大人よ、大人になれ

「天音お姉ちゃーーーん!!」

「コウ君!?」


 俺達の方へ少年が突進してきた少年は神崎さんの前で急停止する。

 神崎さんは驚きを隠せずにいたが、すぐに少年と目線を合わせるように屈んで、少年の両肩を持つ。


「コウ君、お姉ちゃんはどうしたの?」

「え?すぐ来るよ」


 少年が指差す方を見ると、蒼井さんと樋口さんが走ってくる。


「天音ごめん!」

「全然、大丈夫だよ」


 慌てた様子の蒼井さんに落ち着いた雰囲気で優しく言葉を返すと、少年の頭を撫でる。


「お姉ちゃん困らせたらダメでしょ」

「だって、天音お姉ちゃんがいたから……」

「そういう問題じゃないでしょ康太郎。どんな理由があっても、廊下を叫びながら走ること自体がダメ!」


 少年の気持ちは分からなくもない。

 このくらいの歳の子は面識のある人がいたら、思わず走って近づきたくなるものだ。

 それが美人なお姉さんだったら、なおさら全速力をもって近づくだろう。

 前世の俺も幼稚園児のころ、仕えていたメイドのお姉さんに一目惚れしていた時期がある。

 初恋の人というものだろう。

 一つ一つの所作が丁寧で、どんな時でも笑顔を絶やさない人だった。

 それからすぐに家に仕えている全員が既婚者だと知った時の絶望は今でも鮮明に思い出せる。


「コウ君、走ったらダメって言ったでしょ!」

「ごめんね。エマ姉ちゃん」


 反省したようで、俯きながらせわしなく指を絡ませたり、離したりしている。

 どうやら蒼井さん達の用事というのはこの少年の子守のようだ。

 

「天音姉ちゃんも一緒に行こうよ」

「ちょっと、コウタ――」

「いいよ。一緒に行こっか。斎藤君が良ければだけど」

「俺は大丈夫だよ。全然」


 子どもからのお願いを断ることはできない。

 神崎さんは俺に、ごめんねと両手を合わせてきたが、俺にとっては助かる展開だ。

 大丈夫と返すと、少年が俺と神崎さんの間に割り込んできた。


「天音姉ちゃんは俺のフィアンセなんだから、お前は触るんじゃねぇ!」


 俺を拒絶するように手の平を向けてくる。

 小学校低学年ぐらいの子どもがフィアンセという言葉を知っていることに感心するが、会って数分の人に対してお前とは……


「エマ姉ちゃんも俺の嫁だからな」

「そんなことより、謝れ」


 樋口さんに向けて差し出した手を蒼井さんははたき落とし、少年を謝らせようとする。


「俺は大丈夫ですよ。蒼井さん」

「だよな。ほら、エマ姉ちゃん」


 ふてぶてしい態度で再度、伸ばした手を樋口さんが取り、少年は両手に花状態となった。


「風船バレー行きたい!」

「いいよ〜。三年C組だっけ?」


 世の男子なら羨ましくて仕方がない状況で少年はニコニコと行きたい所について話している。

 正直、誠意のない態度にムカつくが、ここで怒るのは大人として情けないだろう。

 まあ、このくらいの年頃ならまだ何も知らないし……っ!?


 目の前で起きたことが信じられなかった。

 少年が満面の笑みで振り返ったのだ。

 それも俺を小馬鹿にするような、ゲスい笑みだった。

 

 なんだ、今の笑顔は!?

 まさか、こいつ……自覚があるのか!?


 そりゃそうだ。

 小学校低学年を侮ってはいけない。

 

『ねぇ、◯◯君って好きな人いるの?』


 俺の性が坂本だった時でさえ、この質問を聞かれた時に恥ずかしがって名前を言わないくらいには恋愛感情というものに目覚めていた。

 さらに、現代のマセガキどもの中には小学生から付き合う子がいるのだから恋愛脳は十分に発達しているだろう。(ごっこ遊びの範疇であってくれ)

 だとすると、こいつは全てを分かった上で自分の可愛らしい見た目を利用し、二人と手を繋ぎ、嫁にすると言っているのか。


「頼む、ヒーロー」 

「ああ、任せてくれ」


 通りすがりの他人だったが、気持ちは伝わってきた。

 後ろを見ると、少年のゲスな笑みを見た男達が俺に何かを託すような眼差しで俺を見つめてくる。

 少年は悲しき男達の敵と認識されたのだ。

 

 俺がやるしかない。

 このエロガキをぶっ◯す!!



▽▼


「ありがとね、弟の遊び相手になってくれて」

「大丈夫、ですよ」


 付き添い用の椅子に座り、呼吸を整える。

 エロガキと出会ってから一時間半が経過した。

 結論を述べるとすると、俺は大敗を喫した。


「二人とも回しすぎ!」

「天音姉ちゃんも回せって!」


 現在、エロガキはコーヒーカップに乗っている。

 二人の間に座り、手元のハンドルを全力で回しているのだ。

 彼の狙いは明確に分かる。

 それは、遠心力を利用することだ。

 遠心力によって傾く樋口さんを自分の身に寄りかからせて、自分も遠心力を利用して神崎さんにもたれかかる。

 なんとも理にかなった作戦。

 コーヒーカップを回す者や待っている客はその光景を羨ましそうに見ている。


「疲れたよね。ごめんなさい」

「いや、大丈夫ですよ。本当に」


 改めて蒼井さんに心配してもらったが、こうなった原因は全て自分にある。

 風船バレーやモグラ叩きなどであえてタッグを組んだり、少年が女性陣におんぶさせようとした時に率先して背負ったりなど、とにかく女性陣との接触を妨害してきた。

 だが、その疲労を回復するために座っていると、いつの間にかコーヒーカップに三人で乗っていた。

 俺と蒼井さんの二人で乗るわけにもいかないので、三人の姿を眺めることしかできなくなっていた。

 しかしながら、コウ君に下心があると分かっていても、無邪気にはしゃぐ姿は年相応の可愛らしさがある。

 だからといって、俺や世の男子が許すわけではない。

 ここからは、一瞬たりとも気を抜かない。


「コウ君って何歳?」

「七歳の小学二年生」

「へぇ~、俺達と十歳も違うんだ」

「うん、ママの連れ子だからね」


 突如として現れた連れ子というワード。

 安易に話を振らなければよかった。

 どんな反応をすれば良いか分からず、言葉が詰まる。


「あー、ごめん。普通に仲は良いよ。この髪染めてくれたのもママだし」

「お母さんは美容師なの?」

「うん、そう」


 髪を触っている蒼井さんからはどこか誇らしげな感じがする。

 

「最初は拒絶してたんだけど、ママのこと大好きだし、ああなりたいなって今では思う。それにママが居なかったら天音に会えてないから、そこも感謝してる」


 それなら良かったと安堵する気持ちと髪から目を離すことなく話す蒼井さんの姿から確認したいことが思い浮かぶ。


「俺に話して良かったの?」

「……どういうこと?」


 表情からだと何を考えているのか分かりづらいが、声色から俺の質問の意図を理解できていないことが伝わってくる。


「いや、なんていうか……男嫌いって噂があるし、俺と一緒にいるの嫌なんじゃないかな〜とかって思って」


 変に取り繕うことなく正直に聞くことにした。

 その方が蒼井さんの正直な気持ちを聞ける気がしたのだ。


「大丈夫。あなたは信用できる」

「……ありがとうございます」


 微笑んだように見えてドキッとしたが、気のせいだったようで、澄ました表情のままコーヒーカップに乗った三人を見ている。

 シフトまでの時間が気になってスマホを確認すると、クラスのグループに通知が入っている。

 それも二十件。

 何事かと思い、通知を開くとそこには……

 

「ごめん、俺抜けるわ。四人で楽しんで」


 俺は蒼井さんに別れを告げて、教室へと急いだ。

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