会話は笑顔で!

「あなたのことが好きです」

「言い直さなくていいから!」


 突拍子もない事を言われ、俺は戸惑っていた。

 女はそんな俺を獲物を前にした獣のような目で真っ直ぐに捉えている。

 健に対してこのような目をしていたのは覚えている。

 背筋がゾクッとする嫌な目だ。

 

「そうやって言って俺を騙す気なんだろ」

「違いますよ。本当に好きなんです」

「だから、言い直さなくていいって!」


 何が狙いなのかは分からないが、嘘だと思って対処した方がいいだろう。

 恐怖の対象であるにも関わらず、好きという言葉に照れてしまいそうになるが、必死に舌を噛んで耐える。

 傍から見れば清楚に見えるが、中身がヤバいという由依と同じタイプだ。

 こいつがまともな今、早急にケリをつけるべきだ。


「悪いけど、俺はお前のことを好きにはなれない」

「なんでですか?」


 本気で言っているのか?

 まさかの返答に呆れて言葉が滞るが、すぐに調子を取り戻して言葉を続ける。


「自分のやってきた事を思い返してみろ。それに、お前に好かれるようなことをした覚えはない」


 俺の言葉に納得できないようで、頭を傾げながら顎に指を当てて上を見る。

 こういう一つ一つの所作のあざとさが彼女の売りなのだろう。


「そうですか。でも、私は好きですよ。特に友達のことを思って勇気ある行動ができるところとか」

「……お前のせいだろ」

「そうですね。でも、あなたの事が知れて良かったと思ってます」


 女は俺の言ったことを理解していた。

 理解した上で健を監禁しようとしたことを今でもプラスに考えていると明かしたのだ。

 犯罪行為に対して反省もしていなければ、自分の利益になったと語っている女を好きになるほど馬鹿な男ではない。


「彼氏はどうした?」

「誰のことかは分かりませんが、今はフリーですよ」

「……なんで俺以外の男と付き合ってた?」


 少々ナルシストな発言だとは思うが、この女の性格を考慮すると正しい反応だろう。

 健への猛烈な愛の押し付けを見る限り、重い愛の持ち主だと思うのだが……


「そうしなければ、私への警戒を解くことができなかったでしょう?いまどき、好きじゃない人と交際するというのはよくあるケースですよ」


 女は躊躇うことなく平然と話す。

 一理ある話だ。

 実際に、俺はその状態を経験している。

 恋人という関係ではなく夫婦という形で世間体を確立していた。

 金や世間体が原因となる交際、結婚は珍しくない。

 むしろ、現代になるに連れて自由になってきたと言うべきだろう。


「私の顔に何か付いていますか?」

「……何もないですけど」

「すみません、あまりに私の顔をジッと見つめていたので気になってしまいました」


 頬を色づけて恥ずかしがるような仕草をするが、目は俺から離れなかった。

 会話が始まってから、俺は彼女から視線を移すことができていない。

 目を逸らした瞬間、自分に多少の危害が及ぶことが容易に想像できてしまうほどの緊迫感を女は作り出している。

 由依にできるだけ早く健の危機を伝えて離れたいが、話し始めてから一度も俺の視界に由依は入ってこない。

 周りはガヤガヤと活気づいている。

 絶え間なく訪れる客の対応で忙しくて、俺の方に来る余裕すら無いのか。

 頼む、誰でもいいから逃げる機会をくれ!!

 

「お客様、当店では執事、メイドとの個人的な会話は禁止されています」


 隣から聞こえた救いの声が誰か分かる。

 助かったという安堵から振り返ると予想通りの神崎さんがいた。

 一緒にいた三人を置いて来てくれたのだろう。


「ごめんなさい、重要な話をしているので席を外してもらえませんか?」

「どんな話でも禁止です。彼の仕事が終わってからにしてください」


 神崎さんは淡々と笑顔で接客している。

 その隙に由依を目で探すと、ちょうど由依も俺を見ていてくれたおかげでアイコンタクトができた。

 後は機を伺って逃げるだけ。

 女は深くため息を吐く。

 神崎さんという邪魔が入ってきたことで機嫌が悪くなっているようだ。


「空気が読めないのですね。私は彼に告白しているのです。彼が返事をするまでは見て見ぬフリをするのが気遣いというものでは?」

「論点をズラさないでください。この店でのルールに反する行為に対して注意をしています。これ以上、会話を続けると言うのであれば強制退場してもらいます」


 お互い笑顔で話してはいるが、目が笑っていない。

 周りの音が静かになった気がする。

 それほどの緊張感を目力と言葉だけで二人は放っているのだ。

 

「分かりました。後で連絡しますね」


 女は残念そうにしながらコーヒーを一口飲む。

 後で連絡が来るのか……

 この現状を乗り切ることが最優先だ。

 そのためだったら、多少のことは我慢して、今はこの場が収まるのを待てば…… 


「俺の連絡先、知ってるの?」


 気づいた時には口が滑っていた。

 どうしても気になってしまった。 

 中学時代、この女との接点は一切なかったはずなのに、どうして俺の連絡先を持っているのか理解できない。

 女は落ち着いた様子でコーヒーカップを置くと、俺を少し哀れむような目で見る。


「中学生の時のグループから拝借しました」


 確かに中学生時代のグループから連絡先を手に入れられる。

 そこで手に入れたと聞くと、退会しておけば良かったと後悔の念が湧いてくる。


「勝手に登録して連絡するのは彼にとって迷惑です」

「じゃあ、あなたは友人から連絡先をもらわないのですか?」

「そういう事じゃないです。彼が嫌がっているのに気づいていないのかって聞いているんです」


 神崎さんは笑顔で接客しているが、段々と言葉に熱が入ってきている。

 女の無駄に丁寧な口調に腹が立ってきているようだ。

 だが、女の方も神崎さんに苛ついているようで、指をトントンと小刻みに叩いている。


「なぜ、そこまで邪魔をするのですか?人の恋路を邪魔したいのですか?」

「あたしはあなたみたいな迷惑客のことを許せないだけです」

「でしたら、私が斎藤君と仲良くすることを拒む理由は無いですよね。頑なに食い下がってきて面倒臭いです」


 女は段々と口が悪くなってきている。

 ゆえに、俺は女のことがよく分かってきた。

 そして、女が俺のことを何としてでも手に入れたいと思うのも理解できてきた。

 これ以上話しても無意味だ。 

 なんとか二人の会話を止めて、神崎さんから一刻も早くこの女から離したい。

 

「それに、あなたは相当モテますよね?こちらを見てくる男子の視線でわかります。取り巻きの一人が減ったところで、代わりはいくらでも――」

「いないよ」


 即答だった。

 女の話が終わる前に食い気味で神崎さんは答える。

 感情を整えるように軽く深呼吸をすると、笑顔を作り直して堂々と答え始める。


「私にとって斎藤君は大切な人だよ。強くて、周りのことを見てて、とても頼りになる。それに、あまり関わりのない私のことをナンパから助けてくれるとても優しい人なの。だから……他人を利用することしか考えていなさそうな人には絶対に渡さない」 


 彼女の横顔からは強い決心が伝わってくる。

 神崎さんにとって大切な存在になっていることを嬉しいと思うと同時に、ここまで言われれば、さすがに分かってくる。

 彼女の性格から考えて、こういう時に嘘をつくことは絶対にない。

 だから、言い切れる。

 神崎さんは俺のことが好きだ。 

 

「渡さないって何様?所有物扱いしてる女が言ったところで説得力皆無ですよ」

「は?何言ってるの?」


 神崎さんは自然と手慣れた感じで俺の腕を組んできた。

 周りの客からざわめく声が聞こえてくるが、神崎さんは構うことなく女に見せつけるように俺の肩に頭を乗せる。

 ドキッとして体が硬直する。

 ラノベと少年・少女漫画で鍛えられた俺の脳は次に神崎さんが何を言い出すのかを悟る。

 でも、これはすぐに……


「あたし達、付き合って――」

「嘘ですね」


 一瞬だった。

 俺も無理があるとは思ったが、まさかここまで一瞬とは思っていなかった。

 だが、神崎さんのおかげで俺の思考が固まった。

 多分、この女は……


「付き合っている人がいるなら、斎藤君は彼女を理由に私を断るはずです。まあ、モテる彼女に嫌気が差して別の女に乗り換えようか迷っていたという線は考えられますけどね」

「斎藤君はそんなことする人じゃない!」

「神崎さん、もう――」

「ちょっと黙ってて」


 俺が場を収めようとするのを神崎さんは止めてきた。

 自分のことを酷く言われてプライドが許さないのだろう。

 でも、これまでの会話を聞いている限りだと、これから何を話してもこちらには何の利益もない。

 周りの客も二人の言い合いに息を呑んで聞いてしまっている。

 神崎さんのためにも、この女とあまり関わらせたくないのだが……


「知ってますよ。とても友達思いの優しい方ですからね。私が言いたいのは男性からしてみれば、それだけ学校中からモテる女を彼女にすることは負担が重いって言ってるんです」

「重いのはどっちよ。あんただって――」

「はい!ストーーーップ!!」 


 何人も口を挟むことが許されない二人の言い合いの間に割って入ってきた。

 大きなサングラスをかけた女性で左手の薬指には何度も父親との惚気話に使用されたダイヤモンドの指輪が嵌められている。

 

「お姉さんに何があったか順番に話してごらん」


 自称二十代、斎藤明希こと俺の母親だった。

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