トラウマ

「ごめん、遅くなった。注文聞いてくればいい?」

「おう、頼む」


 執事服に急いで着替え、教室へと戻ってきた。

 当番の一時間ほど前だが、俺はホールへと注文を伺いに行く。

 現在は俺を含めて、五人がホールで働いている。

 ここまで人手不足だとは思っていなかった。

 やはり、一人は呼んでくるべきだったか。


 こうなった原因はメイドが三人と執事が二人、合わせて五人がバックレたからだ。

 交代の時間になっても来ないことで気づいたらしい。

 サボっているメイドの中には昨日、神崎さんと階段にいた二人が含まれている。

 《ライム》で呼びかけても反応はなく、シフト通りに来た男のスマホには文化祭サボって遊びに行こうという趣旨の連絡が届いていた。

 どうやらカラオケでサボっているらしい。

 来てくれた彼は他の五人とはあまり関わりがなく、行きたいと思わなかったらしい。

 朝一番に集合して出席確認をしなかったことが仇となった。

 

 ホールを見回すと、由依が客に捕まっているのが見える。

 金髪の男子高校生と黒髪の大学生くらいの男だ。

 由依も笑顔が引き攣っている。

 従業員確保のためにも、俺がきっぱり言いに行くしかなさそうだ。


「すみません、当店ではお触りと個人的な会話は禁止させて――」

「こいつだよ!!」


 俺を指差してきた金髪の男は向かい合って座る男に訴えかける。

 その男の顔は忘れもしない、俺をヒーローにさせたクソ野郎だ。

 

「兄ちゃん!こいつが俺のことを殴ってきたんだよ!」

「正当防衛の範疇ですよ」

「あん?てめぇ、俺の弟に手を出すとは……」


 威勢よく兄と思われる人物は立ち上がったが、俺と顔を合わせると言葉を止め、段々と青ざめていく。

 こいつ……最近、会ったことある気が……


「すみません。こいつにはキツく言い聞かせとくんで、許していただけないでしょうか」

 

 急に腰から垂直に礼をする。

 その様子から俺を恐れていることがひしひしと伝わってくるが、俺としては急な変わりようでびっくりしてしまう。

 そのまま弟の頭を下げさせようとするが、弟は必死に抵抗している。


「は?なんでこいつに謝ってんだよ!」

「黙ってろ!」


 誰だったかは思い出せないが、この感じは俺がボコった相手の内の一人なのだろう。

 そうだとしたら、話は早い。


「他のお客様に迷惑なので、大声を出すのとここでナンパをするのはやめてもらっていいですか」

「はい!すみませんでした!」


 ここまで恐れるようになるのかよ…… 

 恐怖を植え付けてしまったことは申し訳ないが、面倒な客が俺の話を聞く人で良かった。


「斎藤君、何したの?」


 裏に戻ると、すぐに聞いてきた。

 普段は他人を装っている由依でも聞きたいくらいには気になったのだろう。


「多分、ボコった」

「へぇ~、喧嘩強いんですか?」

「今のところ負けなしです」

「ガッツポーズして誇るな」


 小声で冷静なツッコミが入ったところで、さっきの男達の品ができたようだ。

 念には念をということで、俺が持っていくと一人は有り難そうに、もう一人は不満そうに受け取ってくれた。


「あのー、すみません」

「はい、ご注文をお伺いし…ますね」


 なんでここに、こいつが……


 背後からの声に応じ、注文を取ろうとして顔を上げると、ゾワッと全身に鳥肌が立つような感覚に襲われる。

 さっきの男達に比べて何倍も弱そうな女性。

 けれども、俺、いや俺達にとっては十分な脅威となる存在だ。

 雑念を頭の片隅に無理やり押し込み、平然とした態度を意識する。

 迅速にミスなく対応すれば、きっと大丈夫だ。

 他人のフリをしろ。


「コーヒーとバウンドケーキで」

「はい、かしこまりました」

「健君っていますか?」

「すみません、当店では指名はできません」

「知り合いでも?」

「はい」

「いつ来るの?」

「すみません、私も全員のシフトを把握できているわけではないので」

「へぇー、健君と疎遠になったんだ」


 覚えてたか。

 最初の得体のしれない恐怖とは違い、もっと直接的な恐怖が襲ってくる。

 ここに健がいるって知っていて来たのか。

 最悪なことに、ちゃんと申請して来たことの証明書の入った透明なカードケースもある。


「ご注文は以上ですね。失礼します」


 話を強引に切って裏へ戻る。

 俺は彼女に一礼した後、焦った様子を隠し、逸る気持ちを抑えて、できる限りゆっくりと足を動かす。

 裏方にまで戻ると、緊張で張り詰めた体にドッと疲れがのしかかってきた。

 だが、疲れている場合ではない。

 俺は話が分かる由依に声をかける。

 

「石上さん、健って来ないよね」

「今、向かってるらしいよ」

「……俺が今抜けたらヤバイよね?」

「人手不足だから厳しいかも」

「じゃあ、裏方にいる誰でもいいから健を止めに行ってほしい」

「何かあった?」 

「ストーカー女がいる」

「……田中君!健に来ないでって言ってきてほしいんだけど!」


 ストーカー女という言葉で全て理解したようで、すぐに健と同じバスケ部の田中に頼む。

 彼は頼まれた内容が腑に落ちない様子だったが、すぐに裏方から出ていく。


 ストーカー女、名前は確か桐谷きりたに咲良さくら

 健にトラウマを植え付けた最低最悪な健の元カノだ。

 盗撮、ストーキング、監禁未遂をするほどに狂った愛をぶつけてくる。

 高校が別々になって危機から完全に逃れたと思っていたのに、どうして未だに健に固執する。

 彼氏ができていたはずなのに……


「どうするの?」

「俺が対応して帰るまで待つしかないかな」

 

 相手は客で、まだ何もしていない。

 ゆえに、このまま強制退場をお願いすることもできない。

 情報漏洩のリスクの点から考えても、俺が健の情報を与えずに接客するのが最善だろう。

 由依が健の従姉だってバレた場合、由依に危険が及ぶかもしれないから。


「七番卓できたよー」

「あざす」


 これを渡して帰ってくるだけ。

 大丈夫、落ち着いて行け。


「失礼します。コーヒーとバウンドケーキになります」

「ありがとうございます。少し話しませんか?」


 情報を聞き出したいのだろう。

 だが、その手には乗らない。


「すみません、個人的な会話は禁止されています」

「そうでしたか。では、健君に会いに行きますよ?」

「そうですか。別に構いませんよ」


 ハッタリだ。

 俺を引き止めるための嘘で間違いない。

 実際に健は近くまで来ているが、それをこいつは知らないはず……


「ハッタリじゃないですよ。さっき、裏から出てきた方が健君を止めに行くと言っていました。わざわざ止めに行くということは、更衣室からここまでの道のりの何処かにはいるってことでしょう?そうじゃなければ、広大なこの高校の中で一人の人物を探すというのは無謀ですから」


 笑顔を崩さずに話し続ける女から圧倒されるほどの狂気を感じる。

 ここまで頭が回るのかと驚愕する。

 これも全てハッタリかもしれないが、本当に勘づいていた場合が恐ろしい。


「わかりました。話をしましょう」


 俺は席に座ることなく、立ったまま彼女と話すことにした。

 これが最善だと自分に言い聞かせて。


「では、単刀直入に……」


 何を言い出すんだ?

 どんな事を言われても絶対に口を割らないという覚悟を固める。

 時間を稼いで由依に健がヤバいということを伝えられたら、俺の勝ちだ。


「あなたのことが好き、なんです」

「…………は?」


 頬を薄いピンク色に染めて、気恥ずかしそうに言う女。

 その姿に、恐怖や怒りではない純粋な疑問が口から漏れた。

 

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