第16話:自業自得

その瞬間、高らかな笑いがこの場に鳴り響く。

その声の主は地面に伏せている俺でもなく、何が起きたかもよく分かっていない幼女でもない。


淑女の仮面をかなぐり捨てたエルヴァレイン家当主の妻である。

腹を抱えて一頻り笑ったカンナは、


「あー、面白い。……それで……貴方バカ?」

「……否定はできない」


一刻もカンナからの確実な言葉がほしいと、焦りのあまりこんなことになるのだから俺に否定する権利はない。今この場にもう一人の俺が存在していたならば、言葉巧みに詰り倒すだろう。


だが、起こしてしまったことをなしにすることはできない。

ゆっくりと立ち上がり、カンナの座っている豪華な椅子の後ろに隠れている件の幼女に視線を移す。


「それでもう一度聞くけど……お前の名前は?」

「…………」


う〜ん、無口。カンナの後ろに隠れてることから見ても、この子そういう性格の子だな?

だが、名前を聞かないといちいち呼ぶにも「幼女」か「お前」とかになりそうで、流石に小さな子にそんな呼び方をするほど俺は子供嫌いでもない。


しかし、勿論幾ら待っても話してはくれないので、カンナの方を見ると、


「『ディアフィオナ』っていうの。ディアって呼んであげて」


と、聞く前に答えてくれた。

そしてもう一度ディアの方に視線を向けて……


「あんな母と姉を持っているにも関わらずこんな子が育つのは一体どういう仕組が存在しているのかねぇ」

「あんなって何よ」

「そんなだよ」


微妙にぶっきらぼうで自己中心的。そして猫かぶり。


「ほんとにあんたら母娘姉妹は似てるな…………と言いたいところなんだけど」

「…………」


もう一度その子の方を見てみるが、何一つ喋る気がしない。しかし、話す気がなさそうなだけで、怯えられているという感じではないのはまだ幸いか。この子にとって俺の第一印象は、唐突に叫びだすそこそこヤバいヤツ、なのだろうが……逆にこう考えたらよく怪訝な視線を向けられないものだ。


「…………」

「…………」


暫く目を合わせ続ける。

髪色は姉や母と同じ綺麗なプラチナブロンドで、髪は姉よりも少し短めで、肩に髪先が届くくらい。だが、ディアには他とは違う大きな違いがあった。


それが、深く沈み込んでしまいそうな深緑の瞳。


俺はこの眼を以前

だが、今現在そのことは特に大切ではないし、どうせカンナは気づいている。


だから取り敢えず今は確認しなきゃいけないことは……。


「……お前の姉ちゃんと初めて会った時さ、なんだか異常に口が悪かったんだぜ。演技にしても酷いよなぁ」

「?」


なんて向こうにとっちゃあどうでもいいことを話題に出してみると、ディアは小さく首を傾げてみせた。


あ、ちゃんと反応はするみたいだ。会話のキャッチボールは無理でも聞き入れては貰えそう。

それならば、と思い俺は腰に提げてあった魔法書専用の次元ポケット(アインベルト特製)からとある魔法書を取り出して、パラパラとページを捲る。


凄い魔法を見せて俺の失言を忘れてもらおう大作戦。……作戦名に異論は認めない。


「……ちょっと、なんの魔法を使おうとしてんの」

「大丈夫、そんな子供の前で危ない魔法使うわけないから」


カンナの疑惑が混じった声に反応しながらも、俺は目的の魔法陣を探すために一枚ずつページを捲っていく。


「…………見つけた。……いや思ったよりも難しいな、これ。……そうかこれ花の造形を決めるためにこんなに魔法陣が複雑に……。でもそれなら元を氷にする必要は……違う……氷だからこそこんな細かい再現が可能なのか。……だからって俺の作った機構であんなぶっ飛んだ魔法にする必要はないだろ」


目的の魔法陣を見つけると、ひとりでにぶつくさと呟き始めた。


傍から見たらこれまたヤバいやつ認定確実な光景なのは自覚しているが、じゃあ大きな声でこの内容を言葉にしても、それのほうがイカレた奴だと俺は思う。


という言い訳を展開しながら少しの時間魔法書の魔法陣を見つめていると、


「あ、ちょっと……!」


というカンナの焦りの声とともに、ズボンの裾が引っ張られるような感覚がした。

一瞬、何が来たのかと思い、その方向に目を向けてみると、


ディアが、じっ……と見つめながらこちらを見上げていた。


「どうした?」


そう問いても返事はやっぱり返ってこない。

仕方がないので、己の力でその視線の究明をしていると、ふとその視線が俺の手元にある魔法書に向けられていることが分かった。


試しに両手で持っていた魔法書を空中で泳がせてみる。

すると見事にその眼は魔法書の軌道を辿ってみせた。


「…………ヴェンスさんの苦労虚しく、姉妹揃って魔法に興味津々なようですよ奥さん」

「…………」


その光景を見たカンナも思わず黙り込んでしまう。


「言っておくが俺のせいじゃねぇぞ。この子の自主性によるもの―――」


と謎の言い訳をしてると、ディアが「無視すんな」と言わんばかりに強めにズボンの裾を引っ張ってくる。


「悪い悪い」


苦笑いしながらそう言うと、相も変わらず無表情のまま俺を長椅子の方まで引っ張り始めた。

そして俺を長椅子の真ん中あたりに座らせると……


ひょいっと俺の膝の上に乗ってきた。


「うおっ」

「えっ!?」


突然の行動に思わず驚きの声―――カンナの方がその驚きは大きい―――が漏れる。


「いつの間にかこんな懐かれたのか……。しかしどうして初対面の子がこんな―――」


と声に出した時に、気づく。


俺の手には魔法書が握られている、ということを。


「(前言撤回。やっぱ姉妹はめちゃめちゃ似てる)」


こんな性格の子だからあんな自己中にはならないと思うが、それでも不安は拭えない。

相手の心を想いやれる優しい子に育ってくれることを願うばかりである。


「まぁいいや。それじゃあこれから魔法使うから見てろよ」


そう言って、ディアの前で改めて例の魔法のページを開く。


そして、


「コホン。……『巡り巡る万象 潰えぬ魔の錚々たる力よ 造りし氷の花 今こそこの場に魔の力を纏いて主の命を守護せよ “氷魔法:氷華”』」


小さく淡い光を放っていた魔法書、というか魔法陣は詠唱の終わりとともに静かに消え去り、その場に残ったのは氷の小さな華だけ。


「今回は短縮なしの豪華バージョンだ。俺の詠唱を聞けるなんて中々レアだぜ」


そう言って、魔法によって創られた花をディアに手渡す。


「……冷たい」


初めて聞いたディアの声はプレゼントの感想によるもの。

花を貰った感想としては少し変なものの、プレゼントで声が聞けたなら、この子の中の俺に対する好感度も少しばかりは上がったんじゃなかろうか。

ディアの声を聞けて満足していると、唐突に本来の目的を思い出した。


「…………それじゃ、俺はこれから領内でもブラブラしてるから。じゃあね〜」


膝に乗っていたディアを静かに横に下ろして、さっさとこの部屋から退出する。

ドアノブに手をかけて、領内で食べ歩きでもしようかな、なんて考えていたその時……!


「じゃあね…………賢者のお兄ちゃん」


ボソリと呟くように出た声にぐるりとUターン。

そしてディアから離れた時の倍のスピードで近づき……


「俺が賢者だってことはお母さん以外に秘密。勿論お父さんにもお姉ちゃんにも……分かった?」


「……?…………分かった」


目線を合わせて真剣にお願いをした。

そして今度はゆっくりとお茶を飲んでいたカンナの方に体を向けて、


「……お願いしますよ……!?」

「勿論よ」


ティーカップを置いて、ヒラヒラと手を振ってみせる。

なんだか地味に信用できないが、こればかりは信じるしかない。


これも全て俺のせい。

正に自業自得、というやつだ。





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