第2章 娯楽の消えた世界で

第2話

『――佐々木文科大臣が自宅で新作漫画を読んでいた問題ですが、帝都大学名誉教授の斉藤さん、いかがですか』

『いやあ、僕が若い頃なんて、世の中新作漫画であふれていましたからね、気持ちは分からないでもないですが……やはり、世間の目は許さないでしょうね』

『実際に、野党からは退任を求める声も上がっており――』

 朝からクソどうでも良い議論を繰り広げるニュースを消し、俺は大欠伸をした。本当にどうでも良い。いやまあ確かに新作漫画に関しては少し羨ましくはあるが。

 既に窓の外の陽は高く昇っていた。打ち上げの次の日は大体こうやって寝坊する。自堕落な大学生活も三年目。授業のサボり方もこなれてきた。単位? 多分ギリギリだ。

 先程までニュースを映し出していた携帯端末の黒い画面を眠い目で見つめ、与党批判にシフトしていた政治家のオジサン達の顔を思い出す。

 少子高齢化が最初に社会問題として上がったのがいつだったのか、その時代の人々が何の対策もしなかったのかは定かでは無い。恐らくその危険性に気が付いただろう団塊ジュニア世代とかいう人々は、平和に寿命を迎え既にまとめてこの世から退場したらしい。

 この国の人口は減りに減り、今や全盛期の半分に迫る。

 人々の最低限の生活水準を保つためには、第一次・第二次産業やライフライン、医療・行政サービスを中心に人材を投じる他なかった。

 最初は移民を募り人材難を乗り越えようともしたようだが、二〇二〇年代辺りから始まった歴史的な円安もあって円の価値はどんどん下がり、今や一ドル五八九円。日本で全然稼げなくなった外国人労働者達は、こぞってこの国に見切りをつけて逃げ出した。日本人は自分達だけでこの難局を乗り切らなければならなくなったのだ。

 当然、あらゆる産業が廃業に追い込まれ、その憂き目に遭うのは生きていく上で優先度の低い娯楽産業。政治家達は苦肉の策として、二十年程前に『娯楽産業規制法』なるものを制定・施行した。その法律はゲーム・アニメのようなライトなものから旅行などのアクティビティ、伝統芸能などの文化的なものまで、携わることが出来る人間を人口の数パーセント未満に抑えるという恐ろしいものだった。

 それだけ重要産業に割く人員が足りないということだ。ふざけんな、伝統文化だって立派な重要産業だってのに。

 生産した数少ない娯楽は何処へ行くかというと、すべて余すことなく海外に輸出された。外国ではジャパニーズアニメ・漫画が根強い人気を誇る。今や日本は世界に誇る娯楽輸出大国だ。しかし俺達は娯楽を謳歌できない。ガーナ人は生産したカカオをすべて輸出に回してしまうためチョコレートを食べられないそうだが、俺達もそんな感じだ。

 とにかく新規の娯楽はこの国の民のために生まれなくなり、全てVR技術等での追体験のみが許された。映画やアニメはそれでも魅力は失われないかもしれないが、花火のようなその場で体感すべき娯楽を映像で楽しめと言うのはかなり酷だ。

「やっぱり花火は……臨場感だよなぁ」

 俺は朝食の菓子パンを齧り呟く。パッケージからはイラストなどの余分な情報が削ぎ落とされ、無地に簡素な字体で商品名だけが記載されている。どいつもこいつも自粛してやがる。

 実際、娯楽の消費自体は罪ではない。しかし過度な抑制が日本人らしい同調圧力を生み、人前で娯楽を楽しむことすら人目を気にするようになってしまった。

 昨日やったような花火の打ち上げ・観覧なんてものは論外だ。だからこの国の若者は、花火を見た事がない奴も多い。

 でも――本当に良いのか? こんな身動きが取れない青春時代。親父くらいの世代からかけられる、『昔は良かった』という台詞のオンパレード。知るかよ。こちとら生まれた時からお前らが言うところの『窮屈』だよ。

 携帯端末でSNSを開くと、指が勝手にエゴサする。匿名性が保たれたこの空間で、鬱憤が溜まった若者達はやっと息を吐ける。

「俺だって、本当は堂々と楽しい事してえよ」

 画面に表示された賛辞をスクロールしながら、菓子パンの残りを口に放り込んだ。



 昼前になって、俺はやっと家を出た。学生アパートの薄い扉が閉まる音を後ろに聞きながら、だらだらと大学へ足を向ける。何でこう、これだけパソコンだの携帯端末だの発達しきった時代に、オンライン通学が普通にならないんだろうか。

 刺すような陽光が、スウェット越しの肌に刺さった。あちい。そういや、今日の最高気温は三十六度とかって言ってたっけ。それもそうか。今日から八月に入り夏も本番。立ち上る陽炎を睨み、ポケットからラムネ菓子を取り出す。

 涼を求めて容器を傾けるが、飛んでない時に食べるのは何か違う気がする。身体が無意識にスリルを追い求めてソワソワする味だ。

 青い容器が掌を透かし、そろそろ中身が尽きることを教えてくれる。そうだ、駄菓子屋に寄って行くか。今更急いで大学に行ったって、どうせもう午前の授業は全部終わってる。

 住宅街を抜け、子供の頃から何千回と通った道を進む。目隠しされても辿り着く自信があるそこは、今日も元気に暖簾を構えていた。

 創業百年を超える老舗の駄菓子屋、年輪堂。飴色の店構えは昭和時代から変わらず、地域の子供達の憩う場となっている。かくいう俺も、その中の大きな子供だ。

 店先にてバケツで打ち水している店主の爺さん――常盤ときわさんは俺を見るや、笑顔で手を挙げる。

「やあ、隼人はやとくん。今日も大学サボり?」

「はは……まぁそんなとこっす」

 バレてる。常盤さんとはもう長い付き合いだ。こんな会話ももはや日常茶飯事。三代目店主の常盤さんは年の割に背筋もしゃんとした、白髪で黒縁眼鏡のお爺ちゃんといった風体だが、年寄扱いするといつも叱られる。理不尽だ。

「今の時代打ち水って、逆に新しいっすね。風情あるって言うか」

「かーっ、何を言うか。僕が高校生くらいの頃は、暑い夏を乗り切るには打ち水だなんてよく言われたもんだよ。東京オリンピックの暑さ対策でも、偉い人達が大真面目に打ち水してて――」

「はいはい、それも半世紀くらい昔の話でしょ」

 軽口を叩いて濡れたアスファルトを踏み、店の軒先に入る。子供の目線の高さに合わせた木枠の棚に、色とりどりの駄菓子が並んでいる。色を消された商品しか並ばないスーパーやコンビニでは見られない、目には少し刺激の強い光景。でも俺は大好きだ。いつも買うものは同じなのに、どれにしようか、なんていつもワクワクしてしまう。

 ここに並んでいるものは全て、昔の駄菓子の復刻品リバイバルだ。新しいフレーバーは娯楽とみなされかねない昨今の風潮もあり、どれもこれも昔の姿のまま製造され、こうして販売されている。

 百年前から変わらないラムネ菓子をひとつ手に取り、常盤さんに小銭を渡す。

「毎度あり……昔はね、こんなラムネとかって百円もしなかったんだよ」

「嘘だぁ」

「ホントだって! 今みたいに原料費と物価が高いと、ひとつ五百円とかになっちゃうけど」

 カラカラと笑う常盤さん。マジか。そんな安かったら買い占めてる。

「隼人くんは本当、小さい頃からラムネ大好きだよね」

「甘くて爽やかで、夏といえばラムネじゃないっすか。ここがある限り買いに来ますよ」

「嬉しいねえ」

 軒先に吊るされた風鈴が、奥にある年代物の扇風機の風に吹かれ軽やかな音色を聞かせてくれる。常盤さんはバケツを片付けながら、

「成人しても買いに来てくれるの、隼人くんくらいだよ」

 そう寂しそうに笑う。そうだな。同世代のつるんでいた奴らはここじゃ見かけない。

 駄菓子はその名の通り『無駄な』菓子だから、産業として必要ないのではないかと、この間そんな馬鹿げた話題がワイドショーで流れていた。駄菓子をはじめとした菓子類は子供のためのものだ。菓子類だけでなく未成年が娯楽に触れるのには、大人達も目くじらを立てない。青少年の健全な成長に寄与するとか何とか、というもっともらしい理由によって。んなもん俺にだって必要だ。

 原色のパッケージ、モーター音が騒がしい埃被った扇風機、吊るされた蠅取り紙、氷で冷やされたジュース……ここは世間の言う『無駄』で溢れた楽園だ。商品の外装が派手である必要はないし、もっと静かで涼しい空調設備だってあるはずだし、ひと吹きであらゆる虫がいなくなる殺虫剤もその辺に売ってるし、自動販売機も探せばそこらにある。

 じゃあ何故それに頼らないのか? それを問うのは無粋ってもんだろ。そういう無駄の積み重ねがエモいんだよ。

「俺が常盤さんみたいに髪の毛真っ白になっても、多分買いに来ますよ」

 常盤さんはそりゃあ大変だ、と笑った。

「僕らは娯楽商売なもんで世間の目が厳しいけど、隼人くんみたいな永遠の子供もいるし頑張らなくちゃね」

 永遠の子供か。そうかもな。小学生の心を忘れない、夜の火遊びが止められない子供だ。

 常盤さんに別れを告げ、俺は再び大学へ向かおうとし、

「……ちょっと走ってくか」

気が向いて、と言うかちょっと誘惑に負け、郊外行きの超高速鉄道を目指して駅へ足を向けた。

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