第14話

 夜中、今日は勉強していた訳でもなく、イヤホンで音楽を聴きながら読書をして過ごしていると、突然の通知音に驚かされる。花音だった。

 メッセージにはただ一文『ノックしています』と書かれており、即座に扉を開ける。


「すまん、気付かなかった」

「起きていることはわかっていたので大丈夫です。読書していたんですね」

「ああ、何となく音楽聴いていて……気付かなかった。悪い……二回連続でこれは情けない」


 反省の意だけでも伝える。

 彼女は深いから、ある程度のことは謝れば許してくれる。

 ただ、彼女を困らせる気は毛頭ない。


「そんな謝らなくて大丈夫ですよ。そういえば、前に骨伝導式イヤホンに変えたいって言っていましたよね?」

「あっ……すっかり忘れていた。今度何処か出かけた時にでも買っておくよ」


 すると、花音がほわぁぁっとみょうに嬉しそうな顔をする。

 今、何か花音が喜ぶ要素ってあったか? 音楽聴きながら花音がノックしても気付けるようになるくらいだと思うけど……まあいいか。


「今日は夜食なし?」

「あれ、自前で食べたんじゃないんですか?」

「……どうしてわかったんだよ」

「お夜食を用意しようと引き出しを覗いたら、春雨のカップスープが一つ減っていましたので」


 ああ、だから俺がまだ起きている事にも察しが付いていたのか。

 那由多は……あまり間食しないからな。


「ゴミはこっちに捨てたけど……バレるもんかぁ」

「そんなことより、夜更かし禁止のルールを破らないでください。約束しましたよね?」

「あっ、そういう要件だったか。悪い……」


 花音に怒った様子は無い。『約束ノート』に書いていないとはいえ、花音も一方的に約束を破られていい気はしないだろう。


「あ、違います。心構えを見せてくれるのは良いんですけど、今日のところは大目に見ます。というのも、要件は別にありますから」

「ん? そうだったのか……何だろう」

「席替えの件で……那由多ちゃんの席を秀吏くんの近くにしてほしいんです」

「……喧嘩でもしたのか?」


 意外な要件だった。俺の席に近くするのは、自動的にお嬢様と席を離すことを意味する。


「私が那由多ちゃんを離して欲しいのではなくて、那由多ちゃんと話し合って決めたことです。理由はちゃんとありますから」


 別に出来ない話じゃないけど、本当に大丈夫か?


「その理由がですね――」


 ゆうを浮かべていたが、花音は理由を説明してくれた。視力の問題か……それなら、理に叶っている。

 お嬢様も那由多と同じく視力が良くないが確かに剣道をするのに眼鏡は視界をさえぎるからな。


「席の件は了解した。けど、お嬢様は那由多を近くの席にしなくて大丈夫なのか?」

「はい。特に指示されていませんから問題は無いと思いますけど」

「いや、それでもお嬢様にとっては、花音ならそれくらい勝手にしてくれる……と期待しているんじゃないか?」

「……どうなんでしょう」


 否定はできないだろう……お嬢様は花音を頼りにしている節がちゃんとあるのだ。


「俺よりも近くで接している花音と那由多が決めたことなら、その判断にケチを付けるつもりはないけどさ――」

「……けど?」

「お嬢様にとって、花音に対する期待が欠けることはあっていい事なのか?」


 禁止されていることじゃない。

 でもお嬢様と花音の関係が悪くなることは、絶対にあってはならないものだ。


「空奈ちゃんにも同じように説明すれば済むことだとは思います。私は噓を吐きたくありません……空奈ちゃんも私に対して同様の信頼を持ってくれている……と思っていますから」


 ちょっと嫌な質問だったかもしれない。好きな子に意地悪をしたかったというお茶目が出た……という事にしておこう。


「質問が悪かった。そうだよな。あの頃から何も変わっていないよな」

「あの頃……?」

「中学校の頃の話だよ。あんまり話さなかったけど、一応同じクラスだったじゃないか。花音とお嬢様は目立っていたからな」


 昔は、ただ可愛い女子という認識で……二人のことは名前すら知らなかった。


 塩峰空奈という人間を知らなかったからこそ勘違いで事件に巻き込まれた事も、きょくせつすえに俺と花音は一緒に暮らせるようになった事も、更に事故で那由多も加わった事も……振り返れば多くの事があった。


 お嬢様と花音が二人で楽しそうに話していた光景をぼんやりと憶えているから、俺は……在りし日の光景を再び見たいと思うんだ。その為なら悪魔にだって魂を売る。


「ふふっ、そうですね。立場の違いはありますけど私も心の中では空奈ちゃんを親友だと思っています。だから……私はお嬢様の好きな事をみんなに認めてもらいたいんです」


 ――それは良かった。


「そうだな。手っ取り早い方法は俺達に与えられた今の課題に沿っている……自信を取り戻してもらうことだ。お嬢様のことだから……吹っ切れば上手くやると思っているよ」

「偶に、時々なんですけど、秀吏くんの方がお嬢様のことを信頼しているように見えます」

「そ、そうか?」

「はい。少し悔しかったりします」

「悔しい……か。どっちが先にお嬢様の自信回復に繋がるアシストを出来るか競争だな」


 共通の目的があることは幸運だった……お陰様で気兼ねなく接しられる。

 那由多もお嬢様を友達として認識してもらえば、もう少し心の距離が縮まるかな。


「そこは協力しましょう。私は秀吏くんのように器用ではないので不利じゃないですか」

「ははっ、花音が困った時は頼ってくれよ。俺も頑張りたいって意思表示だ」


 ――花音に、もっと頼られたいんだ。


「頑張りすぎは良くないですよ」

「花音が注意してくれるから大丈夫だ。そこは頼らせてくれ」

「お任せください! あっ、最後に一つ……これはまた別件なんですけど――」


 協力体制を再確認していると、今思い出したかのように別件を告げてきた。

 そして、意外な名前を口にする。


「小野塚くん……でしたよね? 秀吏くんがよく話している男子の名前」

「ああ、そうだけど……あいつがどうした?」

「お嬢様が見られているように感じて、警戒していました」

「……注意しておくよ」


 そういえば、小野塚がお嬢様ににらまれていたんだっけ。多分、本当は花音を見ていたんだろうけどな。あんまり気にすることじゃないだろう。


 しかし小野塚の奴もわいそうに……記憶の良い花音に名前が合っているか確認されるくらい印象薄いみたいだぞ。

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