【04】
その報せを聞いたのは、僕が大学で講義を受けているときだった。タクシーで病院まで向かうと、案内されたのは霊安室だった。母は既にそこにいた。こんなにも泣き狂っている母を見たのは、初めてのことだった。
「どうして」
母はぼくの顔を見て、そう呟いた。僕宛の言葉ではない。世界に対しての文句だった。夜詩くんは自分の部屋で首を吊って死んでいたそうだ。第一発見者は自立支援のワーカーさんだった。僕はよく覚えている夜詩くんの部屋を思い浮かべる。夜詩くんはリビングのドアノブにロープをくくりつけて、座り込むようにして亡くなっていたそうだ。
そんなことは葬儀の前に知った。
気付いたら、焼き場にいた。
そんな気分になる。
記憶をたどれば、連絡を受けたときのことから、今朝のご飯まで、ちゃんと覚えている。青空の下、一時間以上を費やした。人間一人を焼き上げるまでに、こんなにも時間はかかるのかと思った。あの煙が、夜詩くんなのだろうか。それとも、他の人なのか。僕には分からない。どっちでもいい。
夜詩くんが自殺してから三ヶ月後、母は夕食のときに泣き出した。
「あの日、私が、一緒に遊んであげていれば」
僕は箸をおろして、母の話をちゃんと聞く。
「私は女の子と遊びたかった。クラスメイトとシールの交換をしたかった。弟が邪魔だった。だからあの子は一人で山に出掛けてしまった。いつものように虫を捕まえに」
「お母さんのせいじゃないよ」
僕は平凡なことを言う。どうせ、なにを言っても、今は母の苦しみには届かない。だとしても、何か反応を返すことは必要だった。
「あれは昔から、一人で大丈夫な子だったから。天才。神童。なかなかペースについていけるものじゃなかった。私は昔からあれの考えていることが、よく分からなかった」
「うん。夜詩くん、そういうとこ、あるよね」
あったよね、と過去形にしなかった僕は、ただ頷く。
「あの子が、なかなか帰ってこなくて、そして……………」
夜詩くんはこんな日を想像しただろうか。自分の姉がこんなにも悲しむことを、予想しただろうか。夜詩くんと母は仲良しべったりの姉弟ではなかった。それでも確かに家族だった。
馬鹿だなあ。夜詩くん。
死んじゃって。
僕は夜詩くんの死に顔を見た。葬式で。僕は誰にも言ってないけど、夜詩くんは死んでよかった、と思っている部分がある。あんなにも生きづらい人間が、生き続けるにはやっぱりこの世は不適切だったのだ。この世が悪かったのだ。苦しみから解放されてよかったね。もう泣いたり困ったり、痛んだり叫んだりしなくて、済むんだね。
鼻に綿を詰められて、死に化粧をほどこされた夜詩くんの顔は、穏やかだった。まるで別人だった。
夜詩くんが死んでから約一年後、僕はワードに文章を書き始める。【官能小説家はよく泣いている】という題名で、夜詩くんのことを僕のことを書き続ける。僕は税理士になりたくて数学や経済の勉強を大学でしながらも、文系の人間みたく図書館にこもって文章の書き方だったり漢字の勉強をしたりする。
僕は生き続ける。
夜詩くんの分まで、とは思わない。僕の人生は僕のものだ。ただ、この世に取り残されてしまった一人の遺族として、悲しみを背負いながら日々を過ごす。ものを食べて美味しいと感じたり、いろんな場所に旅行にでかけたり、気の合わない人間関係に悩んだり、上手くレポートが書けなくて自己嫌悪に陥ったりする。風邪を引いたり、道端でこけたり、女性に告白されたり、人に才能を認められたりする。夜詩くんが、もう二度と得ることの出来ないあらゆる感情を、感触を、感覚を、僕は感じ続けている。言葉を受け入れ、ときに人に与え、そうして生きている。
僕の人生は、僕のものだ。でも、夜詩くんへの物語だ。
いつか僕が死んで、そしてもし死後の世界なんてものがあったとして、また僕が夜詩くんに出会えたなら、僕はきっとまず夜詩くんに笑いかけるだろう。お疲れさまと、久しぶりと、声をかけて、めいっぱい抱きしめて、それから怒るだろう。死んじゃうだなんて馬鹿だなあ。生きていればあんな美味しいものも食べられたのに。楽しい映画もたくさんあったのに。清々しい朝日も美しい夕焼けも、得られたのに。
そんなもの、要らないから夜詩くんは死んだのだ。
わかってる。
わかってるけど、僕は書くのをやめられない。誰に読まれなくても。
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