第3話:五色の賢者

ジダはその言葉の意味が分からなかったのか、目を点にして首を傾げていた。

その様子に思わず、といった感じで微笑む。


「ふふっ、たしかに突然のことで分からなかったわよね。……ちょっとこっち覗いてごらん」


という風に手招きするので、クレアの指し示した先程俺らが入ろうとしていた空き教室を覗いてみることに。すると……


「(あら……)」


なんとウェルナルドとアンナが対面していた。それもまるでこれから何かが起きそうな雰囲気を漂わせている。それこそ甘い甘い雰囲気が。


「“精神魔法:以心伝心”」


と目の前の光景に見入っていると、不意にクレアが呪文を唱える。


『あー、あー、聞こえてる?聞こえてたら返事をしてちょうだい』

『聞こえてるよクレア』

『こっちもだ』


これは俺らの間でよく使っていた魔法。世の中ではよく『禁忌魔法』なんて言われている精神魔法の一つだが、卒業間際にもなると躊躇いも一切もない。最初の頃は一回使うだけでビクビクしていたのが懐かしい。


『あ、ほんの少しだけでいいから口元開けてくれない?“衝撃吸収”を唱えるだけのスペースが欲しい』

『分かったわ』


クレアはそれだけを言うと、ほんとにほんの少しだけ口元の草を緩めた。

充分に声を出せる程度の空間を息を吐いて確認すると、殆ど声に出さずに魔法の一節を唱える。


「“土魔法:衝撃吸収”」


そしてそれに呼応するように、俺の体から魔力が蛇のように辺りを這い始めた。

効果は読んで字の如く、あらゆる衝撃を吸収する。今回に至っては音や小さな足音による地面への衝撃の魔法による相殺を目的としている。


本来、魔法とはこのように頭に魔法陣を描いてからそれに対応する詠唱を唱えてから発動させるのが有名だし、これが魔法師の一般的な魔法の使い方だ。……だがそれは前の話だ。

二年前、この魔法の使い方に異を唱える……というか疑問を持った賢者の卵がいた。その人物こそ、現在の『水の賢者』にして『聡慧そうけいの賢者』、ウェルナルド=ダンダリオン。


……目の前でホの字になっているウェルナルドだ。


彼はこの詠唱問題については学園に入る前から考えていたよう。というかその疑問こそ、この学園に入った真の目的だと彼は語っていた。

結果的に彼の目的は『詠唱の一部破棄』ということで成されたが、未だに『完全破棄』には至っていない。それこそが彼の卒業後の新たなる目的となるだろう。


……もしかしたらそれは彼個人だけの目的ではなくなるかもしれない、というのが目の前の結果で決まるわけだ。


『……なんか話してるね』

『なんか……ってそりゃあ今のこの状況を鑑みるに互いの想いを言葉にしてんだろ』

『ちょっと二人共静かに……!心の声が聴こえちゃうでしょ……!』


勿論心の声なのだから向こうの二人には聞こえるはずもない。遠回し……でもない『静かにしろ』の合図だ。

その警告を聴き、俺ら二人は心の声を閉ざす。


『…………』

『…………』


正真正銘の無我の境地。


いつもならこんな状況下ではいつも隣にアンナがいた。そしてアンナがいたからこそ器用な風魔法によって遠くの音を翻訳してもらっていたのだが、勿論アンナは今回は向こう側。


『『『…………』』』


となると魔力で強化した耳で聞き取るしかないわけだ。

暫く時間が経つにつれて隠れる事自体が面倒くさく思えてきたその頃。



いつの間にか二人は抱きついていた。



その瞬間の俺の心のなかには長い間待ち続けたことによる結果への感動よりも『やっとか』という思いのほうが強く表れた。


不意に隣をチラリと伺うと、両手を口に当て感動している女子一名と、目をキラキラさせてジッとその様子を眺めていた女の子一名がいた。


「(これは一体いつ終わるんだ……。……いやこれ中々終わらないやつだ。面倒だし俺らが出てって展開をさっさと進ませようか。あ、でもどうせ俺らの存在を明かすなら……)」


いつの間にか“以心伝心”はクレアの方から解除していたようで、今の俺の怠惰の心を読み取れる人間は誰もいない。なので、俺のこれから行う怠惰から直結した愚行を止める人間など誰にもいないのだ。


そう決心した俺の行動は実に素早い。魔力を糸よりも細く構成してクレアやジダにバレないようにしてからちょいちょいっと空き教室の中へと潜りこませて……


「(壁の隆起。描く文字は……こうだ!)」


その瞬間、ミシリと壁が物質の隆起によってきしむ音が小さいながらも聞こえてきた。


その異変にまず初めに気がついたのは、幸せ絶頂のウェルナルドだ。

異質な音を感じて、ふとアンナの頭の上から顔の角度を少しだけ上げてみると……


“チューしろ”


という文字が視界に捉えられ……そして今度はその魔力をなぞるようしにして視線を左へ左へと動かすと、


「く、く、く…………クイナァァァ!!!」


朝の空き教室に冷静沈着なウェルナルドの怒声が響き渡るのだった。



















「アハッ、はっ、ハハハハハッ!!ヒィー!(引き笑い)……あー面白かった。こんだけ長い付き合いなのにウェルナルドのあんなに大きな声は初めて聞いたよ」


その後、俺は数分床に笑い転げた。それほどまでに面白かった……というよりもツボにはまった。

そんな俺の様子とは打って変わり、床であぐらをかいていた俺の前でウェルナルドはあからさまに悪態をつく。


「クソっ、私としたことが周囲への警戒を怠っていた」

「良いじゃねぇか。別に見られても減るもんでもねぇし。……それで?結局チューはしねぇのか?」

「するか馬鹿。……いやするとしてももっと雰囲気というものがだな……」


と、男性陣が中身のない会話を繰り広げる側で、女性陣がアンナを壁に追い込んでいた。


「ちょっといつから―――好きに―――」


という感じの内容が聞こえてくるあたり、二人の馴れ初め的なことを聞いて―――尋問して―――いるのだろう。


「……なぁ俺にもお前らの馴れ初め聞かせてくれよ。そんな感じにあるのも気づきすらしなかったぜ?」

「貴様には言う気にななれんな」

「さっきのこと怒ってんならクレアに矛先向けてくれよ。俺らはただ単に早めに来ただけの巻き込まれの被害者だぜ?」

「だがお前らもこの件をそちら側から眺めていた傍観者だ。傍観者には絶対的に罪はないと言い切るのもおかしな話だと思うが?」

「……正論ぶつけてくんなよ」


そう言われちゃあ俺もウェルナルドにやたらめったら聞く権利もない。なんせ終始眺めていただけなんだから。


と、そこまで展開が進んだところで、


「あっ、やべすっかり忘れてた」


俺が朝早くに起きてまでこの日にこんな早くに学園まで登校する本来の理由を唐突に思い出す。


「課題の提出にいかねぇと」

「む、まだ提出してなかったのか。……それもそうか。お前がこんな早くに理由もなく学園に来る訳がないか」

「その言葉は俺も受け入れるよ。あ、そうだ。ウェルナルドも色々な理論の究明に手伝ってくれただろ?別に見られても困るものでもないし……ほれ」


そう言って、俺は懐から取り出したくしゃくしゃの紙束を手渡した。


「もう少し大切に扱えなかったのか」

「ま、名誉の負傷だ」


実際にはただの俺の不手際に近いものだが。


……だが実際にあの場面を思い返してみてもあの選択が最善だった気がする。正直ジダのパンチによる副産物程度の火では俺の土は絶対に燃えない。だがあの崩れた土の瓦礫に巻き込まれずに紙全てが満足に生き残っていた保証はあるだろうか?いや、いかに二階と言えど屋根の倒壊で何枚かは使い物にならなくのなるのは必然。……だとしたら紙のシワ程度を代償にしたのは正解だった―――


「クシナ……っ!!」


と、そこまで考えていたところでウェルナルドの自分を呼ぶ声で現実へと引き戻される。


「んあ?どうしたよウェルナルド―――」

「どうしたもこうしたもない……!……貴様、とうとう完成させたのか……!?」


普段見ている者だったらありえないほどのウェルナルドの興奮っぷり。

俺はジダとは対称的なその反応に満足気に、


「ハッ、その紙見りゃあ分かるだろうよ。……時間はかかったが、遂に……だ」


ウェルナルドの驚愕の表情とは裏腹に、俺の表情は驚くほど笑みで溢れているだろう。しかし、俺はこの課題の紙を提出する際、最後の仕上げをせずに爆睡してしまったのだ。


「お前、この研究内容を学会へ提出したら私と同じくらいの成果を出せるぞ。…………だがどうせ貴様は……」

「分かってんじゃん」


たしかにこの内容は、ウェルナルドの魔法の『詠唱の一部破棄』と同じくらいの……いや、もしかするとそれよりも上のウェルナルドの目標としている『詠唱の完全破棄』と同等の力を発揮すると言っていい。


もしそうならば、俺は一つの時代の一賢者、という括りではなく後世にまで永遠に語り継がれる大賢者と言われてもおかしくない。


だがしかし、そんなもの……


「そんなもの面倒くさいに決まってんだろ」


まるでそれが当たり前と言うかのように、ハッキリと言い放った。





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