第28話

 昨日、俺が保健室から出て行くと、運動大会は終わってしまっていた。


 那由多がどういった理由で俺を狙ってきたのか、本人が言いたくない様子だったので、結局聞けず仕舞いだったな。


 詳しくわかることはなかったが、いつも通り何かが気に障ったんだろう。

 那由多の罪悪感に付け込めたなら、それでいい。


 『約束ノート』を開けば、わざとらしい優しさの成功を意味していた。


 俺の計画の為に……那由多は騙されたのだ。しかし――。


「こんなに胸が苦しくなるとは思わなかったな」


 何故か那由多の顔が忘れられない……罪悪感が伝染してしまったみたいだ。


 教室に戻って数人残っている生徒の中に小野塚と石倉を見つけると、俺達のチームが勝ったことを知らされた。つまり、お嬢様のチームは負けてしまったのだ。


 意外だった。お嬢様のポテンシャルなら石倉に負けないと思っていたから。


 逆に俺達のチームは石倉が残ったことで優勝できたからか、石倉から再び感謝の言葉を言われてしまった。


 複雑な気持ちと共に、次回への糧としようと前を向く。




 その翌日、無言のブレックファーストが気まずい。

 ホットケーキをナイフで切りながら、テーブルの対面側から送られ続けてくる視線。


 じーっと見つめられている事に気付いて那由多の方を見れば、顔を逸らされる。


 無言だともどかしいんだけど、俺の頭に何か付いている? あっ、髪が跳ねていた。

 しかし、軽口を叩けない緊迫感があった一番の理由は、那由多が原因ではない。


 朝ご飯としてテーブルに出されたホットケーキの味は悪くない。悪くはないが、あの花音が作るにしては随分と軽い料理だと思う。


「秀吏くん……何故、今朝の料理がホットケーキなのか、わかりますか?」

「わからないです」


 簡素な料理を作ったのは態となのですか?


「私と那由多ちゃんは昨日の夕飯を外食で済ませました」

「ん? うん」

「その旨はメッセージを送りましたし、もちろんご存じでしたよね?」

「うん。だから適当に冷蔵庫の中を使わせてもらって夕飯を……もしかして、それ?」


 今朝の料理に使おうと思っていた食材を使われてしまったから、余っていたホットケーキを作ったということか。


 昨日は確か精神面での疲労があって、リラックスのために料理したかったんだよな。


「それです! あのですね……せめて、何を使ったのか報告してくれませんと!」

「ごめんなさい」

「最近、練習帰りにおでんばかり食べていたので、裏屋敷の食材は緩やかに減るばかりだったんですよ」

「そうでした。いや俺も久しぶりにまともな夕飯を食べたくてな。本当にすまない」


 以前も同じような内容で花音に叱られた事はあったけど、ここまで怒られなかったから甘く考えていた。


「では、何を反省しているのか一から全て説明してください」

「勝手に食材使ってごめんなさい」

「それだけですか?」

「えっ?」

「……はぁ」


 なんで溜息を吐いた? なんで溜息を吐いた? 俺他になんかやらかした?


「私が怒っているのは、ホットケーキ出した瞬間の秀吏くんの顔です」

「顔? 今日は寝不足じゃないから健康的だろ?」

「そこを聞いているのではありません」


 いつも寝不足かどうか気にしていたけど、違ったか。


「期待外れと言わんばかりに秀吏くんは最初、溜息を吐きました!」


 自分の出した料理に溜息を吐かれて良い気持ちをする人間はいないだろう。俺が悪かった。


「反省しているから許してほしい」

「反省しているなら、昨日何があったのか教えてくれませんか?」

「ちょっ……花音、それは言いたくないって」


 黙々とパンケーキを頬張っていた那由多が急いで会話に参加してきた。

 あれ、言っていなかったのか……いや言える筈もなかったな。


「だから秀吏くんの口から聞くんです。昨日最後まで教えてくれませんでしたので! しかも私が裏屋敷に帰る頃には二人とも寝ていますし! えっ、私だけ蚊帳の外ですか?」


 花音は拳を握り食卓をバシバシ叩く。あの花音が台パンしている事実に驚愕を隠せない。


 普段の大人しさから比較すると、相当荒ぶっていらっしゃる。


 というか花音はそれが知りたくて、俺に言わせる状況を作りたかったのか……策士だなぁ。

 しかし、俺も話したくないな。


「花音も関係あることだったから、言えなかったんだよ」

「え……? そうだっけ?」


 おい、那由多が困惑してどうするんだよ。


「まあまあ、秀吏くんのお話を聞きましょう」

「ああ。花音、昨日わざと俺に当てられただろ?」

「さぁ、あんまり覚えていないですね」

「その事について、花音が俺のことを好きすぎるあまりの行動だって調子に乗って冗談言ったんだ。それで那由多と言い争いになっただけだよ」


 話をやや飛躍させて、花音から問い詰めにくい要素を加えた。


「そ、そうだったよね。花音が秀吏のこと好きな訳ないのに、知ったら不快にさせると思って黙っていたの」


 花音がそれで不快に思う訳ないだろ……寧ろ純粋に照れてくれる顔を想像した。


「ふーん。そうだったんですか。でも秀吏くんのことは好きですよ?」

「へ……?」


 変な声が出た。これは……何の暗喩ですか?

 戸惑いのあまりに何となく那由多の方を見ると、あんぐりと空いた間抜けな顔。


 間抜けなまま段々と赤くなっていく顔に、目が釘付けになって離せなくなった。


「ふふっ、人として……ですけどね」

「か、花音? あのね……朝から驚かせないでよ」

「やり返しです。ああもう~……そういう事でしたらこれ以上怒れませんね」


 いつの間にか、朝の食卓は賑やかさを取り戻していた。


 だけど、どうしてだろうな……花音の言葉が最初から告白じゃないって確信していた。


 それは同時に俺の想いを否定されているようにまで感じて……けれど人として好まれているなら充分なんじゃないか、とも思う。


 果たしてそんな軽い気持ちが恋なのか、曖昧なまま思考を止めた。

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