第26話
――約一年前。
黛那由多という女子と初めて話したのは、俺が護衛係としてお嬢様と花音をストーキングしている途中の出来事だった。
「あんた、あの二人のストーカーなの?」
路地裏から二人を見守っていると、背中から身体を身動きできないよう抑えつけられる。
相手は女性っぽいが、護身術でも習っているのか抜け出せなくて焦った。
しかし、その声に俺は聞き覚えがあり、一縷の望みを叫んだ。
「あっ、あのさ……その声、ナユ?」
「は? 馴れ馴れしく呼ばないで……なんであたしの名前知ってるの?」
「やっぱり……俺だよ。ネトゲ仲間のシュラ」
「えっ? 嘘でしょ」
ストーカーを捕らえたつもりが、それが知り合いだったら驚くだろう。
手を緩めた隙を突こうとしたが、すぐに力を入れ直してきやがった。
「まさかシュラがストーカーだったなんて……がっかりよ」
「待て、誤解だ! 俺はストーカーじゃない」
「この状況でまだ言い訳するつもり? 警察に通報するから」
「頼まれて尾行したんだ! 話を聞いてくれ!」
「じゃあ証拠出しなさいよ!」
至極真っ当な意見だ。あの二人に頼まれていたなら態々こそこそと尾行する理由はないし、俺は明らかに不審者にしか見えないんだろう。
「俺のスマホ取って……花音って子に電話かけてくれ。そしたらあの子が電話に出て話を聞いてくれるはずだから」
万が一の為に、俺が緊急の電話をすることは予め伝えてあるし、お嬢様に対しては上手く誤魔化してくれる手筈になっている。
身動きは封じられたままスマホを奪われ暫くすると、俺の位置から花音が周囲を見渡し俺を探そうとしているのが見えた。
「ふーん。本当に頼まれていたんだ。わかった……信じることにしたわよ」
ようやく解放されて振り返ると、そこには同級生くらいの女子がいて驚いた。
「ごめん……痛くなかった?」
「痛かったけど、まあ疑われても仕方ないしいいよ。まさかこんな形でナユと実際に会えるとは思わなかったけどな」
「ネトゲの名前で呼ばないで。黛那由多……あたしの本名。えっとシュラは?」
急に本名を名乗られて、一瞬戸惑った。
「ああ、すまん。俺は藤……じゃなくて笹江秀吏」
「そう、笹江ね。高校生?」
「いや、まだ中学生三年だけど」
「じゃあ、あたしと同じだ。見た目じゃわからないのね……ちょっと大人びて見えた」
年上っぽく見えたのに、俺の事恐れず抑えつけられると思ったのか。
実際抑えつけたけど、正義感が強いのかもしれない。
その後は連絡先だけ交換して見逃してもらった。それだけで、終わる関係だと思っていた。
尾行がバレたことで精神的に疲れた俺は裏屋敷へと帰ってからリラックスしようとした。
しかし、帰ると達郎が待ち構えていた。
「秀吏くん……花音さんから随分と面白い話を聞いたんだが」
「えっと、その……話が早いですね」
「君の口から、話を聞かせてもらおうかな」
「……すみません。俺の力不足です」
誤解を解くために花音へと連絡したのが間違いだったのだろうか。
きっと花音の事だから俺を心配してくれて達郎へ連絡を入れたんだろうけど、一通り説明しなければならなくなった。
最終的に誤解が解けた事を伝えたが神妙な顔をされる。
「そうか……黛那由多さんは善意で空奈を助けようとしてくれたんだね」
「あ、はい……あれ、どうして名前知っているんですか?」
何故か、寒気がした……何かがおかしい。違和感に気付くのが遅すぎた。
「どうしてって、これから引っ越してもらう人の名前くらい調べるに決まっているじゃないか」
「……は?」
「娘の安全な生活には君が必要だ。少なくとも、こんなに早く君の存在がバレては困る。だから邪魔者を排除するだけさ」
黛を俺の存在を知らない何処か遠くへと引っ越させる……それくらいこの男なら容易いことだろうけど、その対処は過剰に思えてならなかった。
恐らく黛の名前は花音が達郎に報告した後すぐに調べさせたんだろう。
いざ権力を振りかざされ、怖くなった。それでも納得がいかず、俺はため口で言い返す。
「俺のミスでバレたのであって、黛は全く悪くないだろ!」
「怒っているのかい……君、その方が話しやすそうじゃないか。まあ善悪で語るならば、悪いのは君なんだがね」
俺がバレたせいだ。
こういったことは、予め俺が警戒しておくべき。
もし黛が知り合いでなかったら、警察へ連れて行かれてしまう危険性もあった。
「そうかもしれないけど、黛はお嬢様を助けようと俺を糾弾したんだ。そんな彼女を排除するのは娘を想う父親としてどうなんだ?」
「ふむ……確かに一理あるな。しかし、あの子を放置する事もできない。例え両親を脅したところで、相手はまだ子供じゃないか……完璧な戒厳令は成せない」
碌に知らない相手なら、俺もその判断は間違っていないと思っただろう。
しかし俺はネトゲである程度性格も知っていた。黛は信頼できる相手だ。でも何か根拠を示せる材料がある訳でもない。じゃあ、どうする?
「なら、黛を使用人として雇うのはどうだ?」
「必要性を感じないな。君と花音さんだけで事足りているだろう」
「お嬢様の友達くらいにはなれると思う」
「……君には驚かされるな。つまり僕に取引を持ち掛けている訳だ」
「お互い利益のある話だ」
達郎は娘の事を第一に考えている……誘拐事件以降、目立って友達を作りにくいお嬢様にとっては良い提案じゃないか?
「しかしな……余計な予算を割けと僕に言っている自覚はあるのかい?」
「俺の分を減らして足りないのか?」
「……それなら足りるだろうな。だが、そこまでして助ける理由はなんだ?」
「一つしかないだろ……花音の友達を作る為だ」
「ほう」
達郎はニヤリと笑う。予想くらい付いていたんじゃないのか?
正直言うと、花音と二人きりの生活に気まずさを覚えていたからこそ思いついた案だが。
「なるほど。良い考えじゃないか」
「じゃあ――」
「だがね……大人を舐めてもらっては困るな……入ってきなさい、黛那由多さん」
「えっ」
名前を呼ばれた黛が奥の部屋から現れて、俺は戸惑った。
居心地の悪そうな顔の黛が現れた……なんで?
「良かったね。秀吏くんは君を受け入れてくれるらしい」
「……そうですか」
「待て、一体どういうことなんだ!」
「ん? 不思議そうな顔してどうしたんだい? 黛那由多さんには引っ越してもらうと……そう言っただろう」
いやいや、思いっきり排除するとか言っていた癖にその誤魔化し方はないだろう。
じゃあなんだ? 俺は最初から達郎の手のひらの上で踊っていただけなのかよ。
「空奈に新しい友達がほしいんじゃないかって考えていたんだ。だから、丁度扱いに困る那由多さんはお誂え向きだったのだよ。だからこそ、君の提案には驚かされたがね」
だったら先ほどの茶番はどういうつもりなんだ。
胃に悪いことを……性格が悪い。
「わざわざ俺を揶揄った意味は?」
「面白そうだったからね」
「俺はあんたを嫌いそうになりかけた」
「冗談だからそう睨むな。本当は那由多さんから提案してきたことなんだ」
なんだと……?
そんな訳ないと思うや否や、黛の方へ顔を向ける。
「……黛、本当なのか?」
「提案したのはここで使用人をさせてもらう事で、笹江に試すような真似をしたのは塩峰さんだけどね」
「やっぱりあんたが面白そうだったからじゃないか」
「ははっ……でも、君が僕に歯向かうような事を言わなければ、那由多さんは雇わないつもりだったからね」
不穏分子を増やすような真似を達郎は好まない。その点で黛を庇ったのは大きいようだ。
「彼女は母子家庭らしくてね。君の仕事を知ってやりたいと言ってきたんだ」
「それで利害が一致したから、すんなり話が進んでいるのか」
「その通り」
あまりに話が早いし、黛にとっても大きな決断なんだろうけど、落ち着いている様子を見るに大丈夫そうだ。
「何よ。じろじろ見て」
「いや、その……さ。一応俺と同居する形になるんだけど、そこんとこ大丈夫なのか?」
「へ?」
その後、達郎によって詳細な説明をされた黛は放心していた。
達郎は事実だけ伝えて契約を取り付けたらしく、卑怯な大人だと再認識した。
「そういえば、君が言った事は忘れていないからね」
「俺の言った事……何の話だ?」
「生活費は二人で共有という形にさせてもらうよ」
「ああ、その事か。俺は浪費家じゃないんで、別にどうでも」
「女子はお洒落にお金がかかりそうだが……」
「かかります」
「……我慢しろ」
そこは遠慮しておけよ。いつもお小遣いは余っているから、多少は好きにさせてやるか。
「それと今後、君には護衛係もやめてもらうからね。那由多さんの方が優秀そうだし。君は……雑用係でいいか」
「そんな雑な……」
「雑に扱われる役割だからね」
一理あるけど酷くない? しかし、事実俺は黛に体術で負けていたので黙って頷いた。
「これからよろしく……笹江?」
「秀吏でいいよ。那由多」
「か、顔に似合わずそういうとこと意外と軽いのね……それと――」
「余計な前置きはさておき、なんだ?」
「さっきはあたしの事、庇ってくれてありがとう。それだけ」
目も合わせてくれないし、人見知りするタイプなのかもしれない。
なんだか棘のある言い方に、この時の俺は一抹の不安を覚えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます