第21話

 学校帰り、俺は児童用の体育館へと歩き出した。

 花音や那由多とは現地集合。一人徒歩で向かうことになったのだが、待ち伏せするように停車していた見覚えのある車。


 寄ると、乗ってくださいと言わんばかりに車の後方ドアが開く。


 暖房が効いていて快適な車内。ルームミラーに見える男性がいなければ、もっと良かった。


 やる気の無さそうな挙動をする髭が特徴的の男性……塩峰達郎が口元を緩ませる。


「秀吏くん。久しぶりだね」

「達郎……塩峰さん」

「二人きりですし呼び捨てで結構。敬意は持っていただきたいけど」

「そう。じゃあそうするよ」


 遠慮はしない。

 俺と彼の関係は対等だ。


「ははっ、君は生意気になったなぁ」

「そりゃどうも……達郎も元気そうだ」

「元気だとも。尤も、仕事が順調かと問われれば胃がキリキリするけどもね」


 達郎は気怠そうに話しだしたが、仕事柄か威圧感を振りまかないよう気を付けているのはわかる。だから……俺も弱腰にならない。


「進捗が悪いことを俺に言われてもどうしようもない」

「おっと、それもそうだ。久しぶりに君と話したら気が抜けてしまったよ」

「俺と……か?」


 舐められているのか?

 俺のことは簡単にどうにかできると思われているのだろうか。


「何だい不思議そうな顔をして……花音さんか那由多さんと話した延長線で気が緩んでいると思っているのか? この、僕が」

「いいや。あんたがメリハリも付けられないくらい年を取ったようには見えないな」

「若いように見られるのは……不快じゃないね」


 そんなつもりでは言っていない。


「そういえば、君を待っている二人なら先に体育館の方に入っているはずだ」

「あっ、体育館を使えるようにしてくれたこと、ありがとうございます」


 その点に関しては、きちんと感謝の意を述べる。


「どういたしまして。那由多さんのお願いだったからね」

「……那由多のお願いってことは、俺に支払うべき対価でもあるのか?」


 俺と那由多は生活費を共有している為、俺に見返りを期待しているのかと勘繰る。

 しかし、予想に反してキョトンとした達郎の顔。


「まさか。幾ら使用人として雇っていたって、多少遊ばないと高校生らしくもない」

「そうか。てっきり俺は、その対価に人気投票の運営なんて任せたのかと思った」


 体育館を借りる事について、那由多が結構前に頼んでいた事だと言っていた。


 今更思い出したのは、俺に工作させたかったんじゃないのだろうか。


「考えすぎだよ……確かに僕は悪人だし、君に学校で行われている人気投票の運営を押し付けた。でもね、そこまで性根が歪んじゃいない」


 那由多の頼み事は全く別件であり、ボーナスのようなものだったと。


 確かに達郎は俺以外の花音や那由多からはある程度慕われているし、彼女達を利用しようとは思っていないだろう。利用するのは……相変わらず俺だけだ。


「だから……くだらない学校の風習に君を巻き込んだのだって、使用人の仕事を熟してもらう為のサービスに過ぎない」

「素直に白状してくれるとは思わなかった……そうまでしてやってほしい事があるのか?」


 運営まで押し付けてきたのだ。

 何か目的があるに違いない。


「やってほしいこと? いいや、今まで通り空奈の手助けをしてくれればいい」

「は? 待ってくれ。それじゃあ俺に人気投票の運営を任せたのは一体――」

「サービスだと言っただろう? その立場を使って何をしても構わない。君に任せるよ」


 気の抜けた回答に拍子抜けする。会いに来たのも、新たな課題があるからだとばかり。


「じゃあなんだ、お嬢様を助ける手段が俺の脳に浮かんだのは……偶然なのかよ」


 俺の言葉に、達郎は一瞬だけ眉を動かした。


「へぇ、興味深い事を言うじゃないか。そうか……通りで鋭い視線を向けられる訳だ」

「ああ正直……全部達郎が裏で手を引いてお膳立てしているのかって、疑っていたんだ」


 学校関係では、常に彼を警戒して然るべきだから。


「ははっ、そうだったのか……さっきも考えすぎだと言っただろう? 僕に言わせればね、君の方が性根は歪んでいるよ」

「娘の手助けになりそうな話が出てきているのに、喜ばないんだな」

「君が碌でもない事考えていそうなのにかい?」


 否定はしない。意図されていないと知り、途端に胸が苦しくなったからだった。

 なるほど、那由多が感じていた苦しみはこれなんだろうな。


「……逆に俺の企みを注意しないのか?」

「君は優秀だからね。馬鹿な真似はしないだろう」

「答えになってないな……どの道俺がお嬢様の為に動くと思っているからだったのか」

「花音さんの為に……だろう?」

「…………」


 グッと言葉を詰まらせる。


「わかっているさ。君はいつだって、花音さんへの罪悪感で僕に従っている」


 達郎と契約をした日、お嬢様と花音を間違えて助けてしまった事を達郎へ明かさなければ、花音さんは平和に過ごしていた筈だという想像が俺に罪悪感を与えているから。


「それが俺を自由にさせる理由ってことか」

「ああそうともだから僕も君を信頼している! ははっ、いいじゃないか。僕は空奈の為に、君は花音さんの為に……悪巧みしようぜ」


 気の抜けたおっさんの顔から、如何にも悪役らしい顔になった。

 達郎は俺の計画を何一つ知らないはずなのに、不敵な笑みからは信用さえ感じる。


 そう……お嬢様の正義を証明する為に、笹江秀吏が出来ない事なんてない。


 だから、達郎は俺の計画がどんなものであろうと肯定するだろう。卵が先か鶏が先か……達郎が仕組んだものか俺が考えたことか、きっかけは重要じゃないのだ。結果こそ全て。


「達郎がそう言うなら自由にやらせてもらうさ。ところで……最近俺の両親は?」

「僕に聞くかい? 直接会えばいいじゃないか」

「……会いたくないから、こうして聞いている」


 聞ける時に聞いておけた方がいい。


「何故会いたくないんだい?」

「別に。ただ、家族を恋しく思いたくないのかもしれないな」

「君も反抗期というやつかい」


 ……そうなのかもしれないが、仕方ない話だ。


「どうでもいいだろ。両親の話をしてくれ」

「わかったよ。特別な話は何もないけれど、強いて言うなら藤倉さんと香崎さんが最近親密らしい。君と花音さんがくっ付けばいいんじゃないか……なんて面白い話を聞いたよ」

「……俺の母の姓はもう藤倉じゃないです」


 一瞬動揺したが、浮足立つ気持ちは心の中に仕舞った。この男に対する警戒心か、何故か気持ちを言葉にできない。


「はぁ、君のそういうところはまだ是正の余地ありだね」

「……せいぜい心がけるよ。同居人によく言われるし」

「那由多さんは良い子だ」


 ――知っている。あいつは優しいんだ。


「花音が指摘してくれない代わりに、あいつが口うるさいだけだ」

「ははっ、そりゃいいじゃないか」

「何が良いんだ……笑える要素なんてないだろ」

「僕はね、君達の関係が少し羨ましいんだ……僕は空奈にそう言い聞かせるようなことはできないからね。どうしてこんなに反抗期が長いんだろうね」


 達郎は娘に嫌われている。直接見たことはないが、花音からよく聞かされる話だ。

 でも、そう育ててしまったのは達郎自身だろう?


「自分の胸に手を当ててみれば、わかるのでは?」

「手厳しい……心にグサリと刺さったよ。来月の生活費が半分になっているかもしれないね」

「那由多と共同なの忘れていませんよね」

「忘れていないからこそ……だとも」

「どっちが手厳しいんだか」


 那由多に対する罪悪感まで利用する気か。食えない男だ。


「さて、もう用事は済みましたし僕はもう行くよ。引き留めて悪いね」


 出て行けと言わんばかりに車のドアが開く。長居してないのに、気温差で感じる肌寒さ。


「……じゃあ、またいつか」

「ええ、遠い日のいつか」


 俺の返答に小さく笑みを零し、達郎は車を発進した。

 車が見えなくなってやっと……やるせない感情が頭の中をぐるぐるかき乱した。

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