ぶようになった。

 どの技も見様見真似だ。スポーツは娯楽と見なされ世相に淘汰され、映像の彼方にしか残っていない。競技自体が無くなった現代で、ここまで飛べる奴はそういないだろう。

 重力と視線に縛られ地上で生きるより、俺はひとりで空にいる方が自由でいられる。

 塵芥舞う廃墟を駆け抜けゴールの給水塔にタッチして、大きく息を吐く。今日の時間タイムは二分半。練習にしてはまあまあだ。ぬるい夏風が首筋を撫でた。

 額の汗をTシャツの袖で適当に拭うと、タイミングよくポケットの中の携帯が震えた。メッセージを受信したらしい。

『隼人、今日サボり?』

 送信者はいつきだった。よくつるむ同級生。サボり仲間。悪友。その辺のどれかだ。

 こいつだっていつもはサボる癖に、今日はちゃんと大学生をやっているらしい。どういう風の吹き回しだ。

「真面目に学生やる気しねえな……」

 面倒くさいが仕方ない。俺は頭をガシガシ掻き、鞄を拾い上げて大学へ向かった。



 昼の空き教室には、休み時間特有の緩い空気と学生の雑談が流れていた。いつものように後方の席に陣取り、机の上に適当に鞄を放る。

 少子化、少子化、と言っても、大学まで無償で通うことができる現代では、大学進学率は九割に近い。昔と違って大学の数も少ないし、人口は都市部に集約しているから必然的に大学は若者で溢れ返っている。

 勉強したくて来てる奴もいるだろうが、ほとんどが俺みたいに社会に出るまでの最後の猶予期間モラトリアムをダラダラと謳歌するために来ているんじゃないかと思う。特に将来に何したいとか思わない奴らが。

 若者しかいないこの空間では、幾分か娯楽に関する話題に向けられる視線も温かい。だからこそこのぬるま湯に浸かっていたいと思うのだろう。俺もできるなら一生大学生でいたい。

「でさー、昨日生で花火見れたのー!」

「何それすっごい奇跡じゃーん」

 前方の席で弁当を広げている女子達の会話に耳を欹(そばだ)てる。それ、俺です。内心ほくそ笑んだ。

「ジェットの予告時間通りじゃん?」

「マジかー、やっぱこまめにSNS見とかないとなあ」

 うんうん。やっぱりSNSの情宣活動は有効っぽいな。打ち上げ直前にSNSで時間と場所を予告し、ゲリラで打ち上げて去るスタイルで活動しているため、『ゲリラ花火師ファイアワーカー・ジェット』の存在はネット上で都市伝説的な扱いを受けている。慎重派のリリイは当初予告する事すら躊躇ためらっていた。

「ジェットは将来があるんだから、警察に特定されるような真似は反対」

 母親みたいなこと言うなあ、とその時思ったが、結局押し切って偽名ニックネームで打ち上げ直前のみ投稿することにしている。

 誰かが、じゃなくて俺が打ち上げたんだって、ちゃんと分かるようにしたかったからだ。自己満? そうかもしれない。

「おせーよ、隼人。余裕だな」

 声をかけて隣に腰掛けた男はさっきメッセージを送ってきた樹。

 銀のワイヤーフレームの眼鏡と賢そうな顔がいかにもインテリっぽいが、よれたTシャツと短パンで来る辺りは流石モテない。スウェットで来てる俺が言えたことではないが。俺も彼女欲しい。

「樹、一限の経済学の配布データくれ」

「開口一番それかよ……そして残念ながら俺も出てない」

「サボり野郎」

「お前に言われたくねえ」

 五十歩百歩、団栗の背比べ。俺達は貴重な人生の夏休み中に惰眠を貪っている真っ最中だ。暇を持て余し、そのくせ学業に注力するわけでもなく、大昔の映画を観たり馬鹿話に花を咲かせたりして日々を浪費している。

「はぁ、今日はお前に重大発表があったんだけどな」

 樹は勿体ぶるように頭を振る。何だよ、重大発表って。

 思わせ振りな表情でポケットから携帯を取り出し、画面を愛おしそうに見つめる樹。腹立つな。

「隼人にはまだ分かんないかー。愛しいものを追いかける恋の醍醐味が」

「は?」

 恋の……醍醐味って……そんな。

「え、お前まさか」

「まさかまさかの?」

「ちょ、抜け駆けかよ! どんな子だ見せろ」

 ふざけんな。どうやったらこいつに彼女ができるんだ。こいつに先を越されるのは純粋に悔しい。こいつにだけは負けてないと思ってたのに……。

 悔しさついでに彼女の顔を拝んでやろうと、画面をひた隠しにする樹から携帯を奪い取る。ひったくったその画面には――緑の苔むした廃墟が映っていた。

「んだよ、まーた廃墟かよ!」

「ははは、残念だったな。そう簡単に俺に彼女ができるわけねーだろ!」

 自分で言ってて悲しくならねーのか。

 樹は自他共に認める廃墟・廃線オタク。捨て置かれ、蔦と錆に覆われた人工物を見ると興奮が抑えきれなくなる変態だ。

 俺は大学一年からパルクールの練習に郊外の廃墟を使っているが、その候補地を探して画像を漁っていた時に声を掛けてきたのがこいつだった。それ以来、俺を廃墟を語れる相手と捉えたのかイチオシの情報を一々共有してくる。俺はそこまで廃墟自体に興味は無いんだがな……。

「にしても、今回行った廃ホテルは良かったぜ……荒廃したロビーに光が指して、割れたガラスをすり抜けた蝶が舞っててさ……。悠久の時を経て、来るものを迎える厳かな感じと二度と戻らない喪失感がグッと胸を締め付けて……これぞもののあはれって感じ? 俺、日本人で良かったわ……」

「はいはい……」

 勢いに圧された俺は呆れて適当に返事をする他ない。

 樹は確かに変態だが、若者の間でこうした「何かをこっそり見るだけ」は密かなブームになっている。桜なり、紅葉なり、廃墟なりを思い思いに眺めては写真に収め、周りの目を気にしてそっと去っていく。

 新規で何か娯楽を生み出してるわけじゃないからOK。ただそこにあるものを見て愛でるだけ。平安時代みたいな話だが、彼らは大真面目でそんな趣味にひっそりと身を投じている。清少納言もビックリだ。

「とうとうオンラインサークルも立ち上げちまったよ……題して、『もののあはれ部』。どう? 隼人、お前も」

「何だよもののあはれ部って……俺はいいよ」

 同じ趣味の人と繋がってたい。そんな思いすら、表立って形にするのは困難だ。サークル活動なんて後ろ指さされる事請け合いだ。だからこうやってネットワークの海でコソコソとやる他ない。

 俺だって花火の打ち上げはバレないようにやってる。まあ、あれに関しては打ち上げ場所の許可を取ってないのもあり、見付かれば火薬類取締法違反で現行犯逮捕ものだ。許可なんてそもそも取れない。だから身バレしないようそれなりに注意を払っている。

 けど――どんな趣味だって、もう少し堂々とやらせて貰えないものなのか、とも思う。何かこう、好きな物に対して人目を気にせず能動的に飛び込みたいと言うか……。

 熱弁をふるう樹に適当に相槌を打っていると、携帯が鳴った。画面には『秘匿回線』の文字――リリイだ。珍しいな、普段はメッセージのやり取りだけなのに。

 通話ボタンを押しながら立ち上がり、教室の出口へと向かう。

「リリイ、ちょっと待ってろ。今教室出るから……」

「おま、彼女……!?」

 それまで廃墟愛を語っていた口をぽかんと開け放ち、絶句する樹。こいつは全然彼女でも何でもないが。

 しかし俺は意味深な笑みを残し、教室を後にした。

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