第21話:初めての授業.後編
生きることにおいて最も重要な要素は何か。
そう聞かれたら俺は真っ先に「姑息さ」と断言するだろう。世の中には「正直者が馬鹿を見る」という言葉があるように、どれだけ正直に生きていてもこの世の中はそうしていると不利になるようにしかできていない。
俺が……いや、俺たちがなんの犠牲も払わずにそのことを知れたのは幸運だったとしか言いようがない。
あの時は偶然でしかなかったが、一歩間違えれば全てを失っていた可能性だってあるのだ。
そして人間はそれを知った後に、様々な種類の人間へと変化する。
ある人間は、それでも尚馬鹿正直に真っ直ぐ生きている。
ある人間は、正しい生き方を知って、それに従って上手く生きている。
ある人間は、誰も間違えさせないように生きている。
ある人間は、自分の正しさを信じて生きている。
……ある人間は―――
『姑息に、そして怠惰に……楽で絶対に間違わない生き方を俺はお前に教えてやる。……ただし、決して正しくない生き方だ。お前がこの生き方を選ぶかはこの勝負を見届けてから考えろ』
そう言葉を言い残して、俺は精神魔法を切った。
左手の親指と中指で指を鳴らし、パチン!という乾いた音が魔力で満ちたこの空間に鳴る。
その瞬間、俺を幻影たらしめていた魔法は消失する。
「……何のつもりだ」
それを見て、精霊魔法を使用する直前まで迫っていたエルフの詠唱も停止する。
それを見て、俺は会話の余地ありと判断して会話を開始する。
ただし、それは決してボールを投げて投げ返すようなものではない。一方的にボールを全力で投げる一方通行だ。
「……つまらない」
「は……?」
俺の一言に呆けたような声を出す。
「だ〜か〜らぁ、つまらないって言ったの!聞こえなかった!?……剣聖の弟子のくせして全くもって強くないエルフさん?」
その瞬間、そのエルフは俺との距離を一瞬で詰め、俺の喉元に剣を突き立てる。……が、その剣は俺の首の直前で俺に動きを停止される。
それを見たエルフは、突きはダメと判断してか一度姿を消し、今度は後ろから首裏へと鋭い横薙ぎが繰り出されるが、今度はその剣は大きな金属音とともに弾かれる。
「はぁ〜〜〜。二度も不意をついたのにそれでも俺を仕留められないとは……、剣聖の弟子の名が廃るってもんじゃないの??」
歪んだ笑顔で告げた俺の一言一言に反応し、その度に表情がただの憤りから明確な怒りのものへとシフトしていく。
彼女は今、自分を馬鹿にされたことについての怒りで頭が満ちているだろう。特に、「つまらない」「強くない」……その言葉が喉に引っかかった魚の小骨のように存在している。
そこに、俺は爆弾を投下する。
「まっ、あの程度の剣聖の実力じゃあ弟子の実力もこんなもんだよなぁ」
「……なっ!」
攻撃の手が止まる。
「どういうことだ!!なぜそこで師匠の名前が出てくる!」
怒りが、焦りへと変化する。
ある一つの可能性の提示。
俺が彼女にしたのはそれだ。
「さぁあ?どうなんだろうねぇ??」
挑発するような言葉を使う。
そしてそれにまんまと引っかかったエルフは、
「答えろ!!」
半ば叫ぶように言いながら真正面から突っ込んできた。
真正面からの攻撃なんて簡単に攻撃は防げるし、もしこれが実践だったら避けるなんて隙を晒すなんて真似は絶対にしない。
だが、
「よっと」
俺は魔法すら使わずに、剣をただ振っただけの単調な攻撃を後ろに飛び退るという形で避けた。
すると、ポケットに入れてあった拾い物が偶然落ちる。
コンクリートの足場に落ちたそれは、決して聞こえないほどの音を出して存在を主張した。
エルフの視線は反射的にソレへと注がれる。
「…………、……っ!!」
すると、エルフは目に見えて動揺し始めた。
暫く目を見張ってソレを見続けたエルフに、俺は追い打ちをかけるように用意していたセリフを吐く。
「ん?……ああ!その髪飾りか!そりゃあ気になるよなぁ!?なんせ師匠の娘の物なんだからなぁ!剣聖をやる時につい見られちまったからついでにやっちまったが、今回のそれは戦利品だ。見ろ?戦闘で少し形は崩れちまったが中々良い値で売れそうだろう?」
その言葉で、エルフの心は折れた。
力なく、フラフラとした足取りでその髪飾りへと近寄って行き、
「う、うわぁぁぁあああああああああああああああ……っ!!!」
その小さな欠片を胸に抱きしめ、大きな声で叫び、泣いた。
彼女の胸に後悔が渦巻く。大事な時に大切な人を守れなかった自分への後悔……。
ここから更に追い打ちをかけようと、声を出そうとしたその時、
「流石にやりすぎだよ、シーク」
彼女にとって、もう会えないと思っていた聴き馴染みのある声がこの場を木霊する。
エルフはその声の主を追うようにしてガバっと顔を上げた。
「ティ、ティナリウム……様?」
枯れた声が、彼女の名を呼ぶ。
「なにさ、まるで亡霊が目の前に現れたような顔をして。正真正銘、私は生きたティナリウム=エルヴァレインだよ」
死んだと思った愛する人は、生きてエルフの前へと姿を現した。
普段となんら変わりのない笑顔を浮かべているティナに、彼女は勢いよく駆け出して抱きしめた。
「え、演技だったんですかっ!?」
ティナの詳しい説明を聞いたフィオナスさんから女性特有のソプラノの叫び声があがる。
「ごめんね。最近父さんから少しばかり懲らしめてほしいって言われちゃって」
「そ、そうですか。…………少し」
あれ?どうしてそんな訝しげな視線が俺の方に向くんだよ。
少しだけだろ?少し。
「…………」
「…………」
結局、俺はそういった類の視線に晒されるのが慣れていないせいか、素直に吐くことにした。
「……確かにこの演劇を企画立案したのは確かに俺だ。だが懲らしめることにゴーサインを出したのは紛れもなくティナだぜ?」
認める。確かにかなり悪質であったことは認めるし、途中から少しだけ調子に乗っていたのも事実。それは言い訳もせずに、俺が悪かったと言おう。
……だが見えづらい真実のせいで、俺が全面的に悪いと言われるのは少し癪なので、ティナも巻き込むことにする。
「ちょっと!人のせいにしないでよ!」
「いんやぁ?別に人のせいにしてる訳じゃねぇよ?確かに今回のことについて俺は九十パーセントくらいは悪かった。殆ど俺が悪かった。……でも残りの十パーセントはティナにも少しだけ責任があるんじゃ、とも思っただけだけど〜」
「そ、その言い方は狡いでしょ!」
ぐぬぬ、と言った様子で歯ぎしりをする。
そうして出てきた姑息な大人に対しての言葉は……
「大人は狡い!」
「ハッハッハ!お前も狡い大人になるか?」
「そんなのなるわけ―――」
言いかけたティナは、俺の目を見て言い淀んだ。
……口では笑って見せたが、俺の目は恐らく全然笑っていないだろう。当然だ。だって俺がそうしてるんだもの。
「今回の授業のまとめだ」
ティナの表情が強張る。
「今日は、魔法とか物理的な云々の話じゃなくて……もっとこう……精神的に大人に成るための話だ。……いや、こんな回りくどい言い方はやめるか。率直に聞こう。お前はこれから先、姑息な手に染める覚悟はあるか?」
「……なんでそうしなきゃいけないの?」
俺はその言葉を首を横に振って否定する。
「別にそうしなければいけないってことでは全然ない。寧ろ俺はこんな相手の心を傷つけてまで生きるような方法はあまり推奨しない派だ」
だが、と言って今度はフィオナスの方へと目線を移す。
「必要に迫られた時に、躊躇いなくできるかできないかの話だ。その結果、相手はとても傷つく。例えそれが彼女の未来のためにやったとしても……例えその未来がハッピーエンドになるとは不確定でも」
「……っ」
言葉は、でない。
フィオナスさんからも視線を外し、暫く俺は空を見上げる。
ティナは普段は自分勝手だとか我儘だとか自分から言っておきながら、その実、いつも周りに気を配っている。
彼女は根本的に優しいのだろう。
……だからこんなことで悩んでしまう。
普通なら幸せな未来が待っている可能性があるならば、今を犠牲にすることは誰も厭わないはずだ。そしてその通りにならなかったら「仕方がない」で終わる。
だが、彼女はそんな当たり前を絶対に望まない人種だ。
誰も彼も、不幸になることなんて許さない。そう言わんばかりに目の前のことを愚直に解決してゆく。恐らく、そんな生き方をしてきたはずだ。
『お前の助けなんかいらない』
そう言葉をぶつけられても、自分勝手に闇の中から手を引っ張る。
限られた選択肢しかないのなら、選択肢を増やす。
決まった未来しか起きないのなら、当たり前のように未来を変えようと画策する。
きっと、この方法で彼女は何人もの人間を救ってきたのであろう。
……不確定の未来なら、確定した幸せな未来を―――
次にティナに視線を合わせた時には、もうその目に一切の迷いはなかった。
「それでも……それでも!私は愚直に生きる。例え今の世界が狡い奴しか生きられないような世界なら……私が世界を変える……!嘘をつかないと幸せにならない未来なら……その未来を私が絶対にハッピーエンドになるように作り上げる!!」
カラッとした空気が一瞬だけ彼女を後ろから押す。
まるで……世界がティナの宣言に賛同するかのように……。
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