【02】
気まずい。
次に朝霞と二人で会うとき、僕はいつも以上に緊張していた。向こうは相変わらず平然とした様子で、淡々と仕事の話をした。とはいえ、仕事の内容だって、書いているものが際どい作品なのだから、つい言葉を選んでしまう。そうすると迂遠な言い回ししか出来ず、互いに齟齬があり、結局僕らは、人の少ない喫茶店や出版社の打ち合わせのブースで、なるべく小声で、露骨な言葉を用いて会話をした。
「こんなことされて嬉しいものですか」
性描写の、とある行為について、朝霞は付箋のついた原稿を見ながら眉をひそめた。
「僕は嬉しいですけど」
「………………なるほど」
「駄目ですかね」
勿論、実際の行為として僕がされて嬉しいのではない。それを朝霞に説明するまでもなく、彼はわかってくれた。奇抜な行為を通して、互いの気持ちが通ずるその場面の修正を、僕は一字たりともしたくはなかった。
朝霞はそもそも、否定しなかった。
「いえ。独特なやり口で、いいと思います」
どうせ向こうだって、売れればそれでいいのだ。
斬新な性行為が読者に喜ばれるかというとそうでもなく、BLとは、ある程度決められたテンプレートのようなものがあり、それに沿うことで読者を安心させつつ、物語の結末まで導くのが定石とされている。少し不安もあったが、結局その作品は、いつものように大ヒットはしなかったものの、それなりに売れたので、僕は安心した。
朝霞は電話やメールで済ませずに、僕と直接会うのを好んだ。
「やはり顔を見てお話をしないと、きちんと伝わりませんから」
朝霞は他にも担当の作家を抱えており、ある日、それがアニメ化されることになったのだと喜んだ。小説が漫画化されることはたまにあるが、アニメにまでなるのは、相当人気の証拠である。珍しくハイテンションな朝霞を見て、調子を合わせつつ、僕は初めて、この人といるときは、無駄に愛想笑いや余計な相槌をせずに、気楽な自分でいられたことに気付いた。朝霞と知り合ってから、半年以上が経っていた。
彼は一通り話をして喜んでから、スンといつもの表情に戻った。
「すみません。余計なプレッシャーを与えてしまいましたかね」
「いえ。僕も売れるように頑張ります」
その頃、売れるのはたいてい、一方的に愛されて困ります(困ってないけど)みたいな内容ばかりで、僕の書く、相互的に愛し合う作品は、たいがいのジャンルに飽きたコアなBL好きだけに評価されていた。人気の傾向を、僕はいつも書けない。真似して書こうと試みても、僕自身が男だから、どうしてもひたすら受動的ではいられない。女性が読むものだからといって、とうしてこうも変質的に、一方的に求愛される作品ばかりが、もてはやされるのだろうか。現実的にはないからこそ、求められるのだろうか。
僕は好きな人には触りたいと思う。大学時代、なんとも思ってなかった女性に好かれ、それを戸惑いつつも受け入れる経験をしたことのある僕は、男性だからとしてではない、恋人として、やはりその人には精神的にも肉体的にも近づきたいという欲求はあった。向こうだって当然、積極性はあった。結局、こちらが本気で愛せなくて別れたけれど、世の中に、常になんでもかんでもひたすら受け身な人なんて、実際いるとは思えない。
好きな人には好かれたい。話したい。触りたい。認めてほしい。だから動く。愛される側だって、漫然と受け身ではいられない。
僕はそんな話ばかり書いている。朝霞にも、売れる傾向とは違う僕の作品について、プロットの段階から熱弁する。
愛とは一方的なものではなく、相互的なものだから。
それを理解してほしくて散々語ったあと、アイスコーヒーを飲むと、そんな僕に対して朝霞は言った。
「なんだか、私が口説かれているような気分になってきました」
愛を語った僕へのからかいに対して、小説ならば「や……めてください。からかうのは」と書くだろう。長年、書き続けてきた僕の脳内は、そうやってすぐに活字化するようになっている。
小説と現実は違う。
僕は朝霞にうろたえることなく言葉を返す。
「口説いてますよ」
いや、それも嘘だ。
「じゃあ、僕も口説いてるような気分になってきました」
わざと素っ気ない口調でそう返し、アイスコーヒーのストローに口をつけたのが事実だった。
「朝霞さんが納得しないものは、売れないでしょうから」
「ええ。売れるものを作りましょう」
「はい」
「本当に愛していたら、タチとネコはあっても、受と攻はないですよ」
「ゲイとBLはまったくの別物ですが、言わんとしていることはわかります。多能さんは、一方的な受より相互的なものが好きなんですね」
「好きというか、それしか書けないです」
あなたは優しい人だから、と朝霞は独り言のように呟いて、コーヒーカップに口をつける。優しい、ではなく、易しいだったのかもしれない。簡単に唇を許してしまったし。
僕と朝霞は一度だけ、キスをしたことがある。
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