前日準備にて

 心頭滅却、何も考えるな。

 ここで下心があるとバレたら嫌われるぞ。


「昨日までのあたしヤバかったっしょ。メイクは無意識にしてたんだけど、髪ボッサボサのまま登校してたし…ナギちゃんが毎日頑張っててくれていたみたいなんだけど、可愛かったなぁって思ったのある?」

「えっと……」


 神崎さんからの問いかけに何か答えないといけないのは分かっているが、頭が真っ白で何も思いつかない。

 分かるのは右腕から伝わってくる巻き付いた細い腕と押し付けられた柔かな感触だけ。


「困らせちゃったね」

「……ごめん」

「謝ることないよ。斎藤君はポニテが好きなんだもんね〜♪」


 首をかしげながら俺の顔を覗いてくる神崎さんはとてもご満悦のようだ。

 その原因は俺の反応だろう。

 今の俺は耳まで真っ赤になるくらい顔が熱くなっている。

 神崎さんを真っ直ぐ見ることができないので顔を逸らすが、そうすると顔を見たい神崎さんは俺の腕にさらにぎゅっと腕に体を押し付けてくる。

 ヤバい……マジで限界だ……このままでは抑えきれなくなる。


「ちょっと離れてほしいです」

「あー、ごめんごめん。意識しちゃった?」


 笑顔を絶やさずに俺をからかって楽しそうにしている。

 昨日までの神崎さんは授業中もずっと頭を机の上に置いたまま死んだように脱力していた。

 樋口さんやナギちゃん、蒼井さんの呼びかけには反応していたが、それ以外の声ではいくら呼びかけても微動だにしなかった。

 文化祭準備中もナギちゃんが指示したことをやるだけの傀儡と化していた。

 そんな神崎さんが俺と腕を組んで楽しそうにしている。

 久々の彼女の笑顔と柔らかい体にただでさえ女慣れしていない俺の心臓は加速しきっていた。


「冗談♪冗談♪からかってごめんね。みんなにも謝りたいから先行くね」


 組んでいた腕はすり抜けて、俺の体から離れていく。

 また後でね、と腕を振ると神崎さんは走って行ってしまった。

 神崎さんが離れたことで腕がさみしく感じる。

 俺は神崎さんの体が当たっていたであろう場所を左手で触りながら、当たってたよな…と記憶を確認する。

 神崎さん、マジでかわいいなぁ……

 さっきのようなスキンシップは俺だけであってほしいけど、クラスの人気者の彼女ならいくらでもして……いないと思いたいな。


「おい!」


 声がした方を見ると、お待ちかねの人物が来た。

 きっとイイ奴であろう七三メガネだ。

 おはようと明るく親しみを持って挨拶をしようとした時、俺は青ざめた。

 彼の目は釣り上がり、般若の如き形相で俺を睨んでいる。

 さっきの光景を見たのだろう。


「この裏切り者が!陰キャのくせに……俺より下のくせに……」


 これはマズイぞ。

 怒りで我を忘れている……いや、怒りで内なる獣を開放してしまっている。

 逃げるしかない。

 友人になれると思ったが、やはりこいつとは仲良くできない運命のようだ。

 俺は自分の身を守るため全力で学校までの道のりを走るのだった。

 


▼▽


「おめでとう。及第点ね」

「ありがとうございます師匠!」


 俺は師匠に深く頭を下げる。

 そんな俺に対して師匠は拍手をしてくれた。

 だが、口角は上がっていない。


「たまに猫背になるのと裏に入った時の声が大きい。そこは気をつけて」

「師匠のお言葉、肝に銘じます!」

「これ言ったの五回目だけどね…ヒーロー」


 師匠は俺のことを鼻で笑うようにヒーローと言うと、次の人を評価するために入口へと戻っていく。

 こうして師匠による最終給仕テストを乗り切った俺は執事服から着替えるべく教室を出た。

 クラスメイトからヒーローお疲れ〜と言われるが、全て無視して先に進む。

 現在、クラスではメイド喫茶用の飾りつけや調理場の準備が全て終わり、ホールスタッフの給仕練習の時間となった。

 コーヒー、紅茶、オレンジジュースの三つの飲み物から一つとクッキーやパウンドケーキなどのお菓子から一つを組み合わせて販売することになっている。

 衣装はナギちゃんのと健と由依の叔父のによって借りることができた。

 どちらとも汚れたまま返してくれとのことで面倒が省けてかなり助かった。

 下手に学生が洗ってしまっては品質を落とすことになるからだろう。

 

「お疲れ〜。ナギちゃんすごいな」

「うん、絶対バイトしてるな」


 師匠ことナギちゃんはこのメイド喫茶においてプロデューサー兼現場監督を担っている。

 ナギちゃんが言うには、バイトしているカフェのオーナーがメイド喫茶もやっているとのことで衣装を借りれたらしい。

 だが、ナギちゃんによる演技指導などを聞いているとどう考えてもメイドとして働いている経験がありそうに見えてしまう。

 それをクラスメイト達も薄々感じてきているようだが、本人は全力で否定している。

 メイド喫茶で働いている所を同級生に知られたくないのだろう。


「まあ、明日も頑張れヒーロー!」

「やめろ。しばくぞ」

「暴力ダメって言われたばかりだろ」

「また千文字書けばいいだけだから問題ない」


 反省文の意味とは?と智也に尋ねられたが、上手い返しが思いつかず、何も言わずに更衣室に向かった。

 今日、一番心配していた『童貞の叫び』事件についてだが、想定していた半分くらいのことしか起こらなかった。

 下駄箱でスリッパに履き替えた途端にチャラそうな先輩から「よう、童貞く~ん」と煽られたが、次の瞬間、「ヒーロー樣に向かって何してんだよ、お前」と二年の体格の良い厳つい先輩二人が助けてくれて、チャラ男は逃げていってしまった。

 俺が二人に感謝すると、彼らは謙遜して俺に一礼してから足早に去っていった。

 ヒーローと呼ばれたことに疑問を感じたが、それはクラスに入った途端に確信し、諦めへと変わった。

 クラスに入ると、男子内では俺は祀り上げる者が多数いた。

 その中にはもちろん智也と小林もいる。

 小林に関しては英雄教教祖と名乗り、クラスを率いて俺を信仰の対象として崇めてきた。


 恥ずかしい。

 とてつもなく恥ずかしい。

 特に女子の視線がものすごく痛い。


 だが、馬鹿にされるだけだろうと沈んでいた俺の心は軽くなった。

 が、それも一回だけ。

 なにかにつけてヒーローと言ってくる彼らに今はうんざりしている。

 そして、なぜヒーローなんだ?という不満もある。

 せめて、王とか様付けとかが良かった。

 これのせいで、ナギちゃんに開口一番で、ヒーローじゃんと笑われながら背中を叩かれ、樋口さんには《ライム》同様に、気にしちゃダメですよと心配され、由依にはアイコンタクトで、ドンマイ♪と憐れまれた。

 昨日、連絡が無かったナギちゃんには嫌われたと思っていたが、そんなことはなく、ただヒーローとからかってくる。

 案外、嫌われていないのかなと他の女子に目をやると、俺が目線を向けただけでヒッと悲鳴が上がった。

 うん、避けられてるな。

 想像していた最悪より幾分か楽だっただけでも俺としては居心地は良……くはない。

 だが、ヒーローと言われるだけで済んでいるのは幸いである。

 被害が抑えられた理由としては神崎さんの復活と健が童貞であると判明したことが挙げられる。

 健に関しては判明した時、クラスがどよめき、女子からの歓喜の声まで聞こえた気がする。

 羨ましい……俺もこうなりたかった。


「ねぇ、聞きたいんだけど」


 男子用更衣室へと向かう道中、肩を叩かれる。

 そのまま距離を縮めて俺のすぐ隣にくっついてきたのはメイド服姿の神崎さんだった。


「どれがいいと思う?」


 神崎さんは手元のスマホをスライドさせて写真を順番に見せてくれた。

 どうやらメイド服の髪型を決めかねているようで、参考にするために聞きに来たのだろう。

 候補は、髪を巻いて下ろしたもの、ツインテール、高い位置のダブルお団子の三つだ。

 メイド服に付属するカチューシャのようなもののせいで制限がある中で、どの髪型も最高に見える。

 モデルが神崎さんというのもあるとは思うが…


「一番目がいいかな…」

「じゃあ、それにする」

「えっ!?」

「えっ!?ってなに?嘘ついたの?」


 本気だったようで、俺を疑うように尋ねてくる。

 まさか、俺の意見で決めるとは考えすらしなかったので、予想外の返答に驚いてしまった。


「いや、俺の意見で決めて大丈夫かなって、ナギちゃんとかに聞いたほうが良いんじゃない?」

「それは大丈夫、あたしも最初のが気に入ってたし、それと…」


 隣から俺の前に移動し、手を後ろで組んで衣装を見せるようにポージングする。


「今のあたしが一番かわいいってことでしょ♪」


 今朝と同じようにいたずらっぽい笑顔ではなく、素直に喜んでいるのが分かる自然な笑顔。

 髪型はさっきの写真のものと同じで、金髪とはいえ、とても清楚な印象がある。

 かわいいなと俺が見惚れた直後、美人ギャルメイドはニヤッと笑い、一歩近づいてくる。

 恥じらいを隠すようにしながら、上目遣いをしている。


「ご主人様♡天音はご主人様のどんな命令も進んでお受けしますよ」


 えっっっっど!!

 ヤバい、そういうふうにしか捉えられない。


「どうだった?メイドさんぽか――」

「ごめん!着替えてくる!」

「ちょっと!?」


 俺は神崎さんに背を向け、走り出した。

 神崎さんのびっくりしたような声がしたが、今は振り返れない。

 だって、あの言葉で意識しない方がおかしいだろ!?

 こうして、神崎さんの近すぎる距離感に戸惑いながら文化祭前日は幕を閉じた。 

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