第20話

 二年前、ある誘拐事件が世間を騒がせた。


 誘拐されたのは塩峰空奈。


 誘拐犯は動画がネットにアップロードして、身代金数億円を要求したものの……塩峰達郎の手によって数時間の内に犯人の所在が特定され、解決した事件だった。


 そう……世間では偽りの情報が拡散されている。

 事件を収めたのは塩峰達郎……しかし、その裏で塩峰空奈を誘拐犯から助け出した人物がいた。それが俺、藤倉秀吏だった。


 事件の前、俺は放課後近隣の図書館である少女を眺めるのが日課だった。


 最初は厳しい両親から逃げ場所が欲しくて辿り着いた安寧の地……静かに読書したかっただけだったんだが、そこで一際可愛い少女がいた。


 幼いながらもお淑やかで落ち着いた少女が好奇心旺盛に騒ぐ友達と読書しながら楽しげにお話をしている姿。


 クラスメイトに友達の一人もおらず、他人に興味なんて持っていなかった俺でさえ、気付いた時には目を奪われ見つめていた。


 それは俺だけじゃない。図書館に通う同級生の男子達の中でも噂になっていた。


 噂に耳を傾け知った少女の名前が塩峰空奈。何でも凄く大きな企業のお嬢様らしい。


 俺には話をかける勇気もなくて、ただ見守る……言わばストーカーだった。




 そしてある日、図書館の中へ入ると騒がしかった。何でも数分前に塩峰空奈が怪しげな四十代くらいの女性に連れて行かれるという話。誘拐じゃないかという声。


 丁度持っていた木刀。俺には彼女を助けるだけの力があって、すぐに駆け出した。

 道端に歩く人達から情報を得て、とある廃墟へと辿り着く。


 警察を呼ぶ準備をしようとスマホを開くと、すぐに拡散された身代金要求の動画がネットで話題になっていた。


 物騒だなと思いながら動画を見てみると、椅子に縛られた少女とナイフを手に持った誘拐犯の姿があった。


『塩峰空奈を誘拐した。開放してほしければ塩峰家に送った命令通りお金を渡すように』


 誘拐された少女は顔に袋を被せられていたが、目の前の廃墟にいると確証を得る。


 空に赤みがかかる。警察に連絡しながらも俺は急いで中へ入った。


 若干灯るような場所を見つけるとそこには予想通り誘拐犯がおり、今は顔を隠していない為俺の姿に驚きと動揺を見せてしまう。


 相手はナイフを持っていたが、中学生にして師範代理にまで登り詰めた俺の実力はまだ衰えていない。若さゆえか、謎の勇気もあった。


 誘拐犯はたった一人だったが、制圧した頃に警察がやってきた。思ったより早い到着だ。




 そこからは……俺も一度は拘束されて大人達と話す事になった。


 一応疑われているためか、結局のところその場で塩峰空奈さんと直接顔を合わせることはなかったのだ。


 そこは割と誤算だったけど、仕方ないとも思い我慢するしかなかった。

 まさか、そのまま事件について粗方処理が終わるまで数日を要するとは思わなかったけど。



 数日間で俺の環境は色々と変わった。

 まず、今回の件についての話は俺の父親まで伝わってしまったのだ。


 塩峰空奈さんを助ける為に巻き込まれる形で介入したが、まあ端的に言えば道場を破門にされてしまった。人を傷付ける為に木刀を振ったのだから、当然だ。


 そして、俺は再び塩峰空奈さんの父親、塩峰達郎さんと対面して話す事になった。


「君は恩人だし、望むなら大々的に君の存在を公表しようと思うんだけど……」

「そういう正義感があった訳じゃないので遠慮します」

「そうかい。正直助かるよ……僕の体裁もあるからね。因みに正義感じゃないというのは……つまり、僕の娘に下心があったという事かな」

「……否定はしません」


 正直に言ってしまう。

 変に誤魔化したとしても、見抜かれるような気がした。


「なるほど正直なタイプか。いいね、気に入った……提案があるんだがいいかね?」

「提案ですか? なんですかね」

「君にはその年で護衛が出来る程度の実力がある。どうだろうか……僕の屋敷に住み込みで働いてみないかい?」


 …………なんだって?


「正直それは願ったり叶ったりです。親父から破門になりましたし、家にいにくいので」

「快諾してくれて助かるよ。お嬢様の使用人は人手不足だったんだ」

「解雇? どうして?」

「空奈は我儘だからね。みんなクビにしちゃうんだ」


 あの如何にもお淑やかな空奈さんが我儘なのか……きっと仕事の理想が高いんだろう。


「因みに君の父親からは許可を取っているから、そこは気にしないでくれていい。もうすぐ空奈も高校生だし、大学進学までの契約でどうだい?」

「え、そんな長くですか……いえ、やらせてください」

「良い返事がもらえて嬉しいよ」


 そのまま色々と書類を渡され、流されるように署名等をした。署名を終えたと同時に、達郎さんがテレビの電源を付けると、丁度緊急のニュースが流れ始める。


 塩峰達郎氏の手によって、無事誘拐された塩峰空奈さんは解放されたという朗報だ。



 情報の伝達が早い……これが権力なのだと思い知った。誘拐された廃墟の場所も、俺が連絡した同時刻には塩峰家お抱えのハッカーが居場所を割り出していたらしい。


 ハッキングについて教えてもらえるなら学んでみようと考えた。


 そんな中、再びテレビへ顔を向けて……俺は信じられないものを見た。


「…………は?」


 そこに映されていたのは誘拐事件の被害者である塩峰空奈の顔写真。


「どうしたんだい? そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして……君の事は約束通り伏させてもらったけど――」

「そうじゃなくて……これが、この女の子が塩峰空奈さん?」


 おかしい。これは一体どういうことだろうか。


「ん? ああ、君が助けてくれた僕の娘だよ」

「……あの子の友達が、塩峰空奈さん? じゃあ、あの子は一体――」

「待ちたまえ……君は何を言っているんだ」


 俺の動揺を察したのか、達郎さんは冷静に俺の顔色を覗きながら思案しているようだ。


「俺は、俺は……だって、あの子が塩峰空奈さんだと思って……じゃあ、勘違いだって?」

「……もしや君、僕の娘を助けようとしたんじゃなくて、別の誰かを助けようとしたのか?」

「すみません。その通りです」


 察しが良い達郎さん。しかし、お転婆なアレが本物のお嬢様だなんてわかるはずもない。

 正直に謝った訳だが、達郎さんは苦笑していた。


「謝らなくていい。勘違いでも君は恩人だ……しかし、困ったことになったね」

「はい。その……契約書は」

「もう破棄できないよ。大学生になるまでは空奈を君に守ってもらう」

「ははっ…………お世話になります」


 乾いた声で笑うしかなかった。どの道家から追い出された俺に居場所をくれるというのに断る理由はない。ただこの時、俺は頭の中が空っぽになっていたと思う。


 ここで全てが収まっていたなら良かった。歯車がズレ始めてしまったのは、そこからだ。


「という訳で、こっちが笹江秀吏くん。そっちが香崎花音さん。二人とも今日から空奈の使用人として働いてもらう。尤も、秀吏くんには裏方を頼もうか」


 気付けば目の前には、俺がストーカーしていて塩峰空奈だと勘違いしていた少女がいた。


「秀吏くんへのサービスだ……君の為にもう一人雇ったんだ」


 全て知っているよと言わんばかりの笑みを浮かべられ、身震いした。


 とはいえ、花音さんと話すきっかけを覚えた俺は純粋にも内心で喜んでさえいたと思う。

 この時の俺は……彼女の存在が、自分の弱点となる事なんて視野に入っていなかったから。


「ところで裏方って何ですか?」

「空奈とはあくまで他人として振舞いながら、役になってほしい」

「……無茶じゃないですか?」


 俺に何をさせようとしているのだろう。


「一応空奈の使用人で護衛を任せようと思ったけど話が変わったんだ」

「どうしてですか?」

「僕が聞きたい。空奈が何故か必要以上に剣道を習いたいと言ってきた所為で、君の存在が扱いにくくなったんだ」


 話を聞けば、お嬢様は興味を持ってすぐに藤倉道場へと通う事に決めたらしい。


 どうやら事件の日、微かに俺の姿を見ていたのかもしれない。それが原因なのか、俺を娘に会わせる訳にはいかないと言われてしまった。


 この事件によって、この地域でお嬢様の顔と名前は有名なものとなった。


 暫くは知名度の高さの影響を受ける中でもお嬢様が平和に過ごせるよう、色々な課題を与えられたのだった。

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