番外編:ティナの日常.前編

朝日が登る前のまだ薄暗い時間に、私は目が覚める。


起きたらまずはじめに行うのはストレッチだ。

まだ完全には意識は覚醒していないので、朧気な動作だが、体の節々を伸ばしていくうちに、段々と一つ一つの動きにキレが出てくる。


「ん〜〜〜っ。……ふぃー」


最後に背伸びをして、軽く息をつく。

念入りに時間をかけて行ったストレッチが終わる頃には、窓の外の世界に明るさが戻り始める。


その後は、領内をランニングだ。

寝間着としていたゆったりしたネグリジェを脱ぎ、丁寧に畳んでベッドの上へと放置する。因みに、私がランニングに出かけた後、専属メイドでありこの家のメイド長であるティーゼが勝手に回収してくれる。


完全な下着姿で部屋の中を少し歩き、ランニング用の動きやすい服をタンスから取り出す。


……着替えの所要時間はなんと驚き十秒。


一切の迷いのない手慣れた動作で着替えると、そのタンスの上に置いてあった簡素な髪留めを手に取り、長い髪を上の方で一つにまとめ上げる。

そしてトテトテと姿見の前に立ち、クルッとターン。ポニーテールとして纏められた髪は、星の単純な物理法則である遠心力に従い、フワリとほんの少し浮き上がる。


「これでよしっ」


ただランニングに行くだけだが、仮にも侯爵家の娘。もう既に領内では「侯爵家の次女は朝早くにランニングをするほどの活発な子」という認識が広まっているが、それでも些細なことに気をつけることは別に悪いことではない。


格好に満足すると、静かな動作で部屋を出る。

そしてそのまま屋敷の扉も潜ろうとしたところで、


「お待ち下さい、ティナ様」


後ろから声が聞こえてきた。

愛称に様付けはなんだか可笑しいが、それはメイド服を身に纏い、尚且彼女の専属メイドであるティーゼだから許されていることである。


余談だが、ティーゼはお嬢様ティナから最大限信頼されていることに愉悦を感じているのだとかいないとか。

そんなティーゼは、ティナとの距離を詰めるため、駆け足で近づくと無言で一枚の濡れタオルを手渡してくる。


「ありがと」


ティナも、一言の感謝だけを告げてそのタオルを受け取る。

そしてそのタオルを顔に押し付ける。


「あぁ〜気持ちいいぃ。目が覚める〜」


しかも、そのタオルはただの濡れタオルではなく、冷水に浸らせたタオル。つまりキンッキンである。

夏場は思わず体の芯から冷えるほどに冷たく、冬場はただでさえ寒いのに、追い打ちをするような冷たさ。まだちょっとだけ瞼が思いなぁ、なんて思いを瞬く間に吹き飛ばすほどの威力を、そのタオルは持っていた。


「それでは、行ってらっしゃいませ」

「行ってきまっす!」


斜め四十五度の綺麗なお辞儀に、私の体温で少しぬるくなったタオルと元気な挨拶で返す。


外に出た瞬間、少し寒い空気が露出した腕や足を撫でる。思わずブルリと体が震えたが、構わず足を前に進める。

最初は少しだけ小走りで。そして段々とスピードを上げていく。


周りの景色が流れていく。

それと同時に息も荒くなっていくが、規則正しい呼吸は決して乱さない。

領内を適当に十キロほど走ったのち、クールダウンの意味も込めてまだ再度小走りで帰宅する。


そして流れた汗をシャワーで洗い流す。

これが私の朝のルーティンだ



















その後は、朝ごはんの時間まで自分の部屋で待機。


だがしかーし!!


実はこの間にも私にはとある「やること」が存在する。もう既に習慣となっているそれは誰もいない私の部屋の中で行われるのだ。


それこそが……


「“幻影魔法:幻影開花ファントム・ゲイズ”っ!」


朝の魔法発動だ。


「……むむむ、まだ発動しない。師匠から詳しい仕組みと理論は教えてもらったんだけどな〜」


魔法書片手に頭をポリポリとかきながら考える。


ちなみに私はシークのことを師匠と呼んでいる。本人の前だとなんだか年もそれほど離れていないのに『師匠』呼びはなんだか恥ずかしいので控えているが、これでもあの人のことは尊敬しているのだ。


「取り敢えずもう一回!今度は詠唱も交えて……」


そうしてブツブツと詠唱を開始する。

本来なら魔法書を使用した魔法に詠唱は必要ないのだが、試してみないことには分からない。

そんなポジティブ精神で毎日何回かこの魔法に挑んでいるのだが……


「“幻影魔法:幻影開花ファントム・ゲイズ”!」


魔法書の魔法陣に魔力が流れ出ていくだけでなんの変化も起きない。


本来のこの『幻影開花ファントム・ゲイズ』という魔法は、発動した瞬間黒い靄みたいなのが周りに急速に広がりだし、その靄の中にいる生命体にどんな例外もなく使用者の意のままに幻を見せることが可能となる魔法なのだが……


「…………はぁ〜……。やっぱ今回もダメかぁ。というか師匠から毎日朝にこの魔法を成功しなくてもいいから決まった数だけ発動させろ、っていうのはなんなんだろ」


魔法についての知識が皆無な私にとってこの行為が一体どんなことに繋がるのかは理解できないがそれでも師匠からやれと言われたのだからやるしかない。魔法の才がない私にはこの地道な行いが一番の近道なのだ。


「よしっ!あと五回やるぞ!」


それに、師匠に魔法を教えてもらってからは明らかに魔法そのものの成功率が上昇しているのだ。


以前までは、いきあたりばったりで、それこそ先の見えない暗闇の中を彷徨っているような状態だったが、そんななんの進展もしていなかったそこに、師匠は光を当てて、私の魔法の先を照らしてくれた。


普段はいつも怠がってあんまり多いことは教えてくれないが、私を先に導いてくれたことには変わりない。


……それだけでも尊敬に値する。



















魔法のノルマが終わって暫く読書やら夏季休暇中の課題の再確認等を行っていると、丁度いい時間にメイドの一人が朝食の時間を知らせる。


そして朝の七時頃、父さんも母さんも、ティアも揃った一家団欒の朝食の時間が始まる。

その時間は家族全員が集まって雑談できる貴重な時間だ。ここに姉さんがいないのは残念だが、来年私が貴族学院を卒業する頃には姉さんの他国留学も終わっている。


その頃には本当の意味での全員での食事が可能になるはずだ。


そしてその後は待望の、


「さ、今日も今日とて何日目か分からない魔法の授業を始めんぞー」


魔法のお時間だ!


心の中の自分が、「今日は何をやるんだろうな」とルンルンさせていると、突然師匠がこちらに訝しげな視線を向けてきたかと思ったら、


「う〜〜〜ん」


と唸り声を上げながら、適当な椅子に腰掛けていた私の肩に手を乗せる。


「まだ魔力量が増えんのかよ……」


そこそこ近い距離だったにも関わらず、そのボソリと呟いた言葉は聞き取れなかった。


「どうしたの?シーク」


素直にその内容が気になったので、肩に置かれた手を一瞥したのち視線だけを立ったままのシークの視線と合わせる。


「いや、……増やしすぎたかなって思っただけだ。まーまー、とーりーあーえーず、これ」


そう言って懐から取り出したのは、まだ私の見たことのない魔法書だった。

所々が金で装飾され、赤みを帯びた茶色の見たことのない生き物の皮であしらわれたそれは、最早本の枠組みで呼べるような代物ではなかった。


思わず、

自然とその魔法書に手が伸びてしまった。


「(欲しい……)」

「あー……キラッキラに目輝かせてるとこ悪いが流石にこれはやれねぇな」


まるで図星のその発言に、軽く心臓が飛び跳ねてしまう。


「わ、分かってるよそれくらい」


その本心がバレバレであろう発言に、クスリと師匠は微笑むと、目的のページを見つけるためにペラペラといつものように、一枚ずつ紙をめくる。そして見つけると、とあるページをこちらに開いて見せた。


「……??……これどんな魔法なの?」

「ハッ……確かに、初めてみたらそんな反応するわな」


そして今度は意地の悪い笑みを二マーっと浮かべる。


その表情に、自分の顔がしかめっ面になっていくのを感じるが今はそんなことよりも……。

私の目はこの摩訶不思議な魔法陣に向いていた。


だって……それは……


「これ……魔法陣なの?」


それを見て思わず頭を抱えた。


子供が黒のクレヨンを使って落書きをしたようなデザインだったからだ。

知性の一切も感じられないそれは、如何にも高級な魔法書に描かれえいるものとのイメージの齟齬がすごすぎてなんだか頭がおかしくなる。


「ハハッ、確かにそう思うよなぁ」


師匠曰く、この魔法は土魔法の一種なのだそうで、とある研究者が効率化ととある目的のためだけに追求しすぎたせいで、使用する文字や図形は曲がりに曲がりまくったり、空いた空間へと押し込みすぎた結果故の末路なのだそうだ。


しかし、彼が言うにこんなものが見方を変えれば魔法陣の究極形なのだから、魔法とはまだ私には到底理解の及ばないものだということを実感した。


その後はそれに魔力を込めたが、案の定というべきかやはり魔法は発動しなかった。

そのことについて愚痴をこぼしていると、


「この魔法が発動できたらそりゃお前は稀代のヘンタイだ」


……本当に一体どんな魔法なのだろう。


そう思わずにはいられなかった。





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