愛される資格

 潤いのある長い黒髪と乳白色の肌、色鮮やかな唇やファッションから若々しさが感じられる。

 一児の母でありながら、有名ファッション誌の編集長を務める敏腕キャリアウーマン。 

 欠点という欠点が見当たらない素晴らしい女性ではあるが、プライベートで使用している一人称が『お姉さん』いうのが玉に瑕。

 息子と姉弟扱いされる度に旦那に自慢し、愉悦に浸りながら酒を飲み、息子の前でベロベロになりながら旦那にベタベタし始める。

 それが俺の母親、斎藤明希である。



「お姉さんに何があったか順番に話してごらん」


 俺は目を覆わずにはいられなかった。

 母が自分のことをお姉さんと言っているのは普段と変わりないが、学校では言ってほしくなかった。

 後ろを見ると、オドオドしている父とその父の体に釘付けになっている由依がいる。


「なぜあなたに話さないといけないのですか?」

「周囲の人間に気を配った結果ですよ。あなた達の口論がティータイムの邪魔になっているという自覚はありますか?」


 突然現れた謎の女性に二人は困惑しているようだ。

 そのおかげで口論が止まったことは助かったが、明希の登場によって話が拗れる気がする。


「私が彼に告白して、そこの方が文句を言っているだけです。あなたに関係ないですよね」

「確かに……息子の恋路に突っ込むのは野暮かもしれないわね」


 明希は日々の努力によって、自らを二十代と年齢詐欺する位には見た目が若々しい。

 そのため、明希から出てきた息子という言葉に二人が驚くのは無理もない。

 神崎さんはすぐに腕を解いて、俺から少し距離を置き、女は失礼な態度を取ったことを謝罪している。


「そうね……悠誠は一旦、けいすけ君の相手してて」


 そう言うと、明希は神崎さんを座らせて三人で話し始めた。

 席を外してということは、俺は話を聞かない方がいいだろう。

 それに相手をしないと一人になっている父が可哀想だ。


「ごめんね。明希ちゃん止まらなくて……」

「父さんは悪くないから、頭上げてよ」


 父は俺に頭を下げて謝ってきたが、今回も明希が勝手な行動をしているだけ。

 それでも、迷惑をかけてしまったとしょんぼりしている。

 斎藤さいとう圭佑けいすけは明希とは違って年相応に老けてはいるが、服の上からでも分かるほどに筋肉質な大男である。

 幼少期から強面で周りの人と馴染めなかったのが原因で人見知りとなり、それを克服するために筋トレをした結果、筋肉と自信はついたが、余計に怖がられるようになったと悲しそうに語ってくれた。

 筋トレをしていなければ母と出会っていなかったとも語っており、今でも休日は夫婦揃ってジョギングやジムに通っている。

 現在、母が暴走して目立っているが、それに負けないくらい父の巨体も目立っている。

 そのせいで周りの視線に晒されて、父はものすごく居心地が悪そうだ。

 いつもより二回りくらい小さく見える父を元気づけたかったが、ほんの数分で声がかかる。


「悠誠、来なさい」

 

 父さんを一人にするのは忍びないが、耐えてもらうしかない。

 家族ぐるみの付き合いがある由依に話し相手になってもらいたいが、学校では他人のフリをしているので無理な話だ。

 由依も圭佑と話したくてウズウズしているが、理性を保って注文を伺っている。


「簡単な話よ。あなたは桐谷さんと付き合う気はあるの?」


 これは俺が回答すれば、話が終わる流れを作ってくれたということだろう。

 母を信頼して、俺は迷うことなくはっきりした口調で言う。


「無いよ」

「理由は?」


 母は間髪入れずに尋ねてくる。

 俺の中での本当の理由を言ってもいいが、周りが共感できる理由を言ったほうが説得力があるはずだ。


「恋人を騙す人間を簡単に信じることはできない」


 まともな理由だと思う。

 これだけ注目された状態で健の名前を出したくなかったし、女が逆ギレしてくるのも防ぐとなると、この理由が一番だと思った。


「あたしは君に愛されるために頑張ったんだよ。なのに、それはひどいでしょ。一週間くらいお試しで付き合ってみようよ」


 女は『俺のために』と言ってくるが、このような同情を誘う言葉には耳を貸さない。

 その方法で健を騙したのを知っているからだ。


「何か勘違いしているようね」


 母は立ち上がると、「人生の先輩の参考にならない話かもしれないけど」と前置きして、女に話し始める。


「相手を好きになるのは勝手だけど、相手に愛されるには信用してもらわないといけないわ。あなたの場合、他人を騙して利用していた時点で悠誠の信用が無いのは当たり前よ。これは悠誠以外の男でも信用できないと答える人は多いと思うわ」


 その通りだろう。

 騙すことに躊躇しない相手だと知った時点で誠実なお付き合いはできない。

 少なからず相手が信頼できると感じられる一定のラインを越える必要があるのは間違いない。

 これは恋人関係だけでなく、人間関係全般に言えることだろう。


「愛されたいと思うなら、女としてはもちろんだけど、人として魅力的になりなさい。そして、自分を好きになってくれた人を大切にしなさい。それが幸せへの近道よ」

「……わかりました」


 女の表情は落ち着いていた。

 悔しそうでも、残念そうでも、悲しそうでもない。

 どこか他人事のように事の成り行きを傍観しているように見えた。


「ごちそうさまでした。皆さんごゆっくり」


 女は教室を出ていく。

 おそらく、健を探しに行ったのだろう。


 健の時を思い出せば、女が俺のことを好きではないことは容易に感じ取れた。

 あの女は独占欲の塊だ。

 中学生時代、彼氏だった健に男女構わず寄せつけないようにしていた。

 それにも関わらず、神崎さんが俺と腕を組んだ時でさえ、怒るどころか嫉妬すらせずに平然としていた。

 要は、あの女は初めから俺を利用しようとしていたのだろう。

 親友という餌として利用価値があると接近してきたと考えると辻褄が合う。

 厄介な相手だったが、おかげで気づかされたこともある。


 女が出ていく様を見届けると、両親はそのまま案内されていた席に戻り、俺を手招きする。


「コーヒー二つとクッキーをお願い」

「はーい」

「はーい、じゃないでしょ」


 俺の返事が気に入らなかったようだ。

 メイド喫茶に来て、雑な対応をされては興ざめだろう。

 それに、息子の執事としての対応を見に来たのだから、俺は二人の期待に応えるべきだ。


「かしこまりました。ご主人様」

「違う。そうじゃないでしょ」


 え?そうじゃないって何?

 ちゃんと頭を下げて、執事になりきったつもりだったが故に何が気に食わなかったのか見当がつかない。


「我が息子ながらこんなことも分からないなんて」


 がっかりしているようだが、俺はマニュアル通りにやった。

 これで満足しないなら、何をしろって……


「かしこまりました。美人で優しくて偉大な明希お嬢様でしょ」

「調子乗んな」


 何を言わせようとしているんだ、と明希の額に向けて軽くチョップをする。

 どう考えても、お嬢様の歳ではないだろ!とツッコみたくなるが、俺の晩ご飯が日の丸にならないためにも口にはしない。


「いった〜い!けいすけ君、悠誠が殴ってきたわ」

「明希ちゃんが悪いよ。悠誠に恥をかかせないであげて」

「ヒーロー呼びされてる時点で手遅れなのに?」

「おい!」

「いった〜い!また、殴ってきたわ」

「やめてあげてよ明希ちゃん。悠誠で遊ばないで」


 ふざけている母と俺を心配する父。

 前世では無かった家族団欒の一時。

 人前でこのような会話をすることが恥ずかしくはあるが、二人に愛されているということを噛み締め、ニヤニヤしている母にもう一度チョップをするのだった。

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