【長編】ジャンキー・ジェット・ファイアワークス

月見 夕

第1章 ラムネ中毒の花火師

第1話

 蒸し暑い夜空を仰ぐと、星を繋いだ大三角形が浮かんでいた。デネブ、アルタイル、ベガ。見てろ、お前らは今から光を失う事になる。

 闇夜に紛れる黒のアノラックパーカーに身を包み、俺はこれから街で起こる光景に胸を躍らせる。染め直したばかりの茶髪はフードで隠すことにした。

道順ルート登録、表示完了」

「おう」

開始時刻スタートを一分後に設定セット。――準備は?」

 ヘッドホンから聞こえる少女の声に、俺はラムネ菓子の蓋を開けた。カラカラと音を立てて青い容器を傾け、中身を口の中に放る。

「OK、リリイ」

 口いっぱいに爽やかな甘酸っぱい味が広がる。耳元からリリイの怪訝そうな声が聞こえた。

「……ねえ、いつも思うんだけど、ラムネ食べないと出来ないの?」

「分かってねえな……この甘酸っぱさと切なさと、花火の音と光が織りなす世界観に浸る感じが良いんじゃねえか」

 俺はもう一粒口に放り込んだ。リリイは大きな溜息を吐いて、

「ラムネ中毒者ジャンキーめ」

 そう呟いた。何だよ、案外楽しそうじゃねえか。

「――ジェット、そろそろ」

「ああ」

 ラムネの容器をポケットに仕舞い、俺は額に上げていた双眼のゴーグルをセットした。暗視モードにより開けた視界に、リリイが送信した道順、残弾数、残り時間タイムリミット点数スコアが表示される。視線を動かしてそれらを一通り確認し、脇のボタンを押して了承した。

 静かな夜道に、金色の道順だけが残った。

「風よーし、雲よーし、航空機よーし」

 夜空を指差し、俺は火筒ランチャーを担ぎ直す。装填された花火玉が、ずしりと肩に食い込んだ。

「ジェット、位置について」

 開始直前、俺は人気のない車道の真ん中に立った。坂の多いこの街では、こうやって坂の頂上に立てば眼下に夜景を望む事ができる。

 遠い街明かりを眺め、深呼吸。ラムネの香りが身体中に充満した。クラウチングスタートの姿勢でしゃがみ、スニーカーに手を添える。

「三……二……一……」

 リリイのカウントダウンが耳元に響く。

 スニーカーの脇のスイッチを入れてニトロエンジンを起動させると、ドゥドゥドゥ、と一丁前に重低音を上げた。準備万端だ。心まで沸き立つ音に、背中がぶるりと震えた。

 さあ、今宵の娯楽が始まる。

「GO!」

 掛け声と共に、俺は駆け出した。



 金色で表示された道順通りに坂道を駆け下り、初速を上げる。この風に乗る瞬間がいつも堪らない。視界に表示されたニトロシューズの出力が、そろそろ飛べる事を教えてくれる。

「いっくぜ――!」

 身一つで壁へ屋上へ街中の構造物を飛び回り、切り開いた空の道を自由自在に駆ける走行遊戯ランニングスポーツ――パルクール。

 本日最初の足場となる構造物が、俺の目の前に迫る。

 速度を上げ、ガードレールを踏み越えた。シューズに搭載されたエンジンが唸りを上げ、通常では有り得ない飛躍ジャンプ力を生み出した。脚に伝わる勢いを乗りこなし、民家の屋根へと飛び乗る。スピードを殺さないよう、屋根を転がり降り、次の屋根へと跳び移っていく。

「次は――電灯・電柱・煙突か」

 金色の線が、放物線を描いて三段跳びをしろと命じてくる。リリイの奴、無茶な道順で計画立てやがって……

「最ッ高じゃねえか!」

 彼女の望み通り、空中で回転しながら飛び移る。と同時に、ウェストポーチから癇癪玉を引っ張り出して投げた。

 俺の軌跡に、パパパパン!! と光と音が鳴り響いた。さあ起きろ、今宵もショーが始まるぜ。

 何事かとカーテンを開けて窓から顔を覗かせる住民を尻目に、俺は煙突から屋根伝いに軽々飛び、小学校の門を越えた。



 開始から二分、第一ポイントは小学校の屋上。校門脇にある二宮金次郎像が背負う薪を蹴って飛び上がる。易々と掴んだフェンスを乗り越え、ゴーグル越しに目標を捉える。

 開始直前、屋上の給水塔脇に設置しておいた装置に駆け寄り、速度を落とさずすれ違いざまにスイッチを入れた。細身のドラム缶のようなくろがねの大筒は、これから出番を迎える尺玉を抱えて空を仰いでいる。

 視界に発射を知らせるカウントダウンが表示された。

「そこから飛んで、ジェット」

「おう!」

 ヘッドホンから鋭く響く少女の指示通り、屋上から空中へ身体を投げ出す。直後、屋上の装置から煙とともに点火された花火玉が打ち上げられた。

 ひゅるるるるるる、と笛のような音を響かせ――空いっぱいに、轟音と共に青赤の大輪の花が咲いた。

 溶けかけのラムネが、口内で揺れる。

 視界に『壱・昇笛付芯入菊先青紅光露のぼりふえつきしんいりきくさきあおべにこうろ――了』の文字が浮かび、残弾数が減った。散る花を惜しむように、大輪の欠片が瞬きながら降ってくる。『光露』の余韻が効いていて、何とも儚い。

「よっしゃ!」

 自作花火の仕上がりに頷いた俺は、校舎の壁を蹴って落下の勢いを殺しながら、桜の枝にぶら下がって回転し、小学校を後にして次のポイントへ向かう。

 今夜最初の花火に、観客は窓から顔を出して空を指差している。玄関から飛び出した少年が、中にいる親に興奮冷めやらぬ様子で叫んでいる。

「見て! 本物! ジェットが来た!」

 目を輝かせる少年に、屋根から屋根へ飛びながらにっと笑ってみせる。今この瞬間、俺は彼らにとってヒーローになれる。

 第二・第三ポイントは隣り合ったマンションの屋上だ。太陽光パネルから飛び移った電柱の頭を蹴って宙に舞い、その巨大な蟻塚のようなその外壁に飛ぶ。共用部分の廊下に降り立った俺は金色の道順が誘うままに非常階段を駆け上がり、屋上への堅牢な格子に足を掛ける。

 難なく第二のスイッチを入れると、打ち上げ装置は太い銀煙を上げて花火を高らかに吐き出した。

『弐・昇銀竜輝光緑芯錦牡丹群声のぼりぎんりゅうきこうりょくしんにしきぼたんぐんせい――了』

 視界の文字がフライング気味に表示される。夜風を切り裂き、緑の芯を抱いた銀光の丸い花が視界の端に咲いた。

 背中で爆音を感じながら、空中で俺はゾクゾクしていた。自由に夜空を舞い、歓声をその身に受けて音と光で染め上げる。ゲリラ花火師ファイアワーカーの醍醐味だ。

 進捗を見守るリリイの涼しい声が耳元に届く。

「良いペースね」

「ははっ、あったりめーだ!」

 俺を誰だと思ってやがる。

 散り際の賑やかな『郡声』を背中に聞きながら、隣の棟に飛び移る。屋上の床で前転して余計な勢いを殺して着地し、駆け抜けざまに三番目のスイッチを押した。

 控えめな煙を真っ直ぐに上げて打ち上がったそれは、空で弾けるや否や紅青緑紫黄と五重の光を放ち、極彩色の真円を咲かせた。すかさず視界に文字が浮かぶ。

『参・昇曲導付八重芯変化菊のぼりきょくどうつきやえしんへんかぎく――了』

 喉奥に香ったラムネの甘酸っぱい余韻に浸る間もなく、リリイの鋭い声が飛ぶ。

「ジェット、急いで。気付かれた」

 ヘッドホンの声は緊迫感を帯びている。今日は早かったな。小学校の方角からこちらへ、サイレンの音が響く。煙の向こうに赤い光も瞬いている。

 だがな、俺の方が速いぜ。

「任せとけ!」

 避雷針の脇を駆け抜け、フェンスの向こうへと躊躇なく身を投げ出す。七階だか八階だか知らないが、こんな高さじゃ俺は死なない。

 四階あたりで短くシューズのエンジンを吹かし、見えない床を蹴るようにくるくると宙を回転する。電柱に着地すると、休まずビルの屋根へと飛んだ。

 眩い夜景が近付き、少しずつラストの駅前が迫っていることを意識する。暗視ゴーグルは自動で暗闇レベルを引き下げた。毎度の事ながら助かるぜ。俺には都会の明かりは眩し過ぎる。

 ビルの箱看板の下をスライディングで潜り抜け、その先に隠された装置のスイッチを入れる。

 もくもくと煙を上げて空へ昇った花火玉が、最高到達点で炸裂した。

『肆・昇竜紅輝光芯引先光露のぼりりゅうべにきこうしんひきさきこうろ――了』

 紅蓮の花が、光を絢爛に散らしながら空に広がる。街中よろしく人通りが増えてきて、足元の通行人から大きな歓声が上がった。

 残すところあとひとつ。俺は最終ポイントへ急いだ。ラムネの粒がほろりと崩れる。こちらもそろそろ終演フィナーレだ。

 ビルの屋根から看板へ飛び――その最中、遥か下の群衆に混じる警官が俺を指差すのが目に入った。威嚇射撃のゴム弾が、俺を捉えられずあらぬ方向に飛んでいく。

「止まれえ!! 今すぐこのおかしな見世物を止めて投降しろクソガキ!!」

「誰が止まるかよ! バーカ!!」

 俺は狂気的な笑みを残して飛び去っていく。警察にとっちゃ俺はさっさと捕まえたい大悪人。ウスノロめ、捕まえられるもんなら捕まえてみろ。

 建物の屋上を伝い、ビジネスホテルのネオンを蹴って街の中心部・駅前の夜空へ飛び上がった。突然始まった花火を見上げる群衆の視線を浴び、最高点に達した瞬間。

「いっけえええええ!!」

 俺は担いでいた火筒を天高く構え――本日最後の花火を打ち上げた。火花を散らしながら煙は空へと上り、今日一番の大輪を咲かせた。幾千もの光が枝垂れ桜のように、尾を引いて夜空を彩る。

『伍・昇小花付芯入錦冠菊のぼりこばなつきしんいりにしきかむろぎく――了』

しまい

 視界の文字が点滅し、残弾数と残り時間がゼロの表示になった。

 俺は花火に沸く群衆をすり抜け、ビルの合間を縫うように走り、追跡を撒く。花火の煙が散る頃、警察車両が駅前に集まっていた。

「ギリギリだったね。お疲れさま」

「あんなトロい奴らに捕まって堪るかよ」

 笑いながら、リリイの示す退避の道順を走り抜ける。

 やがて、人気のない小高い丘にある公園に辿り着き、俺は滑り台の頂上に腰を下ろした。先程の音と光を追想し、完全に溶けたラムネと共に余韻に浸る。

「はー、今日も飛んだ走った」

「反応も良い感じね」

 ヘッドホンの声通り、ゴーグルの視界には点数とSNSの反応が表示される。この点数はリリイによってリアルタイムでエゴサーチにかけられ、ヒットした件数とポジティブな意見の度合いを数値化し、計算したものだ。

 スコア一五八〇。最近の平均が一二〇〇前後だったから、反応は上々だ。SNSから抜粋されたコメントも送られてくる。

『リアタイで見れた! 花火きれー』『花火の音聞くと夏来たわって感じする』『何気にリアル花火初めて見たわ』

 コメントのひとつひとつを確認し、心地良い疲労感に包まれる。

「はは、日本人はやっぱ花火だよな」

「私も最後の、あのシュワ〜シャラ〜ってなって柳みたいに落ちていくやつが好き」

冠菊かむろぎくだろ。お前結構な回数一緒に花火上げてるけど、全然名前覚えねえよな……」

 呆れる俺の言葉に、むう、と唸るリリイ。

「全部綺麗だからそれで良いじゃない。大体、細かすぎて素人じゃ見分けられないわよ。代々花火師のジェットと一緒にしないで」

 はいはい、とあしらい、ゴーグルのスイッチを切る。視界が再び暗闇に戻った。

「じゃ、今日はこれで」

「おう」

 素っ気ないリリイの声を最後に、ヘッドホンの通信が切れた。いつもこんな調子だ。

 娯楽を忘れた人々のため、街空飛行パルクールで夜を駆ける神出鬼没のゲリラ花火師・ジェットの正体は、俺とリリイだけの秘密だ。

 俺達はお互いに顔も本名も年齢も知らない。ネット上で偶然知り合い、こうして不定期で花火を上げる仲だ。だがそれぐらいの距離感で良い。警察の目を盗んで花火を上げられれば細かい事は気にならなかった。

 ひとつ伸びをした俺は滑り台を滑り降り、火筒を担ぎ直して帰路についた。 

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